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公開当時は子供でしたので映画館で見たことがありませんでした。
DVDもあるので、その後に何度も見てはいましたが、スクリーンで見れるのもこれが最後となるので観賞してきました。
多くの方がご存じの事ですが、新田次郎氏原作の「八甲田山死の彷徨」がもととなっていますが、「おっさん」である今となっては、史実と多くの相違もあり、当時の軍の計画としては無謀であったとも言えない。100年に1度の大暴風雪、大寒波(今風に言えば気象災害)にみまわれたとも言えるのかな?
しかし、映画の「物語」としてはよくできている。
山に行くようになってからは「雪とは・・寒さとは・・」のセリフをよく思い出したり、遭難の有様について参考の一つにはなるかと思ったりもします。実際、今でも最大の山岳事故でもあります。
詳しくはWikiなどにも掲載されています。
写真右: 遭難碑前で(馬立場だそうで、後藤伍長発見場所は3Kmほど離れてます。)
写真中央:八甲田山から奥入瀬を経由して(山には登ってません)
写真左: 十和田湖
いずれも20年以上前になってしまいました(T_T)
おはよーございます
┌◯)
自分今度今度と
いまだ観てないんですょ
今度観てみます!
バイクで行かれたんですね
イイっすね(^o^)
(…ぁ プロフの下に記載してありました)
写真変わりましたね
登山はライフワーク的に、いつかハーレーなんかにも乗れたら幸せかなぁなんて漠然と思ったりします。思い続けていると、なかには実現することもありますね
はじめまして。
八甲田山。名作ですね(´▽`)
小説を読んでから映画を見ましたが、小説と映画も違いますね。小説だと、準備を入念にした31連隊と準備不足(認識不足?指揮系統?)が大きくかかれてますよね。
「天は我等を見放した」→名セリフですが…リーダーが言っちゃ行けませんね(>_<)ヽ
ここまでというわけではないですが、私の登山の教科書ですねφ(..)
「ここで共に死のうでわないか・・」とまで言ってしまってはダメですよね
「九死に一生の策はあっても、十死必死の策は策にあらず」
窮地に立ってなお理性を失わずにいれたらいいなぁと願っています
おはようございます。
昔の装備服で、当時の軍の任務とはいえ大変やったと思います。その影響でか、趣味で入る登山者にとっても厳冬の八甲田山は特別なもになったかもしれへんですね。
昔の探検家、冒険家の人ってすごいですよね
役小角の名前もあちこちで見ますが、1200年は昔の人ですもんね
はじめまして
この映画の大ファンで、DVDを購入したほどです。
当時の「天は我々を見放した」は流行語となりました。
今は亡き、多くの重鎮な俳優さん(高倉健/緒方拳/大滝秀治大滝秀治/小林桂樹/丹波哲郎/三國連太郎さん等)が出演されています。
よく当時、これほどの大物役者さんを揃えることが出来たのか、すごいですね。
38年前の映画とは思えないほど、今見ても新鮮さを感じます。
そして、「岳」を脚本・撮影・監督した、木村大作さんが当時カメラを担当されたいたことはあまりにも有名ですよね。
今となっては北大路欣也さんが残られているだけですかねぇ。
CGもない時代にあの圧倒感は、俳優さんの力も大きいのでしょうね
Osanさん、初めまして。
ちょうど昨日、新田次郎さんの「八甲田」(短編の方)を読み、あの遭難の日に旭川で日本最低気温(-41度)が記録されたと知りました。
でも映画が作られた当時はCGなど無かったですから、撮影そのものもハードだったのでは無いでしょうか?
蛇足ですが・・・聖職の碑も好きな映画です。
では、ダン之助でした。
「聖職の碑」ははじめて知りました
気象によってはいまでも八甲田は厳しいところなんでしょうねぇ
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