短歌で詠う百名山32 苗場山
苗場山
のこる雪苗場の嶺に斑なり今か萌ゆらん去年分けし芽 与謝野寛
わが恋ふる苗場は遠く淡淡と煙のごとき雲のまつわる 土屋文明
わが恋ふる雪の苗場山奥にありて濡れしスキーヤー夕下り来る 柳瀬留治
神楽峰越えて巻道に汗をかく苗場の頂きいまだ見えぬに 沢口芙美
深田はこの山は新潟の人には目に触れない奥山であるがゆえに信仰を集めたと言う。
ネットでヒットしたのは次の歌です。
苗場山
苗場山のうっすら霜の木道に滑ってはしゃぐ六十女は
汽車ぽっぽのように肩寄せ足踏みし日の出を待てり六十女は
チョコや飴を山の空気はおいしいと残さず食べる六十女は
佐知子の短歌集1〜山に登れる喜び〜
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~tamu/sub6-H26-tanka1-yama.htm
苗場山には伊米神社がある。
「山頂の湿原いっぱに 苗を植えた稲田のような小さな池が広がる苗場山。水の中に生えるタテヤマスゲ エノホノイなどは秋になると穂を付け、カエルや
イナゴまでいるというから面白い。池の大きさは五〜十メートル。深さ二十〜四十セノチ。これが約六百個も散在するのだから、見事だ。
村人は神がここに天降り、田植えをしているとして、山に作物の守護神「伊米神社」を祭ってある。祭神は、死んだ体から穀物が生えたという神話から食物の神とされている保食神(『日本書紀』)とのこと。話はよくできていものだ。
江戸後期の越後の文人・鈴木牧之も《是絶頂ま周り一里といふ。莽々たる平蕪高低の所を不見、山の名によぶ苗場といふ所ここかしこにあり。そのさま人のつくりたる田の如き中に、人の植たるやうに苗に似たる草生ひたり、苗代を半とりのこしたるやうなる所もあり。これを奇なりとおもふに、此田の中に蛙皇后もありて常の田にかまる事なし、又いかなる日てりにも田水枯ずとぞ。》(『北越雪 譜』)と述べている。」・・・とよた時著「山の神々 いらすと紀行」(東京新聞出版局)
苗場山と言うのは、越後において古くから知られた山あったわけっですが、いまでも国道17号線で三国峠を越えて越後に入っても三国街道からは見えないと思うのだが。
田代スキー場付近からも見えないと思う。私としては神楽峰から初めて平らな山上を見た。
あとは白毛門や谷川の山頂からとから、それとわかる台地を見たと思う。
与謝野鉄幹や土屋文明がどこから眺めたか定かではないが苗場スキー場の頂点は苗場山の前衛の山である。改めて地図を見て佐武流山がネバスキー場の裏にあることにむしろ驚いた。
苗場山も悲しいかな新潟の歌人に恵まれなかったようだ。宮も越後三山には目をむけたものの山には疎い歌人であった。
新潟県の、と言うか越後の生まれで山をよく詠みこんだ歌人が現れなかったのはきわめて残念だ。
それと、新潟県の最高峰でありながら、疎まれている山がある。唯一2700mの標高を持ちながら、その山を単独で登られることが無い。小蓮華岳2760mだ。白馬から栂池に降りるコースにのみ踏まれるピークです。白馬の隣にあるピークなのだが少し可哀そうな気もする。
苗場には赤湯からのコースでピストンするのも面白いかもしれないので、其の中計画してみようと思います。
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