小渋川・赤石岳・荒川三山
- GPS
- 85:20
- 距離
- 36.9km
- 登り
- 3,723m
- 下り
- 4,126m
コースタイム
12/29 2100M6:20ー8:00露地ー9:30舟窪ー13:50森林限界ー15:00ダマシ平ー16:50赤石岳避難小屋
12/30 赤石岳避難小屋7:10ー8:30大聖寺平ー9:30荒川小屋直上ー11:30荒川前岳ー11:50荒川中岳12:10ー14:00悪沢岳14:10ー15:50千枚岳ー17:00標高2600M付近
12/31 標高2600M6:30ー8:00マンノー沢頭ー9:20標高2200M付近(ガレ場)ー11:30二軒小屋11:50ー14:00伝付峠ー15:00出合ー16:00保利沢小屋ー17:50田代発電所ー18:50伝付峠入口バス停ー19:10新倉
過去天気図(気象庁) | 2013年12月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
○小渋登山道へつながる林道は、釜沢温泉荒川荘付近から先冬季通行止めとなっている。 ○小渋川の水流は少なめで、最深でも腰まで。その代わり、河原の積雪が想定よりかなり多く、想定外のラッセルを強いられた。 ○広河原小屋ー稜線間は、ほぼラッセル。概ね太腿辺りまでだが、舟窪から上は部分的に胸まで潜る(夏道を通らず、ダマシ平へつながる稜線を直登した。)。 ○大聖寺平から前岳へは夏道を通らず稜線上を行く。二重稜線の箇所は、基本的に静岡寄りを行くが、上部へ行くほど痩せ尾根の岩稜地帯となるので、ルート選択に気を使う。 ○中岳避難小屋の入口は雪で閉ざされており、容易には開けられない。 ○悪沢岳への登りは夏道沿いだが、雪が割りと締まっていたので、トラバースを避け、直登した箇所もあった。 ○千枚岳の登りは、雪がやや不安定。ルートを間違え下に行き過ぎたりしたので、通過に苦労した。 ○千枚岳から下部は積雪深く、ルート不明瞭。 ○千枚岳ー二軒小屋間は2000M付近までラッセルだが、下りだったこともあり、左程苦労しなかった。2200M付近のガレ場から先は尾根が末広がりになり、ルートが分かりにくい。 ○保利沢小屋から先、2011年の台風被害のため、ルートが大きく変わっている。道は急斜面に張り付くような不安定なものであり、細心の注意が必要。 ○新倉近辺は携帯の電波が届かない(au)。 |
写真
感想
赤石岳〜荒川三山冬季縦走を予てからやりたく思っていた。この年末は暦の兼ね合いで長く休みが取れる。よって今年がチャンスと見極め、秋口から入念に準備を行って来た。11月下旬に千枚岳まで来たり、千枚小屋の様子を確認する等々(結局本番では千枚小屋は立ち寄らなかったが)。赤石岳に登る一般ルートと言えば、椹島からラクダの背を越えて小赤石岳へ至るのが常道だと思うが、最後の詰めの登りが自分には困難に思えるため、今回の小渋川遡行ルートを選んだ。このルートは過去3回ほど通行したこともあり、勝手知ったる道ではあるが、腰までの渡渉を強いられるのが難点である。昨年のヤマレコの記録で、釣り用のウェーダーを着用して通過した方がおられたので、それに倣い、6000円程度のウェーダーを上州屋で購入。厳冬期ということもあり、体を極力水に濡らさぬよう気を配り、凍傷対策を万全なものと努めた。恐らく自分以外の通行は期待できないので、大聖寺平までは強烈なラッセル地獄が待っていよう。体力には自信があるとはいえ、30キロ近い荷物を背負い、この苦行に耐えることができるのか?とりあえず、稜線まで辿り着けば何とかなる。単独で赤石岳〜荒川三山冬季縦走をやっている人は何人もいるみたいだし、自分も出来ないことはない。でも、小渋川から入って、反対側の二軒小屋、伝付峠方面に抜けたという記録がどうしても見当たらない。それなら自分がやって見せようぞ!不安と緊張で、出発の日が近づくと山のことで頭がいっぱいになった。ところで、予定では予備日2日を入れて6日間。予定通りなら、大晦日の午後に山梨県早川町新倉に着く。車はスタート地点の長野県大鹿村にデポなので、下山後回収に戻らなければならない。あんな山奥の林道に6日間も置きっ放しは何と無く心配だが、致し方ない。また、肝心の天気については、かなり前から気象庁ホームページ等でチェック。甲信南部は概ね冬型気圧配置のため安定との公算が高まり、まずはホッと胸を撫で下ろした。
12月28日(晴のち曇)釜沢ー標高2100M付近(テント泊)
昨晩は仕事から帰りシャワーを浴び髭を剃り、即座に八王子の自宅を出発。中央道駒ヶ岳SAで仮眠し3時半頃起床。雪がチラチラ舞い、気温はマイナス2〜3度程度と思われるが寒い。山登りの当日朝の夜明け前は決まって心細い気持ちになる(単独行の場合は特に)。ところが、朝日が出ると一気に気持ちが昂ぶってくるから不思議なものだ。松川インターで降り、伊那大島駅近くのコンビニで迷った挙句、ゴム手袋を購入(遡行用:これは結局役に立ったかどうか分からない)。思えば、三日後下山するまでの間、最後に会った人がここの店員だった。大鹿村大河原から林道に入り、しばらくすると積雪が見られるようになる。赤石荘を過ぎると、路面の凍結が部分的にあるが、冬用タイヤなので問題はない。荒川荘を過ぎ、沢を渡りカーブを曲がったあたりでロープが張られ通行止めとなっていた。これは当初から調べていた通りであり、ここから徒歩開始は折り込み済である。荷物を整理し終わりそれを背負ってみると、何と重いことか・・・。食料はもちろん、テント・ガスボンベ3缶・スコップ・ワカン・アイゼン等々。更に遡行用のウェーダーがこれに加わるが、川に入れば代わりに靴を背負うことになる。いずれにせよ広河原までの辛抱だ。しかし、これら以外にビール2缶や湯たんぽなど、余計な物まで持ってきてしまった。それでいて、もうこの時点で気付いていたのだが、シュラフカバーを忘れるという失態を犯していたのだ(これについては、ザックやツェルトで上手くカバー出来た)。5:30頃に出発。まだ辺りは真っ暗なのでヘッドライトをつける。車は駐車スペースの関係で、沢を渡った地点に戻し、歩いてカーブをもう一度通過し、ロープを直進して緩やかに川岸へ近づいた(これが最初の大失敗であり、2日目の行程に大きく影響を与える結果となった。)。しばらくすると広い河原となり、突然道が無くなった(ように見えた)。よく見ると、心細いながらも道が続いており、河原伝いに伸びているように見えたが、如何せん暗くて良く分からない。おかしいと思い、何度か行ったり来たりを繰り返すうち3〜40分ロスしてしまった。良く考えれば、車道はこの先湯折まで続いているはずであり、河原に降りて沿う箇所などないはずだ。しかし三度も来ていながらこの林道の記憶が至って曖昧だ。ロープの地点に戻って見ると、工事現場の駐車場と勘違いしていた反対方向に180度曲がって登って行く道が実は正しいルートであることがようやく呑み込めた。気を取り直し再出発するが、こうしている間に周囲は明るくなってきた。湯折のゲートを過ぎ、七釜橋に着いた頃は7時半を経過。早速ウェーダーを着用し、靴を脱ぎザックに結わいつける。今までウェーダーを肩に担いできたので、手の自由が出来、多少歩きやすくはなったが重い。それにしても、思ったより河原の積雪が多い。本来なら、川の中に入るのは必要最小限に留めたいところだが、どちらを通るか迷ってしまう。水量は冬場ということもあり、また秋以降降水量が少ないことも確認しているが、やはり大したことはない。凍結箇所に気を配りつつ、高山の滝付近までは順調に進んで行った。しかし、積雪は次第に増加し、河原の通過はラッセルのため困難を極めるようになった。とはいえ、川に入れば大きな岩や激流に遮られ、通行は捗らない。ラッセルと言っても、所詮岩だらけの河原なので至るところに落とし穴が待ち受けている。一度、足を取られた弾みで、荷物の重みもあり真後ろに一回転してしまった。そんなこんなで、11時半すぎにやっと広河原到着。ウェーダーを小屋にデポするが、ここまでにおいて既に疲労困憊となった。軽く昼食をとり、先へ進む。この積雪状況と自分の疲労具合から、滑るストレスを最小限に抑えるべく、ワカンとアイゼンを同時着用した。尾根への取り付きまではラッセルだったが、尾根に乗ってからは雪の量が少なくなり歩きやすくなった。大聖寺平までの距離表示を頼りに、重荷に耐えゆっくりと進んで行く。2時頃から雲の量が徐々に増え、やがてガスに覆われ視界不良となったが、樹林帯なのであまり関係ない。今日の目標は舟窪手前の2300M付近までだったが、序盤の失敗などもあり、どうやら無理そうだ。徐々にラッセルが厳しくなり、大聖寺平まで3.5キロを過ぎた辺りのやや勾配が緩やかになった地点を整地し、テント設営とした。地形図等から判断する限り、標高2100M位までは上がって来たと思われた。時間は16時半頃で既に暗くなりかけていた。テントに入り、冷えた体をストーブで暖める。今日明日が寒気の底らしく、冷え込みがかなりきついが疲れたのでビールが美味い。晩飯はキムチ鍋で、最後にご飯を入れ雑炊とした。この「ご飯」を炊くため、今回は秘密兵器の「不思議なめし袋」を使用。簡単に炊けてしまうので、アルファ米のようなかさばる物を運んでくる必要がない。しかしながら、まともに食事がとれたのはこの日が最後であったことはこの時知るべくもない。燃料節約のため、食事が終わると湯タンポに湯を入れ、就寝体制に入る。時刻は19時半。既述のとおり、シュラフカバーを忘れたので、ツェルトをシュラフの上に重ね、足をザックに突っ込んだ。湯タンポの効果は抜群であり、全く寒さを感じることがなかった。
12月29日(晴のち曇り時々雪)標高2100M付近ー赤石岳頂上避難小屋
今日は何としてでも赤石岳頂上避難小屋まで辿り着きたい。途中幕営適地が見当たらないからだ。4時半に起床し、マルタイ棒ラーメンを調理するが、どうも食欲がない。昨日のキムチ鍋の味が濃すぎたか、口の中に塩辛さが残っている感じであり、軽く胸がムカムカする。それでも無理に胃に流し込んで、まだ暗いうちの6時20分に出発。本日のルートの最大の思案どころはどこで夏道と別れ、稜線に向かうかである。それとも忠実に夏道を辿り大聖寺平に到るか・・。実は7年前の11月末に同じルートを通り大聖寺平へ夏道を辿り通したことがある。あの時は今回ほど積雪がなかったが、森林限界先のラッセル地帯を苦労しながら越えた記憶が残っている。雪が締まる直前の斜面トラバースがかなり微妙だった印象が強いため、出来れば早い段階で夏道と別れ稜線沿いを進んで行きたいところだ。距離的には、広河原ー大聖寺平間の半分まで昨日のうちに登って来ているため、これからいかにラッセルが厳しくなるといえども、赤石稜線には午前中に、いや遅くとも2時までには着くだろう。逆に言えば、その時間までに着かなそうなら、森林限界まで引返すことにしよう。陽が出て明るくなり、8時過ぎに前岳崩壊地を臨む展望地に到着。地図を見ると標高2250M位であり、舟窪まで一息である。昨日は後半に天気が悪くなったが、今朝は予報通りの好天であり、遠くに中央アルプスが良く見える。やがて二重稜線のような地形となり、左手を赤いテープ沿いに進むと舟窪である。稜線沿いに行くなら、先程の二重稜線右手を行くべきだったかと地形図を見ながら思案する。この時点でラッセルが太腿辺りに達しており、思いの他時間がかかってしまった。先程の二重稜線右手は岳樺や這松が覆っており、ラッセル➕落とし穴が多そうであり、余り好き好んで突っ込みたい道ではなかった。よってしばらく夏道を追うこととした。時間は9時半を過ぎ、既にスタートから3時間。300M標高を稼いだのは良いとして、距離は1.5キロほどしか来ていない。まあでも午前中までには稜線に着けるだろうとこの時点ではまだ思っていた。舟窪を過ぎると平坦になり、樹林帯が疎らとなりやがて目の前に大聖寺平方面に続いているであろう斜面が開けた。夏道が判然としなくなり、ダマシ平へショートカットする稜線(先程の二重稜線右手の延長)も右手高くに遠ざかった。ここで迷った挙句、ショートカット稜線へ直登することに方針転換するが、結果的には遠回りになるかもしれない。斜面の直登は、積雪を垂直方向に潜るため、実の積雪量以上の猛ラッセルを強いられる。芋虫が這うように少しずつ前進し、時にはずり落ち、繰り返しているうちにようやくショートカット稜線上へ登り詰めた。余りに時間がかかり過ぎたため、時刻を確認する気力さえもなかったが、いつの間にやら西から乳白色の雲が近づき、頭上を覆い尽くそうとしていた。ダマシ平の辺りでガスに巻かれるのは嫌だなと少し不安な気持ちになった。ショートカット稜線上は依然として雪に締まりがなく、落とし穴も多く、通行困難状態は相変わらず。ただ、数が少ないながら赤テープをいくつか発見し、今通っているところが冬季ルートとして誤っていないことを確信し、少し元気になった。登って行くうちに立木がなくなり、次第に顕著な尾根道となり、雪も締まるようになってきた。しかし、油断すると突然深く潜ったりするので全く安心出来ない。深みから脱出しようとし、片方の足を踏み入れたらそこが締まった硬い雪面で、全力で潜っている方の足を引っこ抜いて這い上がった瞬間に、今度は硬いはずの反対側の足を置いた雪面が崩れ、再び深みにはまるというイタチごっこを何度繰り返したことだろう。周囲は完全にガスに覆われてしまった。中々先が見えず、そろそろ進退を見極めなければならないところだ。地形図で確認される2685Mピークが先程から見えているが、一向に辿り着けない。ここで時計を見ると13時50分。もう雪も大分締まって歩きやすくなったことだし、15時にはダマシ平に着けると見込み、突っ込むこととした。果たして、2685ピークを越した後は、意外に呆気なくダマシ平に着いた。時刻は15時。赤石岳までは夏道通りで2時間程度かかろう。無理せずここからより近い荒川小屋に行くという手もある(赤石岳は諦めざるを得ないが)。更に悪いことに天候が悪化し、風が強くガスは濃く、粉雪も吹き付けてきている。それでも結局は予定通り赤石岳を目指すことを選択。磁石で方向確認し、小赤石岳へ続く急登へと歩を進めた。そして、2時間かからず、赤石岳頂上の標識を目にした時は、思わず絶叫をあげてしまった。それほど苦しく長い一日だった(その前に小赤石岳を赤石岳頂上と勘違いしてぬか喜びしていた)。
山頂標識には脇目も振らず頂上避難小屋に駆け込む。そして小屋内にテントを張り、潜り込んでコンロを燃やして暖まるが、吹雪の稜線を2時間歩いて来たため、軽い低体温症にでもなったのかしばらく震えが止まらなかった。その晩は食欲が出ず、ショウガ湯と甘納豆少々のみ。思えば初日に阿呆な道間違いさえやらかさなければ、もう少し標高の高い場所まで到達していた筈であり、そうすれば赤石岳頂上にもっと余裕を持って到着出来たであろう。とにかくも疲労感著しいため、明日は今日来た道を引き返すことを真剣に考えた。
12月30日(晴)赤石岳頂上避難小屋ー標高2600M付近(テント泊)
朝方時計を見ると時刻は4時50分を過ぎていた。40分程の寝坊だ。目覚ましをかけた筈だがと時計を手にとって確認するが、スイッチを押し忘れていたようだった。相変わらず食欲ないので昨晩同様ショウガ湯で朝食を済ます。昨日は小屋に入ってから震えが止まらなかったが、湯たんぽを抱いてシュラフに潜り込むといつの間にか体がポカポカになり、寒さを感じることなく過ごすことができた。初日のテント場では朝方の気温が手元の温度計でマイナス20度だったが、ここは標高3120Mの山頂だ。温度を計る気力も無かったので分からないが、前日と同じかもしくはそれ以下に下がっていたかもしれない。
さて、一晩寝て体が十分暖まったことにより考えが変わり、予定通り荒川三山へ縦走することに決めた。6時20分頃を過ぎると東の空の明るみが次第に顕著なものへと変わり、今日は雲一つない快晴であることが明確になった。事前の予報でも今日が高気圧の中心に覆われ最も天候が安定するだろうことは確認していたが、その通りになってくれて本当に嬉しい。明るくなると急に元気が湧いてきて、急いで出発の準備に取りかかる。小屋を出たのは結局7時を過ぎてしまい、その時には既にモルゲンロートは収束しつつあった。山頂へは数十メートルの登り返しだが、昨日の疲労がそのまま残っているようで一気に登れない。今日は、前岳への岩稜地帯の登り、悪沢岳への登りという難敵を控えており、これでは先が思いやられる。そして、最終的には千枚岳を越えることが絶対条件である。何故なら千枚岳までは稜線伝いであり、適当なビバーク地がないから。中岳には避難小屋があるが、出来ればそのような中途半端な所に泊まりたくない。赤石岳頂上は360度の大展望。もうすっかり昼間のように明るくなってしまい、朝焼けの荘厳な景色とはいかなくなってしまったが、それでも目を見張る美しさに見惚れ20分間ほど長居してしまった。さて、大聖寺平へ向け一気に下る。雪庇は発達していたが、特に危険箇所もなく快適な歩行であった。途中小赤石岳頂上から大倉尾根ルートを見下ろすが、登山者は確認できず。3030ピークからはアイゼンを効かせ真一文字に下り、昨日苦労して辿り着いたダマシ平へ。昨日はガスで視界が利かなかったため、改めて来たルートを確認し写真を撮っておく。大聖寺平までは赤石岳頂上から1時間かからず到着。ここから夏道と別れ稜線上を行く。荒川小屋へと続く夏道は緩やかに下っているが、こちらは登り下りを繰り返す。荒川小屋の真上に当たる地点までは特に危険箇所もなく順調に歩を進められる。荒川小屋までは稜線から目と鼻の先であり、冬季でも荒川小屋は十分に使用可能であることが分かった。ここから先は二重稜線となり、更に急勾配の岩稜地帯が現れる。ルート取りに神経を使うところだが、全体を見つつ、予め大まかなルート取りをイメージし必要に応じ微調整していけば、大きな過ちを犯すことなく着実に前進できる。途中茅ヶ崎の烏帽子岩のような形をした岩を巻く時には多少コース取りに迷ったが、総じて下から見るよりも案外容易に登ることが出来、大聖寺平から3時間かけようやく前岳到着。風の通り道に出たのか、この辺りから急に風が強くなってきた。昨日までは昼前後から雲が出だしたが、今日は依然その気配もなく、わずかな巻雲が上空を舞うのみである。前岳をわずかに下ると荒川小屋方面に下りる夏道分岐が見えるが、えらい急下りだ。よくこんな道をつけたものだと思わず溜息が出た。中岳までは前岳から目と鼻の先。そこを下ると避難小屋がある。扉のレール上に雪氷が覆っており、除雪して開けるのは難儀に見えた。幸い天気が良く、風さえよけられればさほど寒くない。日当たり良く風が当たらない場所を選んで昼食とするが、どら焼き半分食べるのがやっとだった。時刻は正午を少し回ったばかりであり、昨日と打って変わって快調である。もちろん中岳避難小屋へは泊まらず先へ進む。左手に塩見を望みつつ鞍部の痩せ尾根を進むが、この辺りは雪が多少もろく潜る箇所も出てくる。鞍部を過ぎるといよいよ難関の悪沢岳登りが目の前に。先程から悪沢岳を睨みつつルート取りをイメージしながら歩いて来たので、大まかな進路は分かったが、岩稜が張り出して黒くなっている箇所だけはもっと近づかないとどうしても分からない。それにしても人を寄せ付けないような迫力のある岩稜の登りだ。夏道はジグザグにトラバースを繰り返すが、滑ったら真っ逆さまのトラバースが苦手な自分はどうしても直登を所々で選択してしまう。結果的には距離短縮になったかもしれないが、疲労蓄積で体力半減状態なので、5歩進んではゼイゼイ言いながら数十秒休むといった有様だ。途中何度も強烈な突風に煽られるのには閉口したが、わりと呆気なく悪沢岳に到着。時刻は予定を上回る14時10分前。この山には何度か来たことがあるが、今日みたいに天気が良いのは初めてである。赤石岳は壁のように聳え、反対側には塩見、間ノ岳、仙丈、そして甲斐駒ヶ岳まではっきり見える。ここまで来れば、縦走の成功は現実的に見えて来たも同然だ。ここから丸山までは二重稜線地帯で枝尾根もいくつかあるので、3年前に来た時は視界不良で帰り道のルート取りに苦心し冷や汗をかいた覚えがあるが、今日は全く問題ない。そして、ここからはトレース跡を発見。大鹿を出てからここまで全く人の痕跡が無かったのだが、久しぶりに人に会えるかもしれない。そういえば実際、人どころかあらゆる生き物に遭遇していないのか・・・。ライチョウでも歩いていないかな・・
最後?の難関は千枚岳への登り返し。3年前の記憶では楽勝だったので気を抜いていた訳でもないが、雪の状態悪く思わぬ苦戦を強いられた。一箇所道をあやまって下り過ぎ、そこから直登で登り返すところでは、雪の下が草付きでアイゼンが効かず、なおかつ周囲に目ぼしいホールドが少なかったので、危うく進退窮まるところであった。そんな訳で、千枚岳山頂には15:50頃の到着となり、悪沢岳からの所要時間としては大幅に超過してしまった。しかし、後は下るのみであり気持ちも大分楽なはず、であるが疲労困憊でそんな余裕はとても持てない。千枚岳にはつい一月ほど前にも来ているが、雪が着いていない箇所などもあり、逆に雪が少なくなっているのではと感じたほどだった。さて、ここからの行程が思案のしどころであり、千枚小屋に泊まるか、それとも二軒小屋に進むか?このことである。小屋へ行くと、明日登り返しがあり、距離も遠回りになる。二軒小屋方面ならテント泊まりだ。とりあえず小屋方面へ下りる。しかし、しばらく下ると途端に雪が多くなり久方ぶりの本格的ラッセルとなった。おまけにルートが判然としなくなり、下方に小屋は見えていたが、どうコース取りをして良いか迷った。その挙句、小屋へは向かわずそのまま東方向へ直進し、二軒小屋方面へ行く事に急遽方針転換した。今だ森林限界上でありラッセルも深かったので、日も大分傾いていたこともありテントの張り場所探しに焦ったが、時間切れとなり森林限界下まで行き切らない風を遮れそうな斜面下の平地を見つけ設営した。設営している間に周囲は暗くなり、3日続けて夕暮れを鑑賞する余裕のない幕営となってしまった。何はともあれ、これで危険地帯は脱し、あとは下るのみとなった(伝付峠への登りはあるが)。その晩相変わらず食欲はないが、疲れたのでビールがうまかった。強烈な風が一晩中吹き荒れていた。
12月31日(雪のち曇りのち晴)標高2600M付近ー新倉
朝起きたら雪だった。昨日のトレースも新雪に埋もれ見えなくなっている。今日は強行軍だが何とか新倉まで辿り着き、新年を下界で、暖かい布団で迎えたい。雪が降っているのを見て、つくづく千枚小屋に行かなくて正解だと思った。恐らく登り返しが強烈なラッセルとなっていたであろう。しかしながら、現地点はまだ標高2600M前後であり、しばらくは困難なラッセルが続くことだろう。二日振りにワカンを装着し6時30分頃出発する。それなりに覚悟はしていたのだが、実際歩いてみると下っているということもあるが、左程の苦労を感じない。ワカンが効いているのか、それほど深く潜らないのである。ただ視界不良なので道間違いしないよう細心の注意を払った。最初は赤テープが発見できず、正しいルートかどうか確証が持てなかったので、尾根右手にあるガレ沿いをひたすら進んだ。夏道もこのガレ沿いに沿って付いているはずである。やがて印を発見。そこからはしばらく迷うことなく快調に進んで行った。一瞬東の空に太陽が顔を覗かせる瞬間があり、天気の快復を予想させたが、マンノー沢頭辺りで青空が見え出した。2200M付近で再び右手にガレ場が現れる。3年前はこの辺りでテントを張ったものだった。道はこの辺りから二軒小屋へ向けてやや不明瞭な尾根を急降下して行くのだが、勾配が急になる地点で道が分からなくなってしまった。今まで豊富にあった赤テープが急に見当たらなくなったのである。地形図とにらめっこするが、尾根が末広がりなので分かりにくい。ガスは切れたが、既に樹林帯の中なので尾根全体の俯瞰が把握出来ないのだ。困ったことだがとりあえず地形図ではしばらくガレ沿いに進んでいるようなのでその通り進む。しかし目印が全く見当たらず不安になる。紛らわしい枝尾根がいくつか並列しているので、違う尾根に入ってしまっては一大事。500M程下ったのち、ザックを置いて同じ標高線上を伝って隣尾根を偵察して見た。すると100M程左手に赤テープとトレースを発見。ここから先は迷うことなく、10時40分頃、ようやく二軒小屋を眼下にはっきり見渡せるところまで下って来た。しかし、最後の急坂で下降地点を見誤り、あっちこっちうろうろしてしまい30分くらいロスしたため、二軒小屋到着は正午近くになってしまった。ここで久方ぶりの水場に遭遇し、水をがぶ飲みする。何とか明るいうちに新倉へ着こうと先を急ぐ。ここからは伝付峠への600M登り返しが待っている。既に体力は風前の灯状態であり、カーブを曲がるたびに膝に手を付き立ち止まってしまう有様。何しろ、食料が全く減らないため荷物もさっぱり軽くならないのだ。荷物を下に降ろすと再び担ぎ上げるのに途方もない体力を使ってしまうので、余り無闇に降ろしたくない。そのような訳で、ザックを背負ったまま両手を膝に付いた体制で休まざるを得ないのである。ところで伝付峠への道は所々標高を記した看板がかかっているので、多少の気休めにはなる。1700Mの看板を過ぎた辺りで一頭のカモシカを発見。これが実に今回の山行で初めて目にした生き物だった。這々の体で伝付峠に到着したのが14時。実に2時間以上二軒小屋から要してしまった。ここで茫然と10分くらい座り込む。後は下るのみと気合いを入れ直して再出発する。内河内出合に着いてもまだ結構な積雪量だが、幸い歩きに左程の支障はない。内河内沢沿いの登山道は2年前の台風被害でしばらく通行止めだったと聞いているが、保利沢小屋まではそのような痕跡は余り感じられなかった。しかし、ここを出てしばらくすると、斜面に横付けされたような道が大きく崩壊し、橋や手摺りの残骸が各所でぶら下がっている光景が前方に現れた。当然通行止めであり、迂回路は川を対岸に渡り、反対側斜面に取り付いて行くのが見えた。やれやれまた登り返しか、とうんざりするが、すぐ下降すると思っていた迂回路はなおも高度を上げて行く。しかもかなりの急傾斜に取り付けられており、一歩間違えれば真っ逆さまに川まで転落だ。落ちれば怪我では済まないだろう。さすがに黄色の補助ロープが並行して取り付けられているので、進退窮まるような危険はない。だが、雪が中途半端に積もっており、気が抜けない。道は更に登り続け、いい加減体力の限界が近づいてきた。遥か上方にこの斜面の頂上が見えてきたが、まさかあそこまで登るなんて無駄なことはしないだろうなと最初は思っていた。ところが、頂上の方を良く見ると、例の黄色い補助ロープがこれ見よがしになびいているではないか・・・。結局一番高い所まで連れて行かれ、今度は内河内沢とは一つ山を隔てた別の流れに向けて下降を開始した。この時点で、既に日が沈み周囲は暗闇に包まれようとしていた。疲労限界を超えた体を引きずるように、急ぎ足でかつ慎重に危険な急傾斜を下る。周囲は暗く、道が分かりにくくなって来たところで、前方に斜面全体が流されたような崩壊地が現れた。なんと崩壊地の対岸に例の黄色い補助ロープがかかっているではないか!崩壊地は遥か下方に続いており、幅が5M程あるので強引に横断するのはかなり難しそうだ。まさか最後の最後にこのような抜き差しならない事態に陥るとは・・・
ところが、上方を良く見ると少し登り返せば対岸に渡れそうな地点があり、やや崩壊気味だが何とか通行出来そうなことが分かった。腰を下ろしながら慎重に下降するが、足の置き所が不安定でいやらしい地点があった。荷物も重く、体の自由があまり効かない状態で横着したのがいけなかった。右足を着地させるや否や、ずるっと滑った瞬間に崩壊地へ落ち込むように滑落を始めた。運の良いことに、5Mほどで大きな倒木が塞いでおり、右足で倒木をキックすることで滑落は止まった。そこからは、最後の力を振り絞るように急傾斜を登り返し、黄色い補助ロープまで這いつくばるように生還した。幸いどこにも怪我はないようだ。大きく深呼吸し先へ進む。河原までは目と鼻の先の距離だったが、地図で改めて確認するとここを下降し続ければ、田代発電所に着くことが分かった。案の定すぐにダムの堤防のような人工物が見えてきた。既に真っ暗だが、それを見て元気が湧いてきた。間も無く道路に出、田代発電所の脇を通過し、県道に続く見覚えのある道路に合流した。山道はついに終わった。ここから伝付峠入口バス停まで真っ暗で長い道路を約1時間。時刻は18時50分であり、最終バスはとっくに出てしまっているので、1キロほど離れた新倉集落まで歩き、公衆電話からタクシーを呼んだ。今日は大晦日であり、身延山参拝客のためタクシーが出払っているようだったが、山中で凍死してしまうと泣きついて無理して来てもらった(嘘 &笑)。その後は、下部温泉駅からJRで甲府に出、駅前のホテルに泊まった。明日は大鹿まで車を回収しに行かねばならない。ホテルの大浴場で4日分の汚れを落とし、冷え切った体を温め、無事帰って来た実感に浸るのだった。そう言えば、最後に滑落した際頭に傷を負ったようで、額から流血していたことが判明。大したことはなかったが、やはり滑落は無事には済まないと思った。
(追記)
反省点と良かった点をそれぞれ少々
まず、くだらない道間違いが多過ぎた。あと、下調べも不十分だった。特に内河内沢登山道のルート変更についての調査が全く抜け落ちていた。また行程が忙しく、全く余裕がなかった。千枚から先は2日かけても良かったかも知れない。何と言っても、暗くなってから疲労困憊の状態であのような危険箇所を通行するなどもっての外だろう。
良かった点は防寒対策。ポリエステル&プレスサーモの下着を2枚重ね着したのと、股引(ロングタイツ)も同様に2枚着用したのが良かった。また今回のために高価なオーバー手袋を購入したのだが、これが使い勝手が非常に良く、保温性も抜群だった。おかげで凍傷の心配をすることがなくて済んだ。あとは湯たんぽ!これがあったおかげで寝ている間に寒さを感じることもなかった。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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初めまして。
ヤマレコの場合、デフォルトでは書き込み当日から5日前?までの記録しか一覧表示されないため、この記録を目にするのはユーザのほんの一部でしかないのがもったいないです。私は全書き込みを見られるように毎回操作しているので気づくことができました(クリックが2回増えるだけなんですけど)。
この時期単独でこのルート、この日程は凄すぎます 私は厳冬期の高山は登りませんのでkonchan6さんが体験した本当の厳しさは理解できないと思いますが、ソロで道無き残雪期の高山での幕営はやっておりますので苦労の一端だけは分かります。残雪期なので深いラッセルは無いですし最低気温は-13℃程度、最長3泊くらいで荷物は20kgくらいでしょう。たぶん30kgは担げないし、その状況でラッセルする根性は・・・
私の場合、真冬の間はほとんど雪が無い&道がない低山で籔漕ぎで、花粉が飛び出したら徐々に北上し、関東北部も花粉が飛びだしたら雪がある新潟、長野、福島の籔山で、4月以降が本格的に残雪期の活動開始です。
とにかくこんな凄い山行を成し遂げて無事に(軽傷くらいで済んで)下山できておめでとうございます。
toradango様
コメントありがとうございます。下山してから一ヶ月過ぎましたが、とにかく疲れたという印象しか残っていません。もう少し雪山を楽しむ余裕のある山行計画を立てるべきだったと反省しています。
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