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ガロの黄金期を支えた編集者権藤晋氏による回顧録です。
ガロには5年間在籍したが、とある著者と問題を起こし退職して、自ら出版社を立ち上げ「夜行」を発行して酔心するつげ義春に発表の場を提供し、現在も「幻燈」を発行している氏が1993年に著した著書です。
※もう眠たいので続きは明日記します。(笑)
私がガロの存在を知ったのは19歳の時でした。
当時知り合った友人が漫画家になることを夢見る18歳で、漫画家残酷物語を画いた永島慎二やつげ義春を貸してくれました。
もともと私は高校生になるまで漫画も新聞も教科書も読まない人間でした。中学生の時に教師からお前はあの子と付き合と言われた女の子と半年ぶりに図書館で偶然会いました。また会いたいと言われましたが、そのころは区立図書館にある遭難記を片っ端から読んでいる最中でそれどころではありません。しかしそのしばらく後に彼女は小田急線に飛び込んで死んでしまいました。その時手に持っていた本が「人間失格」でした。本屋で「人間失格」を探すと薄っぺらで100円もしなかったと思います。これなら読めると買い求め飛鳥山公園で一気に読みました。図書館の踊り場で見た彼女の瞳は一生忘れないでしょう。
え〜話がずれましたが、小学生の時に当時北池袋のアパートの二階の全室を借りて漫画を描いていた楳図かずおに友達に誘われて会いに行きました。私は全く興味がありませんでしたが、友達はサインをもらって大喜びでした。
もう一つアルバイトをしていた画材屋に二枚目の青年が現れて紙の見本帳をあれこれ見て「絹目ケント紙」を何と一包注文しました。名前と連絡先を書いてもらうと池上遼一と記す。数日後に納品された絹目ケント、多分17キロぐらいあるものを抱えて帰りました。そしてしばらく後に刷られた雑誌に絹目ケントのエンボスを生かした「男組」が載っていました。
当時留年して新宿の高校に通う私は民生、社青同がうじゃうじゃいるクラスで訳も分からずバクーニンやクロポトキンを読んでいました。夜は決まって24時間喫茶店で数人と訳の分からぬ議論を烏が闊歩する始発電車まで粘っていました。
といったことを思い出させる「ガロを築いた人々」でした。
漫画に集中したのは結局2年余りでしたが、今この本を読んで、果たして私は漫画をどこまで理解していたことやら怪しい限りです。
漫画家を目指していた友人はその後自殺未遂を起こして故郷に帰り3年間精神病院に隔離されました。今も漫画の収集を続け、ガロの創刊号から終刊、再創刊から最終刊までを持ち、先ほど電話したら「夜行」も「幻燈」も持っているという。
しばらく前に彼から「レッド」を全巻借りて読んでみました。そこでわかったことはもう漫画は読めないという事です。漫画を読むより埴谷雄高を読む方がよほど楽な頭の構造になってしまったようです。
追伸
一度漫画の肉筆原稿を見てみてください。
小野洋子の信じられない程美しい直筆の手紙を見たときの様に驚愕します。
九段下の「しょうけい館」には水木しげるの原画が常設されています。
権藤晋が新人に向けていう丁寧な絵が理解できます。
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