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山を歩けないということはアスファルトの上を400m以上歩けないと信じて疑わない私としては適切な運動が見当たりません。
里山を歩けば尾根の末端や頂には祠があります。
あれば必ずご縁がありますよにと5円を供えて世界平和を願ったものです。
今はそれさえできない。
これは宗教の自由を侵すものではないか。
それはさておき
運動不足解消にスコッチグレンでもなくリーガルでもなくアディダスを履いて駅前まで自転車に乗らず徒歩で買い物に出かけました。
パン屋さんで食パンを買い、八百屋さんでセロリを一株買い、お肉屋さんでベーコンブロックを買い、韓国料理屋さんでお弁当を買い、最後にスーパーに寄りました。
そこでノザキのコンビーフの新しいパッケージが店頭に並んでいたので買ってきました。
中学校の課外授業で海の家のようなところで昼食をとることになりました。
各自持ち寄った弁当を頂きます。
私はいち早く食べ終わり「あー食った食った。」と背中をのけぞらし、両手を後ろに着くと、左手の親指の付け根あたりに激痛が走りました。
見るとノザキのコンビーフの台形の下側の切り口が手に食い込んでいる。
誰だこんなのを床に置いたのは。
見ると務台が旨そうにコンビーフの台形の上部をほじっ食っている。
てめー缶詰の持ち込みは禁止だろう。!
おめーが注意しないのがいけねーんだろう。
馬鹿野郎、切り口を上に向けて床に置く奴が悪いんだろーが。
務台則夫が激性糖尿病でなくなって12年になるでしょうか。
外交官になりたいと言っていた彼が松井証券の副社長に収まって間もなくのことでした。
務台は悔しそうに言っていました。
「務台則夫」を検索すると兄貴の記事の中に弟として出てくるだけなんだよね。
松井証券をネット証券会社に育てたのは俺なんだぜ。
そう、こいつは中学生の卒業間際に鷹ノ巣山に行く約束をしたのに、前夜になって
電話をかけてきて「親が危ないから行くなっていうんだよ。」と断りの電話をかけてきました。
私は冷静に「わかった。それでは明日は約束通りに」と言って電話を切りました。
これが私の単独行の始まりでした。
水根口側から歩き始め雪が出てきて驚き、今は廃道になった巳の戸沢側に降り始めて深い雪の中を滑り落ちて有刺鉄線に引っかかってわさび棚に落ちずに済んだ思い出の山行でした。
そういえば八ヶ岳の彼は御小屋尾根の出だしが雪の状態では危ないことを知らなかったのかしら。
男体山の彼もまさか雪があるとは思わなっかのでしょうね。
私も昨日スーパーでノザキの新しい缶を見つけました。
小学生の頃だと思いますが、私もクルクル巻きとった側でザックリと指を切って大出血した覚えがあります。あれから暫くはコンビーフ恐怖症にかかりました。
大学時代は山行の費用捻出で、米を炊いて直ぐにコンビーフ、勿論ニューが付く奴を、半分混ぜてそれだけを食べてました。でも山にはコンビーフ缶は持っていかなかったですね。少しでも重量を減らして、その分ビナ1枚、シュリンゲ1本持って行きたかった。
現像代もバカに出来なかったので、カメラも持って行きませんでした。ボラフさんの北鎌や東尾根の時代と同時期です。あの時の写真があればなあとしみじみ想うこの頃です。
コンビーフ、買いたかったのですが、ツレから却下されました。ますます寂しいです。
カメラは冬の花火をきっかけに写真を撮りながらゆったりとした山歩きの路線変更してから持つようになりました。
シュリンゲは当然自作ですよね。
出来合いなんてどんなお金持ちが買うのだろう想像していました。
だいたい北鎌の装備はテント、ピッケル、アイゼン、ザックまで借り物でした。
幸い私の周りには装備は持っているけど山にはいかない先輩が多かったので。(笑)
当時は道具を買うより電車賃が優先でした。
アイゼンは歯が丸くなると返却して別の先輩から尖ったのを借り替えていました。
あの頃のシモン製はアイゼンの歯も折れましたがピックがよく折れました。
氷壁を登っていて刺さりが悪くなったなーと思ってピックを見ると先端部がなくなっていることが2度はありました。
「左右にねっじちゃだめですよ。」と注意されながら石井の店長さんは交換してくれました。
そうか!
雪なんか無いと思っていたんだ!!
なにか、とてつもない理由がなければ説明がつかない事件でしたね。
勝手な想像ですが、暖かい日差しの中を運動靴で登ってみたらなんと雪が出てきて、どうにか山頂まで登ってみたけれど、下りで雪の固いところは危ないので柔らかいところを歩いたら踏み抜いて運動靴は脱げてしまった。綿の靴下一枚ではあっという間に歩行困難になって、とりあえず彼女に電話した。
私は中学生の時に春が間近の山に雪があるなんて思いもよりませんでしたし、南北の意識もなく南斜面を登って北斜面を降りて死ぬ思いをしました。(笑)
ぼらさん、
貴重な経験を踏まえたすばらしい推理です(笑)
当たらずと言えど遠からずでしょうね
gankoyaさん
「貴重な経験」というお褒めのお言葉恐縮です。
思い返さば「貴重な(おばかな)経験」しかしていませんね。(笑)
証券業界の価格破壊を最初にしたところです。
昔といっても今から30年ぐらい前の1990年頃は、手数料は片道に1%程度だったかな
往復で2%以上。
それを松井証券は0.5%ぐらいにしたような記憶があります。
たった1%という感覚が普通はありますが、株で1%を抜くのはなかなかです。
その瞬間、松井証券が自分のメイン証券に変わりました。
でもそれから30年後、今は手数料は往復で0.2%程度。
手数料が安くなると儲かるのが普通ですが、今はコロナでそれどころではありません。
コロナダメ−ジでコメントの気力もない日々ですが、大好きなノザキのコンビ−フでコメントしました
momohiroさん
あと一か月ですよ。
予測はしてBCPは立てっていましたが、業種によっては壊滅的だと思います。
どのぐらいの速度で回復するか、戦後の回復とは同じにはならないでしょう。
具はコンビーフだけのチャーハン。なかなか行けます。
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