今回のウサトレ舞台は下総の国・結城。JR水戸線の結城駅からスタートです。
1
4/12 9:16
今回のウサトレ舞台は下総の国・結城。JR水戸線の結城駅からスタートです。
駅南口に出るとすぐに「茨城百景 結城史蹟と名崎の送信所」の石碑。結城史跡よりも名崎送信所に反応するくま。戦前からNHK国際放送の送信が行われ、終焉間際には映画「ガメラ2」にも登場した送信所です。
0
4/12 9:22
駅南口に出るとすぐに「茨城百景 結城史蹟と名崎の送信所」の石碑。結城史跡よりも名崎送信所に反応するくま。戦前からNHK国際放送の送信が行われ、終焉間際には映画「ガメラ2」にも登場した送信所です。
線路沿いから旧国道50号線沿いを少し歩くと、「聯芳庵墓地裏参道」の石碑。ここから参道と、いきなりクライマックス「桟敷塚」があります。
1
4/12 9:34
線路沿いから旧国道50号線沿いを少し歩くと、「聯芳庵墓地裏参道」の石碑。ここから参道と、いきなりクライマックス「桟敷塚」があります。
戦国の世の序幕であり里見八犬伝の始まりでもある結城合戦。足利持氏の遺児 春王丸・安王丸を奉じて結城の城で挙兵した結城合戦。下総結城氏の第十一代氏朝・持朝親子が結城城から討って出て、ここ「さじき塚」で最期を遂げたと言われています。
2
4/12 9:40
戦国の世の序幕であり里見八犬伝の始まりでもある結城合戦。足利持氏の遺児 春王丸・安王丸を奉じて結城の城で挙兵した結城合戦。下総結城氏の第十一代氏朝・持朝親子が結城城から討って出て、ここ「さじき塚」で最期を遂げたと言われています。
・・・って、話終わり?いえいえ、この終末に向けた足跡を今日は辿っていくのです。石碑のたもとで揺れるホトケノザとテントウムシが時の流れを巻き戻してくれるかも。
2
4/12 9:40
・・・って、話終わり?いえいえ、この終末に向けた足跡を今日は辿っていくのです。石碑のたもとで揺れるホトケノザとテントウムシが時の流れを巻き戻してくれるかも。
でも「腹が減っては云々」、まずは腹ごしらえ。近くの焼き立てパン屋「バクtoPan」さんで朝ごパン(イートイン)と行動食のドーナツをゲット♪
1
4/12 9:43
でも「腹が減っては云々」、まずは腹ごしらえ。近くの焼き立てパン屋「バクtoPan」さんで朝ごパン(イートイン)と行動食のドーナツをゲット♪
線路を渡り、かつて結城城の城下町があった国府町通りを歩くと、永正年間(1504〜21年)に勧請されたといわれる雪光稲荷神社がありましたので、まずはご挨拶に参拝です。
2
4/12 10:29
線路を渡り、かつて結城城の城下町があった国府町通りを歩くと、永正年間(1504〜21年)に勧請されたといわれる雪光稲荷神社がありましたので、まずはご挨拶に参拝です。
駅北口前のめっちゃ近代的な結城市観光物産センターに立ち寄ります。併設された結城観光案内所で結城周辺の資料と結城城の御城印をゲット♪
0
4/12 10:33
駅北口前のめっちゃ近代的な結城市観光物産センターに立ち寄ります。併設された結城観光案内所で結城周辺の資料と結城城の御城印をゲット♪
駅前蔵通りを5分ほど歩くと大きな阿弥陀様。結城の市民から「金仏(かなぶつ)さん」の愛称で親しまれている常光寺さんです。
2
4/12 11:05
駅前蔵通りを5分ほど歩くと大きな阿弥陀様。結城の市民から「金仏(かなぶつ)さん」の愛称で親しまれている常光寺さんです。
結城は鎌倉時代から城下町として栄えて多くの神社仏閣があって、その多くに桜が植えられている桜の町なんだって。この常光寺に桜も桜巡りの名木に選ばれています。
2
4/12 11:06
結城は鎌倉時代から城下町として栄えて多くの神社仏閣があって、その多くに桜が植えられている桜の町なんだって。この常光寺に桜も桜巡りの名木に選ばれています。
境内の十九夜観音堂。安置されているのは十九夜様こと, 女性を助ける如意輪観音さま。このお姿、今回のウサトレの最終盤でもう一度拝見することになります。
1
4/12 11:09
境内の十九夜観音堂。安置されているのは十九夜様こと, 女性を助ける如意輪観音さま。このお姿、今回のウサトレの最終盤でもう一度拝見することになります。
駅前から続く「蔵通り」はその名の通り、古くから遺された結城の蔵や商家が立ち並び、これらを巡るだけでも楽しい散策になります(ただ、今はシャッターが多いのも事実で寂しいですね)。
1
4/12 11:13
駅前から続く「蔵通り」はその名の通り、古くから遺された結城の蔵や商家が立ち並び、これらを巡るだけでも楽しい散策になります(ただ、今はシャッターが多いのも事実で寂しいですね)。
今回ウサトレのメインテーマは結城氏。古い歴史をもつ結城家の氏神さま、結城七代直朝が定めた結城七社の一番札(牛頭天王)である健田須賀神社をお詣りします。
1
4/12 11:15
今回ウサトレのメインテーマは結城氏。古い歴史をもつ結城家の氏神さま、結城七代直朝が定めた結城七社の一番札(牛頭天王)である健田須賀神社をお詣りします。
同じ境内に祀られている猿田彦神社もお詣りして、猿田彦大神の御朱印をいただきました。
3
4/12 11:34
同じ境内に祀られている猿田彦神社もお詣りして、猿田彦大神の御朱印をいただきました。
もちろん健田須賀神社の御朱印もいただいています。もともとは延期式内社の健田神社と結城家初代朝光公が仁治三年(1242年)に創建した須賀神社でしたが、明治三年に合祀されたそうです。
1
4/12 11:35
もちろん健田須賀神社の御朱印もいただいています。もともとは延期式内社の健田神社と結城家初代朝光公が仁治三年(1242年)に創建した須賀神社でしたが、明治三年に合祀されたそうです。
健田須賀神社境内の桜も、もう満開をちょっと過ぎてちょりっと葉も出始め、ちょっとの風でも桜吹雪です。
2
4/12 11:39
健田須賀神社境内の桜も、もう満開をちょっと過ぎてちょりっと葉も出始め、ちょっとの風でも桜吹雪です。
でもまだまだ絶好調の桜さん、このくらい葉の出た頃合いの桜が好きなくまです
2
4/12 11:40
でもまだまだ絶好調の桜さん、このくらい葉の出た頃合いの桜が好きなくまです
こうして見ると、花弁が散った後に残った花芯も、またまた濃いピンクでキレイですね。
3
4/12 11:45
こうして見ると、花弁が散った後に残った花芯も、またまた濃いピンクでキレイですね。
結城家初代朝光公が親鸞の高弟・真仏に改組させたという結城氏の菩提寺「浄土真宗 本願寺派 新居山 稱名寺」へ。
1
4/12 11:53
結城家初代朝光公が親鸞の高弟・真仏に改組させたという結城氏の菩提寺「浄土真宗 本願寺派 新居山 稱名寺」へ。
石畳の奥、大銀杏の袂に立つ古い多宝塔が、結城氏初代・朝光公のお墓です。こちらには朝光・朝広・広綱・時広と四代までの結城氏の御真骨が埋葬されているとのこと。
1
4/12 11:56
石畳の奥、大銀杏の袂に立つ古い多宝塔が、結城氏初代・朝光公のお墓です。こちらには朝光・朝広・広綱・時広と四代までの結城氏の御真骨が埋葬されているとのこと。
称名寺境内で元気に駆け回るネコタがかわいい〜トカゲさんみたいなのを追いかけて遊んでいましたけど、追われるトカゲさんにとっては災難でしたね(^^;
2
4/12 11:59
称名寺境内で元気に駆け回るネコタがかわいい〜トカゲさんみたいなのを追いかけて遊んでいましたけど、追われるトカゲさんにとっては災難でしたね(^^;
お向かいにある国登録有形文化財「保坂家住宅」のお庭も桜が満開で、モミジとの競演。
2
4/12 12:04
お向かいにある国登録有形文化財「保坂家住宅」のお庭も桜が満開で、モミジとの競演。
こちらの庭のモミジは一年中紅葉している野村もみじという品種のようですね。青モミジと桜の花のコラボは何度も見ましたが、赤系同士の桜とモミジのハーモニーもなかなか♪
2
4/12 12:10
こちらの庭のモミジは一年中紅葉している野村もみじという品種のようですね。青モミジと桜の花のコラボは何度も見ましたが、赤系同士の桜とモミジのハーモニーもなかなか♪
結城十八代秀康(じつは家康の次男)が早世した長女松姫を供養するために創建した桜満開の弘法寺へ。この裏門は、万治年中(1660年頃)に建立されたもので、結城城の大手門だったものを移設したと伝えられています。
1
4/12 12:15
結城十八代秀康(じつは家康の次男)が早世した長女松姫を供養するために創建した桜満開の弘法寺へ。この裏門は、万治年中(1660年頃)に建立されたもので、結城城の大手門だったものを移設したと伝えられています。
境内の「さくらの絨毯」の上で、さじき塚の近くのパン屋さんでゲットしたランチパンをいただくま〜♪
4
4/12 12:20
境内の「さくらの絨毯」の上で、さじき塚の近くのパン屋さんでゲットしたランチパンをいただくま〜♪
広い境内にはたくさんの桜の木。昨夜の風雨の影響もあってか、桜吹雪であたり一面ピンクに染まっています。
1
4/12 12:38
広い境内にはたくさんの桜の木。昨夜の風雨の影響もあってか、桜吹雪であたり一面ピンクに染まっています。
まさに「さくらの絨毯」に立つウサさん。ここまで厚い桜絨毯はウサくまとも初めて体験しました〜
3
4/12 12:39
まさに「さくらの絨毯」に立つウサさん。ここまで厚い桜絨毯はウサくまとも初めて体験しました〜
桜並木の下に並ぶ六地蔵さまをしっかりお参り。
1
4/12 12:42
桜並木の下に並ぶ六地蔵さまをしっかりお参り。
真盛堂さんで結城名物・ゆでまんじゅうをゲット。江戸時代末期に、結城の町に疫病が流行したとき、当時の殿様が疫病の厄払いのため神輿を奉納した際、民衆に振る舞ったのが始まりだそうです。もちもちしてて美味しゅうございました。
1
4/12 12:48
真盛堂さんで結城名物・ゆでまんじゅうをゲット。江戸時代末期に、結城の町に疫病が流行したとき、当時の殿様が疫病の厄払いのため神輿を奉納した際、民衆に振る舞ったのが始まりだそうです。もちもちしてて美味しゅうございました。
結城七代直朝が定めた結城七社の二番札(住吉大明神)である住吉神社(西之宮)を参拝します。結城家の崇敬社として庇護され、江戸時代に入ると結城藩主水野家から庇護され、文政五年(1822年)に火災で焼失後、藩命により天保元年(1830年)に社殿を再建。現在の住吉神社社殿はその当時のものとのこと。
1
4/12 12:54
結城七代直朝が定めた結城七社の二番札(住吉大明神)である住吉神社(西之宮)を参拝します。結城家の崇敬社として庇護され、江戸時代に入ると結城藩主水野家から庇護され、文政五年(1822年)に火災で焼失後、藩命により天保元年(1830年)に社殿を再建。現在の住吉神社社殿はその当時のものとのこと。
狛犬さんも凛々しい!阿吽の狛犬さんも、吽形狛の足元のチビ狛ちゃんも、みんな正統派唐獅子風で強そうです。
1
4/12 12:54
狛犬さんも凛々しい!阿吽の狛犬さんも、吽形狛の足元のチビ狛ちゃんも、みんな正統派唐獅子風で強そうです。
拝殿横の池のある庭園でまたもひと休み。小さな滝のある池にはコイが泳ぎ、池端には立派なしだれ桜が満開♪
1
4/12 12:56
拝殿横の池のある庭園でまたもひと休み。小さな滝のある池にはコイが泳ぎ、池端には立派なしだれ桜が満開♪
しだれ桜とともに風になびくウサさんです。
2
4/12 12:58
しだれ桜とともに風になびくウサさんです。
神社の傍らに構える自動車整備工場さん。これはもう「アート」です!
0
4/12 13:01
神社の傍らに構える自動車整備工場さん。これはもう「アート」です!
西之宮住吉通りを東進して県道結城二宮線との交差点のすく近くの「結城蔵美館」に立ち寄ります。この建物は明治中期に米屋の倉庫として使われた見世蔵を改修したそうです。
1
4/12 13:06
西之宮住吉通りを東進して県道結城二宮線との交差点のすく近くの「結城蔵美館」に立ち寄ります。この建物は明治中期に米屋の倉庫として使われた見世蔵を改修したそうです。
館内では企画展も行われていましたが、うさくまの興味はもっぱら結城の歴史。一番見たかったのは、戦国時代の結城城縄張り図(古地図イメージ)でした。
1
4/12 13:15
館内では企画展も行われていましたが、うさくまの興味はもっぱら結城の歴史。一番見たかったのは、戦国時代の結城城縄張り図(古地図イメージ)でした。
お隣には結城の町らしい古民家(登録有形文化財)を利用したパン屋さん「ぱんや ムムス」。お店の方々の庶民的な雰囲気と「町のパン屋」とは一線を画すように居並ぶ本格的なパンたちのギャップが面白いお店です。パンはどれもリーズナブルで超美味でした。
1
4/12 13:27
お隣には結城の町らしい古民家(登録有形文化財)を利用したパン屋さん「ぱんや ムムス」。お店の方々の庶民的な雰囲気と「町のパン屋」とは一線を画すように居並ぶ本格的なパンたちのギャップが面白いお店です。パンはどれもリーズナブルで超美味でした。
私立結城小学校の塀沿いは川をイメージした公園。塀沿いも小学校んの桜が満開で覆いかぶさってきます。神社やお寺が密集してて、さらには学校や工場敷地にも桜。それぞれに桜が美しい結城のまち、恐るべし!
2
4/12 13:36
私立結城小学校の塀沿いは川をイメージした公園。塀沿いも小学校んの桜が満開で覆いかぶさってきます。神社やお寺が密集してて、さらには学校や工場敷地にも桜。それぞれに桜が美しい結城のまち、恐るべし!
親鸞聖人と玉日姫との別れの際に袖を形見に切ったとの伝承が残る「袖切り橋」です(ウサさんがすご〜く長い由来話を語ってくれました)
1
4/12 13:37
親鸞聖人と玉日姫との別れの際に袖を形見に切ったとの伝承が残る「袖切り橋」です(ウサさんがすご〜く長い由来話を語ってくれました)
5分ほど県道結城二宮線を歩くと、くまの食指を誘う「たまおか食堂」さんの少し先の角が、結城城西之宮口跡・・・といっても今は何の遺構もないようです。
0
4/12 13:43
5分ほど県道結城二宮線を歩くと、くまの食指を誘う「たまおか食堂」さんの少し先の角が、結城城西之宮口跡・・・といっても今は何の遺構もないようです。
それでも結城城跡へ向かう途中にこんな竹林の風景を見ると、土塁なのでは?と思ってしまいます。
0
4/12 13:52
それでも結城城跡へ向かう途中にこんな竹林の風景を見ると、土塁なのでは?と思ってしまいます。
路傍の朽ちた小さな石祠も、なかなかに歴史を積んでいそうです。
1
4/12 13:54
路傍の朽ちた小さな石祠も、なかなかに歴史を積んでいそうです。
道すがら点在する桜を愛でながら民家や畑の間を歩いていくと、ふっと周囲が開けました。そこには「結城城の廓と内堀」案内板。食堂から歩いてきた道は西館という曲輪だったみたい。さっきの竹林の印象もアナガチ外れていないかも。
1
4/12 13:56
道すがら点在する桜を愛でながら民家や畑の間を歩いていくと、ふっと周囲が開けました。そこには「結城城の廓と内堀」案内板。食堂から歩いてきた道は西館という曲輪だったみたい。さっきの竹林の印象もアナガチ外れていないかも。
菜の花の揺れる内堀の遺構。かなり大きな堀ですね。今歩いている道が元々土橋だったのでしょう。
1
4/12 13:57
菜の花の揺れる内堀の遺構。かなり大きな堀ですね。今歩いている道が元々土橋だったのでしょう。
城跡歴史公園の西側に鎮座する結城聰敏神社。旧結城藩は徳川家康の子である秀康が結城家の養子に入り十八代当主となったものの越前北ノ庄(福井)に転封となっていったん途絶えます。
0
4/12 14:00
城跡歴史公園の西側に鎮座する結城聰敏神社。旧結城藩は徳川家康の子である秀康が結城家の養子に入り十八代当主となったものの越前北ノ庄(福井)に転封となっていったん途絶えます。
その100年後に水野勝長が能登国西谷藩より転封して、結城藩を立て直したそうで、その水野家(宗家)初代当主・水野勝成公を祀っているのがこの神社だそうです。
0
4/12 14:01
その100年後に水野勝長が能登国西谷藩より転封して、結城藩を立て直したそうで、その水野家(宗家)初代当主・水野勝成公を祀っているのがこの神社だそうです。
境内から芝生の広がる公園は地元のみなさまの憩いの場所。城跡歴史公園は、かつての広大な結城城の北東、ごくごく一部分にすぎないそうですが、この広場あたりが実城(主郭)だったようです。
1
4/12 14:02
境内から芝生の広がる公園は地元のみなさまの憩いの場所。城跡歴史公園は、かつての広大な結城城の北東、ごくごく一部分にすぎないそうですが、この広場あたりが実城(主郭)だったようです。
公園北側のあじさい坂からの眺め。畑の中に見える丁字路のあたりが結城城北口跡・・・らしい。西之宮口跡同様、こちらも遺構らしきものはなさそうです
1
4/12 14:22
公園北側のあじさい坂からの眺め。畑の中に見える丁字路のあたりが結城城北口跡・・・らしい。西之宮口跡同様、こちらも遺構らしきものはなさそうです
結城合戦タイムカプセル埋設記念碑。何を埋めたんだろう〜合戦終結600年後(2041年)に開けるらしい、でも結城合戦って書いてあるから、まずは結城城御城印とともにパシャリ♪
2
4/12 14:26
結城合戦タイムカプセル埋設記念碑。何を埋めたんだろう〜合戦終結600年後(2041年)に開けるらしい、でも結城合戦って書いてあるから、まずは結城城御城印とともにパシャリ♪
公園東端の四阿からは筑波山がきれいに見えていました。信仰の山・筑波山と結城合戦の結びつきとは如何に?(後述)
1
4/12 14:30
公園東端の四阿からは筑波山がきれいに見えていました。信仰の山・筑波山と結城合戦の結びつきとは如何に?(後述)
季節終盤を迎えた桜のトンネルを通って実城から中城へ抜けていきます。
1
4/12 14:52
季節終盤を迎えた桜のトンネルを通って実城から中城へ抜けていきます。
途中にかかる「みかつき橋」。なんと江戸時代以来、何度も試みられた「結城家埋蔵金掘り起し」のために城址内各所を掘った跡に大正期に架けられた橋。
1
4/12 14:53
途中にかかる「みかつき橋」。なんと江戸時代以来、何度も試みられた「結城家埋蔵金掘り起し」のために城址内各所を掘った跡に大正期に架けられた橋。
こっちはしっかりと遺構として雰囲気を漂わせる堀跡ですよね〜竹林のずっと奥へとつながっているようです。
1
4/12 14:56
こっちはしっかりと遺構として雰囲気を漂わせる堀跡ですよね〜竹林のずっと奥へとつながっているようです。
ショカッサイ、シャガ、クサノオウなどなど、桜以外にも、路傍には春のお花がいっぱいです。
2
4/12 14:57
ショカッサイ、シャガ、クサノオウなどなど、桜以外にも、路傍には春のお花がいっぱいです。
二の丸跡を抜けて水辺公園にやってくると、大きなシラサギが一羽、飛び立っていきました。
1
4/12 15:03
二の丸跡を抜けて水辺公園にやってくると、大きなシラサギが一羽、飛び立っていきました。
池のほとりの桜も満開ちょっと過ぎたくらいで、まさに今が盛りって感じです。
2
4/12 15:08
池のほとりの桜も満開ちょっと過ぎたくらいで、まさに今が盛りって感じです。
夕方になって少し風が出てきたので、しだれ桜の枝が大きく揺れて、また一層の趣きになっています。
2
4/12 15:11
夕方になって少し風が出てきたので、しだれ桜の枝が大きく揺れて、また一層の趣きになっています。
見事なしだれ桜の下でくまも撮ってもらいました♪
5
4/12 15:12
見事なしだれ桜の下でくまも撮ってもらいました♪
水辺公園を抜けて、吉田用水の支流に沿って歩きます。この辺りは結城城の外堀だったようです。
1
4/12 15:18
水辺公園を抜けて、吉田用水の支流に沿って歩きます。この辺りは結城城の外堀だったようです。
向かう東の青空の下には、どっかりと筑波山。ここから車で10分ほどにある(あった?)「結城ガーデン」からは毎年1月12日朝に双耳峰の間からの日の出(ダイアモンド筑波山)が見られるそうです。
0
4/12 15:26
向かう東の青空の下には、どっかりと筑波山。ここから車で10分ほどにある(あった?)「結城ガーデン」からは毎年1月12日朝に双耳峰の間からの日の出(ダイアモンド筑波山)が見られるそうです。
東は晴天なるも西を振り返ると、天使のはしごは下りてきているけど、なんか怪しい雲行きだな〜
2
4/12 15:27
東は晴天なるも西を振り返ると、天使のはしごは下りてきているけど、なんか怪しい雲行きだな〜
結城家十七代晴朝の開基で松月院殿慈室妙永大師の菩提を弔うために、乗国寺四世信及前豚和尚により創建されたという松月院をお参りします。
0
4/12 15:32
結城家十七代晴朝の開基で松月院殿慈室妙永大師の菩提を弔うために、乗国寺四世信及前豚和尚により創建されたという松月院をお参りします。
そして、今回ウサトレの2度目のクライマックス、慈眼院結城家御廟を参拝します。
1
4/12 15:39
そして、今回ウサトレの2度目のクライマックス、慈眼院結城家御廟を参拝します。
こちらは高札場跡でしょうか。何かしらの墨の筆跡は確認できますが、素人が読めるようなものではありません。
1
4/12 15:40
こちらは高札場跡でしょうか。何かしらの墨の筆跡は確認できますが、素人が読めるようなものではありません。
この地は、かつて小塙・乗国寺末の福聚山慈眼院という曹洞宗寺院の境内で、結城氏歴代の御廟としてふさわしいものだったそうです。ここ慈眼院八尺堂観音に本尊や観音様を祀られていたらしい。
0
4/12 15:40
この地は、かつて小塙・乗国寺末の福聚山慈眼院という曹洞宗寺院の境内で、結城氏歴代の御廟としてふさわしいものだったそうです。ここ慈眼院八尺堂観音に本尊や観音様を祀られていたらしい。
八尺堂の傍らに同じ姿の石仏がたくさん。一番左の石仏には「奉造立十九夜念佛中」「正徳二壬辰十月十九日同行二十一人」と刻まれています。このお姿、今朝お参りした常光寺の十九夜観音堂の如意輪観音さまですね。
2
4/12 15:42
八尺堂の傍らに同じ姿の石仏がたくさん。一番左の石仏には「奉造立十九夜念佛中」「正徳二壬辰十月十九日同行二十一人」と刻まれています。このお姿、今朝お参りした常光寺の十九夜観音堂の如意輪観音さまですね。
少し寂しい感じの今の御廟ですが、結城市の市指定文化財史跡としてしっかりとした解説版が設置されていました。結城十八代のそれぞれのお墓の場所が記されています。
1
4/12 15:43
少し寂しい感じの今の御廟ですが、結城市の市指定文化財史跡としてしっかりとした解説版が設置されていました。結城十八代のそれぞれのお墓の場所が記されています。
初代から十八代までの五輪塔が立ち並ぶ墓周囲には、土塁や堀がめぐらされ、床面には大谷石が敷きつめられて、慈眼院往時をしのばせるます。そして、ここには当時結城の兵どもを翻弄した歴史の激流とは裏腹に、悠久の時の流れが静かにたゆたっている気がします。
2
4/12 15:47
初代から十八代までの五輪塔が立ち並ぶ墓周囲には、土塁や堀がめぐらされ、床面には大谷石が敷きつめられて、慈眼院往時をしのばせるます。そして、ここには当時結城の兵どもを翻弄した歴史の激流とは裏腹に、悠久の時の流れが静かにたゆたっている気がします。
もう鉄塔とか見えるんだけど、それでも令和とは思えない別世界。ちょっぴりわかりにくい場所にあって、もちろんひと気もなくて、なんとなく戦国時代にタイムトリップした気分に。
1
4/12 15:51
もう鉄塔とか見えるんだけど、それでも令和とは思えない別世界。ちょっぴりわかりにくい場所にあって、もちろんひと気もなくて、なんとなく戦国時代にタイムトリップした気分に。
筑波山。結城十一代氏朝・十二代持朝父子などが永享の乱で自殺した足利持氏の遺児(春王丸・安王丸)を擁して挙兵し、結城合戦が始まります。通説では、日光山中禅寺にて安王丸と春王丸らを匿ったとありますが、筑波神社記録では筑波山中禅寺別当潤朝の父・筑波玄朝が鎌倉から連れ来て、筑波山で匿ったあと、結城城近くにて挙兵した、とあるそうです。
1
4/12 15:58
筑波山。結城十一代氏朝・十二代持朝父子などが永享の乱で自殺した足利持氏の遺児(春王丸・安王丸)を擁して挙兵し、結城合戦が始まります。通説では、日光山中禅寺にて安王丸と春王丸らを匿ったとありますが、筑波神社記録では筑波山中禅寺別当潤朝の父・筑波玄朝が鎌倉から連れ来て、筑波山で匿ったあと、結城城近くにて挙兵した、とあるそうです。
最後に十三代成朝が、結城合戦にて破れた十二代結城持朝の菩提を弔う為、開山したのが始まりと伝えられている乗国寺へお参り。
2
4/12 16:09
最後に十三代成朝が、結城合戦にて破れた十二代結城持朝の菩提を弔う為、開山したのが始まりと伝えられている乗国寺へお参り。
こうして結城の地を訪れることができて、里見八犬伝の始まりの物語も、より心に染みるようになってしまいます。
1
4/12 16:15
こうして結城の地を訪れることができて、里見八犬伝の始まりの物語も、より心に染みるようになってしまいます。
今回の里見八犬伝めぐりウサトレは、東結城駅のホームから筑波山を望みながら、一巻の終わりです。
1
4/12 16:34
今回の里見八犬伝めぐりウサトレは、東結城駅のホームから筑波山を望みながら、一巻の終わりです。
帰路、3月と同様にJR東鷲宮駅で途中下車して日帰り温泉「百観音温泉」で温泉&打ち上げ〜お疲れ様でした♪
1
4/12 17:40
帰路、3月と同様にJR東鷲宮駅で途中下車して日帰り温泉「百観音温泉」で温泉&打ち上げ〜お疲れ様でした♪
今回のウサトレで歩いたルートを結城城縄張り図に重ねてみました。最近のウサさんの楽しみなのです♪
2025年04月16日 01:45撮影
1
4/16 1:45
今回のウサトレで歩いたルートを結城城縄張り図に重ねてみました。最近のウサさんの楽しみなのです♪
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する