タイトルは「楠木正成 巨大な敵に勝つ方法」
【NHKブログ】
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/427635.html
楠木正成と言えば、私も好きな武将の1人です。
生まれ育ちが「河内」ということもあって、小学生の頃から「豊臣秀吉」「真田幸村」そして「楠木正成」の名は、なんとなく知ってました。詳しくは…
【楠木正成】ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/楠木正成
「三徳(智・仁・勇)兼備」とも言われたそうです。
各地方ごとに、郊外学習の一貫として登山学習がありますが、私が住んでいた河内地域でも、学年に応じて「二上山」「大和葛城山」「金剛山」に行ってました。
自然と「千早赤阪」の地域に親しみを感じるようになりました。
奈良、京都も近く、大阪城なんかもある環境もあってか、子供の頃から歴史が好きだったのですが、千早赤阪村に赴くと、ホントに「楠木正成が居たんだな 」と思える景色と史蹟…空気が楽しめます。
私も番組の中で紹介されて初めて知りましたが、千早赤阪村のマンホールの作成にあたって、楠木正成公にちなんでデザインの一部に「兜」をあしらう案があったそうですが、地元の方々から「楠公さんをタイヤで踏むなんて…」ということで、「太平記の里」というロゴタイプに変更されたそうです。
そんな地元愛のある、歴史ある千早赤阪村、河内、大阪に住み、ゆかりのある山々に行けて、ホントに良かったと最近になって常々思うようになりました。
(決して「お笑い」や「くいだおれ」だけではありません )
ちなみに関西地区では4月21日(火)午後3時08分から再放送があるそうです
【写真左】下赤坂城址 2018年06月24日(日)
過去レコ『金剛山(千早赤坂村の森屋BPから千早本道)』
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1505578.html
【写真中】上赤坂城址 2018年07月10日(火)
過去レコ『金剛山(上赤坂城址から山越え高天原へ)』
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1519417.html
【写真右】千早城址 2020年02月02日(日)
過去レコ『東條山・神福山・金剛山(大阪50山) 』
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2199104.html
【追記】
最後、過去レコの紹介っぽくなりましたが、金剛山周辺(千早赤阪村)全体の地理や雰囲気を見てもらうためにアップさせて頂きました<(_ _)>
【追追記】
『「楠公さん」を大河ドラマに!』河内長野市HP
https://www.city.kawachinagano.lg.jp/soshiki/16/2000.html
私も見てみたいです
Osanさん、こんにちわ。
「歴史秘話ヒストリア」で楠木正成が取り上げられる。
というので楽しみにみました。
大阪南部河内長野で少年期を過ごしましたので、
小学校や中学校での歴史教育では身びいき。と
いえるまでの楠木正成像を叩き込まれましたので、
番組での取り上げ方にはやや不満は残るのですが、、
戦後の歴史史観の転換で一気にこき下ろされた感のある
楠木正成を取り上げるにあたってはあれくらいが
精一杯のところというところでしょうか。
出てきた史跡はどれも馴染みの深い所ばかり。
とりわけ観心寺は自家の寄進した石柱があったり、
毎年のように通ってました。
番組でも取り上げられた下赤坂城、上赤坂城から
金剛山千早城の尾根にかけて、正成由縁の砦跡が
十数カ所あって、、こちらは遺構や所在すらはっきり
していない状況で、、ここから金剛山へ至る
トレイルの整備なんかをすれば、金剛山登山の魅力が
さらに増すんじゃないかと思う次第です。(*´▽`*)
コメントありがとうございます。
たしかに歴史の道、史跡の整備など、もっと工夫すれば大阪に観光に来てみようという方が、もっと増えるんじゃないかと常々思ってます。(コロナ渦の今はダメですが。)
私も、楠木正成の晩年の桜井の別れあたりのエピソードがバッサリ切られていたので、物足りなさを感じましたが「サブタイトルが「巨大な敵に勝つ方法」だったので仕方がない、まぁエエトコどりってやつだな 」と自分なりに納得しました
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