奥多摩での集中登山2泊3日【雲取山/石尾根縦走路・長沢背稜・タワ尾根】


- GPS
- 54:06
- 距離
- 39.4km
- 登り
- 3,349m
- 下り
- 3,043m
コースタイム
- 山行
- 6:52
- 休憩
- 0:07
- 合計
- 6:59
- 山行
- 4:13
- 休憩
- 0:12
- 合計
- 4:25
- 山行
- 6:27
- 休憩
- 0:23
- 合計
- 6:50
パートナーは奥多摩登山経験豊富なKazu氏。今回の計画はKazuさんにアレンジメントしていただいた。
私は奥多摩駅から「石尾根→雲取山避難小屋(泊)→酉谷山避難小屋(泊)」。
Kazuさんは1日遅れでスタートし、「東日原→酉谷山避難小屋(泊)」。
酉谷山避難小屋で合流し、翌日2人揃って「タワ尾根→一石山(いっせきさん)神社」で下山予定。
我々は3年前にも「鴨沢→雲取山非難小屋(泊)→石尾根縦走路」というルートで奥多摩山行をしたことがあるが、集中登山は未経験だ。
日程は私が2泊3日、Kazuさんが1泊2日。Kazuさんと違い私は秋田からの遠征で、交通手段は夜行バスだ。
朝に新宿着後、JRで登山口の奥多摩駅に着けるのは最速でも午前9時頃。奥多摩から初日の宿営地「雲取山避難小屋」までは20km以上あり、コースタイムは約10時間となっている。この季節、17時には真っ暗になってしまう。
即ち日中歩けるのは精々8時間だ。大幅にコースタイムを巻かない限り、陽のある内に宿営地に辿り着くことはできない。初日だけタイトなスケジューリングだ。
季節は晩秋、気温がグッと下がり山は雪を冠る時期だ。避難小屋泊とはいえど防寒対策は欠かせない。
更に心配なのは天気。3日目の「酉谷山避難小屋〜日原」以外は雨の予報が出ている。特に2日目は終日雨予報なのが心配だ。気を引き締めていきたい。
天候 | 【初日】雪/【2日目】雨/【3日目】晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
「一石山神社」〜「奥多摩駅」/ 徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
「雲取山」周辺で積雪があったが、アイゼンは必要なかった。 「雲取山荘」と「酉谷山避難小屋」に水場あり。水量は多くない。 |
その他周辺情報 | 山行の詳細はブログにて、2人の視点でイラストと併せてご覧いただけます。 http://takaman.teketen.daa.jp/?eid=36 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
着替え
靴
サンダル
ザック
ザックカバー
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
飲料
ハイドレーション
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
ライター
地図(地形図)
コンパス
ヘッドランプ
筆記用具
ロールペーパー
時計
タオル
ナイフ
テントマット
シェラフ
|
---|---|
備考 | 防寒着を物量に頼った為、無駄に装備が多くなってしまった。高性能なウェアが欲しい… |
感想
ーDAY1ー
計画は初っ端からつまずいていた。夜行バスの新宿到着が1時間も遅れたのだ。
時間的制約に不安を抱きながら、2時間とこれまた長い新宿〜奥多摩の電車に揺られる。
10時5分、やっとのことで奥多摩駅に到着する。ここから石尾根縦走路の入り口まで3km近くあるが、事前調査では詳細なルートが分からなかった。大まかに把握していた位置を頼りに、町中を通り登山口に向かう。タイムリミットは7時間・・・
5分程歩き「むかしみち」という看板までくると、「石尾根縦走路」への順路を示す標識があった。そこから車道に沿って激烈な坂を30分、右へ左へと方角を変えながら延々と登っていく。飲料だけで6kg以上あるバックパックがズシリとのしかかる。
10時37分、道路脇の「石尾根縦走路」登山口に到着。1ヶ月前に熊が出没したという看板がある。地元秋田は既に熊が冬眠してもおかしくない寒さだが、東京はまだ幾分暖かい。
登山道に入ってからもウネウネとした登りが続く。路面には枯れ葉が敷き詰められている。踏み込む足は沈み込み、抜き出す足はガサガサと枯れ葉を巻き上げる。
下りは着地の衝撃を和らげるから良いだろう。大きな音が立つから熊除け効果もあるかもしれない。だが登りには厄介だ。長時間歩けばジワジワと体力を削られそうだ。
12時50分、六ツ石山直下の分岐まで辿り着く。バックパックをデポし、足早に頂上を目指す。2分で頂上を踏み、写真だけ撮って1分で分岐まで戻る。
標高が上がり気温が下がってきた。防寒対策でレインジャケットを着込む。
ここまでに3時間近くが経過しているが、距離的には初日の行程の1/3程度しか来ていない。まだまだ先は長い。日没までは4時間・・・おのずと焦りがこみ上げる。
次のピークの「鷹ノ巣山」に向けて一旦高度を落とす。下りは私にとって最大のアドバンテージだ。その後もコースタイムを短縮する為に、下り勾配は走りまくった。
コース上に分岐が現れる。どちらも鷹ノ巣山へと続くのだが、尾根筋か巻き道かで分かれていた。時短を優先して巻き道を進むことを考えたが、目的地を目指すだけでは味気ない。稜線歩きを愛する者として、誘惑に負けて尾根筋ルートを選んでしまった。
14時22分、鷹ノ巣山山頂に到着。
尾根筋は六ツ石山への登りと比べたら優しいもので、そこまで時間的なロスはなかったが、相変わらず葉の散った樹林帯を歩くだけだった。その上、登頂直前に一帯がガスに覆われ山頂からの景色もなきに等しい。石尾根のハイライトなだけに何とも残念だ。残りの行程のコースタイムを見ると、雲取山までは3時間程度だった。ということは、私のスピードなら17時間までには目的地に辿り着ける可能性が出てきた。六ツ石山までは急登続きで時間が掛かったが、下りで大分巻くことができたようだ。
「鷹ノ巣山避難小屋」まで急角度の長い下りが続く。
しかし下りはお手の物。超スピードでかっ飛ばし、10分掛からずこのセクションを通過した。
避難小屋を過ぎると、再び尾根筋と巻道の分岐が出てくる。タイムリミットを最優先し、巻道へと突き進んだ。この巻道、道幅は狭いが路面状態は安定し、アップダウンも少ない。下り勾配を走ることでかなりの時間短縮に成功した。
15時を過ぎると、また一段と寒さが増した。パラパラと雪も雪も降り始めた。
七ツ石山からは再び一気に標高を落とす。
尾根筋と巻道の分岐が何度か現れるが全て巻道を選んだ。どれも短い距離で合流する上、どちらを選んだところで大した違いはない。今大切なのは暗くなる前に宿営地に着くことだ。
16時30分、雲取山と富田新道の分岐が現れる。ここから「雲取山」への最後の登りが始まる。日暮れはもう間近。何とか視界がある内に避難小屋まで到着したい。
陽が落ちて段々暗くなってきた。
目的地が近いとわかっている分、精神的な余裕はあるが、本音はもう1秒でも早くゴールしたかった。17時を回り、辺りは暗く静まり返る。聴こえるのは風の音だけだ。
ヘッドランプを出すか出すまいか迷うが、まだギリギリ視界は効く。だが、それもあと僅か…
その時見覚えのある光景が目に入る。開けた場所にあるトラバースの坂…「あ、ここは…!」
そう思い顔を上げると、数十メートル上に建物のシルエットが黒く浮かんでいた。
雲取山避難小屋だ。
本山行の山場は越えたとホッと一息つき、最後の登りを一歩一歩慎重に踏み進める。
17時7分、スタートからジャスト7時間で目的地に到着。夜行バスのせいで押してたスケジュールだが、何とか真っ暗になる一歩手前に滑り込みセーフだった。
雲取山山頂は小屋のすぐ裏手だが、登頂は明日にすることにして小屋の中に入る。
灯りはない。どうやら宿泊客は他にいないようだ。
小屋内の気温を踏まえ色々調節した結果、就寝時に体温が下がることも踏まえ、下からドライレイヤー(Tシャツ)、ベースレイヤー(化繊とウールのZIPシャツ2枚重ね)、フリース、ダウン(メイン)、ライトダウン(サブ)となった。まさに数に任せた駄目なレイヤリングの見本だが、冬山登山用のウェアはメチャクチャ高価で手が届かないのだからしょうがない。
居住環境を整えたら、今度は腹ごしらえだ。
今日の夕食は日清のカレーヌードル。間違いが起こりようのないチョイスである。
貴重な水をロスのないよう慎重にクッカーで計量し、ガスバーナーを点火する。
お湯が沸き、カレーヌードルに注ぐ。出来るまでの時間が待ちきれない。
3分経つか経たないかでお腹がグルリと鳴り、ゴーサインが出た。
チタンスフォークをスープにぶっ刺し、麺とカレーと肉を強引にかき混ぜ、一気にかき込む。スパイスと肉の脂味が麺に伝わり、渾然一体となって口一杯に広がる。「美味すぎる…」
スパイシーな吐息が漏れ、寒々とした室内に白く広がる。
お腹から温まってきた。この熱を逃さない内に眠りに就きたい。
完全防備を施して寝袋にくるまり目を閉じる。
ーDAY2ー
目が覚めた時は既に午前7時だった。
眠れぬ長い夜を過ごした。前日は朝夜行バスで目覚め、1日フル回転で活動し疲れていたはずだが、寒さのせいか全く眠れなかった。また、水場を確保できるか分からなかった為、水分摂取を控えていたのも地味に堪えた。やっと寝付いたのは午前3時過ぎ。
重い腰を上げ、トイレと併せて外に出てみる。昨夜まであった雪は一晩中振り続けた雨によりすっかり無くなっていた。しかし、雨脚自体は思ったよりも弱く、本日の山行に支障はなさそうで一安心。朝食にする。水の心配はあったが、冷えた身体を暖めたい。チキンラーメンにツナ缶を投入。正直別々に食べれば良かった。しかし士気は上がった。
パッキングを始める。本日の目的地の「酉谷山避難小屋」に早く着いても時間をもて余す。のんびりとやることにした。明るくなった屋内を見回す。3年前来た時と変わらず綺麗な小屋だ。ノートがあったのでパラパラと読んでみる。昨夜こそ他に誰もいなかったが、その前の日も含めコンスタントに利用者はいるようだ。一応、満員などで泊まれない可能性は考慮してはいたが、私一人だったのはラッキーといえよう。しかし、これだけの施設にタダで泊まれることを当たり前と思わないよう、感謝の気持ちを込めて床の間を掃き上げる。
8時40分、雲取山避難小屋を出発する。
まず小屋の裏手の雲取山山頂を経由して雲取山荘へと下りる。頂上までは本当に僅か、寝巻きにサンダルでも行ける距離だ。山頂脇の小道から雲取山荘を目指す。ここから先は私にとって未知の領域だ。小雨だが足元は悪くない。テンポ良く高度を下げ、15分で雲取山荘に到着。
山荘の向かいには無料の水場があり、ありがたく昨夜使った分の水を補充する。
登り区間が始まる。三峯神社と「長沢背稜」の分岐に行き当たる。
酉谷山へは長沢背稜を通って行く。進路を北東へ変え、更に登り続ける。雨が止んだ。
坂の途中で足を止め振り返ると、樹々の間から向かいの峰々が姿を覗かせていた。山麓に立ち込めてた靄の上にポッカリ浮いた峰々は何とも幻想的だった。
20分で「芋ノ木ドッケ」まで来た。ここまでで1時間10分、悪くないタイムだ。
しかし天気は再び下り模様で、辺りは再びガスに覆われてしまった。
芋ノ木ドッケからは小さいアップダウンの連続だった。この辺りは濡れた根の上を歩く区間が多く、スピードが出しにくかった。また、前日の石尾根と比べ道が少し分かり辛く、立ち止まって周囲を見回しルートを確認する場面も多かった。それでも時間を掛けて丁寧にルートファインディングすれば問題はなかった。
10時48分、「長沢山」の頂上を踏む。開始から2時間ちょっと。予想タイムは2時間半だったのでまずまずのスピードだ。長沢山で本日の行程の半分くらいだ。長沢山から更に背梁を進む。一旦分岐まで降り、そこからは再び樹林帯の中をアップダウンを繰り返し酉谷山へと向かう。雨は降ったり止んだりだ。
40分程で、酉谷山山頂と避難小屋への分岐に到着する。まだ正午過ぎで、巻道で避難小屋に行くと早く着き過ぎる気がした為、山頂経由で避難小屋を目指す。分岐からの登りは地味に傾斜があり、地味に長かった。20分強で本日のラストピークの「酉谷山」に登頂。時刻は12時44分。後は避難小屋へと下りるだけだ。山頂から避難小屋までは反対側から登った道に比べ歩き易く、15分足らずで辿り着くことができた。
入り口に近づくと、中から先客の方が出てきた。挨拶を済ませて屋内に入る。
中は5人泊まれる位のスペースで雲取山避難小屋よりは狭いが、同様に綺麗だ。何より嬉しいことに、備え付けで毛布や銀マットがある。それに小屋の前には水場も。荷を解き、着ていたレインウェアをこれまたご丁寧に備え付けられていたハンガーに掛けて、保温性の高いフリース、その上にダウンを着込む。先客のおじさんと情報交換する。おじさんはこの日、日原から山行を開始し、この先私と逆ルートで歩く予定らしい。
時刻は14時を回り、未だKazuさんが到着しないことに多少の不安を覚える。昨日からずっと圏外で、連絡を取ることができない。おじさんのルートはKazuさんと同じものと思われ、コースタイムや奥多摩駅からのバスの時間を計算すると、到着は遅くても15時過ぎではないかという話になった。それが日没前に小屋に着く最終ラインだからだ。
調理器具を並べながらおじさんが言う。「すいませんが夕飯は焼肉をいただかせてもらいますよ。明日に備えて英気を養わなければならないんでね」
私は「ご安心ください。これから来る私の友人が肉を持って来てくれるので」と切り返す。
今回の集中登山では役割分担として私が飲料水を、Kazuさんが肉を用意するということになっていた。目の前に水場が確保できた以上、私の役割などあって無いようなものなのだが。もしKazuさんと合流できなければ、この小さな避難小屋での夕食に深刻な格差が生まれることになる。それだけは何としても避けたい!
水を汲みに外に出る。外は太陽が姿を見せ、空気は澄んでいた。南西の方角には富士山も見えた。この山行をスタートして初めて、「おおっ」という風景を見られた。
富士山をのんびり眺めていると、崖の上から音が聴こえた。見上げると、本山行のパートナーが登山道を駆け下りて来た。
「お疲れ様です!」と、Kazuさんを小屋に招き入れる。おじさんと予想した通り、11時前のバスで奥多摩駅を出発し、東日原から「天目山」経由でのご到着ということだった。やはり、山屋の行動はタイムスケジュールが計算できるので安心感がある。
「肉持って来たよ」と言うKazuさんに、満面の笑みを浮かべる私。「ありがとうございます!これで夕食に格差がなくなりました!」
16時前。用意が整いKazuさんは昼と夕食、私は夕食前の間食として肉を焼き始める。暫くすると焼き目が付き、香ばしい香りが漂ってきた。ナイフで切れ目を入れ、中まで火が通っていることを確認する。焼き上がる直前におろしだれを掛け、最後にもう一炙りする。切り分けることなく豪快にかぶり付く。強烈な歯ごたえと共に肉汁が溢れ出す。おろしだれの酸味と合わさり口の中が幸せになる。更にKazuさんが荷揚げした対馬芋焼酎「伊藤」をグッといく。山でこんな贅沢できるなんて素晴らしい。
ひと段落してゆっくりしていると、窓の外が明るくなった。窓を開けると空が西日に照らされ、富士山が赤く染まっていた。静かな奥多摩の奥地…崖沿いの避難小屋の脇に立ち、自然に囲まれ暫し佇む…空気は澄み渡りうまい。この2日間を振り返り、大変だった部分もあったが、来て良かったと心から思う。
中に戻ってからはちょっとした宴が始まる。おじさんも話の輪に入り、酒やつまみをシェアし山談義に花が咲く。そんなこんなで、食べて飲んでいる内に夜は深まっていった。
気がつけば「伊藤」も空になり、宴会はお開きとなった。日常生活だと寝るにはまだ早い時間だが、山の就寝時間は早い。それぞれ寝支度を整える。たらふく食べて飲んで身体はポカポカだ。昨夜と比べ多少気温も高い。今夜はゆっくり眠れそうだ。
ーDAY3−
6時半起床。明け方に冷え込んだり、早朝出発の同宿のおじさんがバタバタしていた為、何度か目が覚めたものの、初日に比べたら快適な一夜を過ごすことができた。
外にでてみる。快晴の青空の下、東の尾根から今まさに朝日が昇ろうとしていた。
一日の始まり。朝食にKazuさんからいただいたカップラーメンを食べる。味噌味のパンチが身体に熱を入れる。水は下山用に確保した分を除いて全て使い切る。
8時40分、全ての準備が整い小屋内を片付け、酉谷山避難小屋を後にする。
まずは昨日私が歩いた道を戻り酉谷山を登る。15分足らずでサクッと山頂に上がってきた。前日のルートと違い、最初に急斜面で標高を稼ぎ、そのあとなだらかに登っていくせいか楽だった。その上、景観も昨日よりずっと良く、いい滑り出しといえる。
そこから高度を一旦下げ、アップダウンを繰り返し、長沢背稜を西へ向かう。この辺りは昨日予習済みだ。問題なく進む。しかし、同じ道でも天候が違うと見え方もまるで変わる。それに先に悪い状況を経験したお陰で、今の好天により一層の喜びがある。ある意味、一度の山行で二度おいしいといった感じだ。
1時間で「滝谷の峰」に到着、小休止をとる。進むべき方角を見定め出発する。ルート状況が分からなかった為、最初こそ地形を頼りに緊張感を持って歩き始めたが、すぐにそれらしきトレースを見つけてしまい拍子抜けする。トレースを辿ると物資運搬用のモノレールを見つけ、モノレールを辿っていると数分の間に2組も登山者と出会ってしまった。「何てこった!昨日まで2日間、誰ともすれ違わなかったのに!」
ルート上の木の枝にはリボンがくくり付けてある。視界良好で時間もタップリあるから、丁寧に進めば迷うことはなさそうだ。一旦下り切ると小さなピークにぶち当たる(大京谷の峰)。
突っ切るのか迂回するのか、所々ルートが不明瞭な箇所があり、その都度地図を見て方角を確認する。一人を偵察に出し一人がその場を確保。4つの眼で進むべき方向を見定める。こんな時はツーマンセルだと心強い。
大京谷の峰を越え進路を少し東に転じる。
リボンを見失ったとしても、下には降りないようなるべく高い所を歩くことを心掛けた。
どの尾根を歩いているのかさえ間違えなければタワ尾根ルート自体に危険な場所はなかった。
再びリボンを見失ったが、目の前のピークが「ウトウの頭」であることが明白だった為、斜面を直登することに。登っている途中で見つけたリボンに沿って頂上へ。
10時28分、ウトウの頭に到着。ここで2回目の小休止をとる。太陽は出ていたが歩いていて日陰が寒かったのでアウターにレインジャケットを羽織る。夏場ウィンドストッパー代わりにレインを着ると暑過ぎるが、この季節は丁度いい。前日の小雨にも最後まで撥水性を失わず、中を快適に保った。
ウトウの頭から先の道は、今回の奥多摩山行で一番のお気に入りとなった。これまで密生していた木々が減り視界が良く通る。高度感を感じながら、尾根そのものがルートとして連なる斜面を緩やかに下っていく。
上からは穏やかな日光が降り注ぎ、下には柔らかくて色鮮やかな枯葉が敷き詰められている。そんな中を時間に追われることもなく、時たま下から登ってくる登山者の方々と挨拶を交わし、どんぐりを探しながらのんびり歩く。
山行開始から約1時間で一石山まできた。
ここから日原鍾乳洞方面へと下りるのだが、Kazuさんが以前来た時の記憶を頼りに一石山神社へと続くと思しき、崖沿いの道を進む。その先には荒々しい道が続くが、綺麗な木造の階段やベンチ、焼却炉がある。これもバリエーションルートの一種だろうかと思っていたが、進めば進むほど道は険しくなってくる。遂には急峻な崖と、そこに張られたフィックスドロープやワイヤーが出てきた。しかも、ワイヤーにいたっては所々錆が浮かび、明らかにひと昔前に張られ、残置されたものだと伺えた。なにやらキナ臭くなってきた。
私が偵察としてロープを手掛かりに少し先まで下りてみる。何本も互い違いに配置されたロープやワイヤーは、20m程先の崖のフチまで伸びていることが確認できた。そこまで下りることは可能だったが、問題はその先だ。遠目にも切り立った崖が下方に100m以上は続いていることが見て取れた。地図で確認すると、今いるのは「籠岩」の辺りだった。このルートはどう考えても今は誰にも使われておらず、岩や足場は脆く、踏み抜きそうな箇所がいくらでもあった。
Kazuさんにそのことを進言すると、この先は危険すぎるから引き返そうということになった。
緊張感漂う中、来た道を登り返す。その途中、岩の壁面に慰霊碑を見つけた。何十年も前に、ここで崖登りをしていた少年が亡くなったようだ。やはり、引き返したのは正解だった。この場所は、今の我々のレベルや装備では余裕で全滅するような危険地帯だったのだ。
しかしその割に、放置されているとは思えないくらい綺麗な階段の存在が、より一層の異様さを醸し出していた。
標識に従い日原への道を下る。かなりの急坂をトラバースしながら高度を下げる。
ここが正規の登山ルート上だと思うと安心感がまったく違う。だが、日原からスタートしていきなりここを登ると考えたら泡を食いそうだ。
水路のような人口建造物や、落石防護柵が見え始める。登山口まであと僅かという所まで来たが、先導する私が順路を誤り一石山神社横の変な場所に出てしまった。
前方はどこもフェンスで遮られている。ゴール目前にして登り返すのも面倒臭い。ルート外を強引に神社裏まで移動することに。
13時を少し回ったところで登山口に到着した。正規ルートで問題なく一石山神社まで辿り付けたようだ。あとは「日原鍾乳洞」のバス停から奥多摩駅に戻るだけだったのだが、事前に確認していたバスの発車時刻が変わっており、僅か1分の差で乗り過ごしてしまう。便数の多い「東日原」まで歩いて再び時刻表を確認するが、こちらも1時間以上待つ必要があった。
結局、登山口から奥多摩駅まで2時間半近く掛けて踏破した。下り勾配だったからまだ良かったものの、思わぬ残業となった。しかしバスに乗らなかったお陰で、鉄橋を通過するトロッコや野生のカモシカを間近で見ることができた。
それに9km余分に歩いたという事実が、山行終了後のビールをより美味しくしたのだった。
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