2014年10月に再発したガンと付き合いながらも講演に全国を回り、歌を唄い、山に登り、そして、高校生ら若い世代や女性たちに山を登る楽しみを伝授し続けたお話。主たる部分は日記のような時系列で、2014年10月6日から始まっていて、最後は2016年8月18日、つまりお亡くなりになったのが10月20日なので約2カ月前まで。後半は闘病のつらさとの葛藤もあってちょっと痛々しい。
それにしても、がん再発のことは夫を含めわずか5人(医師を除く)にしか知らせていなかったとのこと。毎年恒例の被災した東北の高校生の富士山イベントも2016年は、抗がん剤治療中、病院を抜け出して参加(登山としては元祖七合目で本人は引き返した)されていたというのは驚きです。
あとがきというか、最後の一章は、夫の田部井政伸氏による「淳子のこと」ですが、この部分、初出は「文藝春秋 2017年1月号」の「妻・田部井淳子 最後の手紙」とのこと。この政伸氏の一筆がまたすばらしいというか、妻を最後まで支えた政伸氏自身がすばらしいのですが、今回はこちらの方にぐっと来てしまいました。この人にこの人あり、という感じ。せっかくの機会なので、この機会に山岳雑誌の田部井淳子追悼特集の類を一通り読んでみましたが、年表をみるとご結婚が1967年4月ということなので、もうあと半年ほどでご結婚50周年だったのですね。
田部井淳子さんの著書は他にも多くあるようですし、田部井政伸氏の「てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方」や山岳雑誌記事に追悼文を寄せられている北村節子さん(ガン再発を知っていた5人の中の一人)による「ピッケルと口紅」もいずれ読んでみたいと思います。
【読了日:2018年4月9日】
こんにちは。
新聞連載で田部井さんを描いた小説を読んだことがありますが、ご主人も先鋭的なクライマーだったそうですね。仕事・子育てと忙しい田部井さんの海外遠征は、ご主人との共同作業だった、そんな印象を持ちました。
まさに、この人にこの人あり、ですね。
富士山イベントもテレビで何度か放送されていました。子供たちに向ける笑顔や励ましの言葉、それを見守るご主人の姿。自分の人生を生ききってきた、そんな清々しさを感じました。
kamadamさん、いつもコメントありがとうございます。
福島と秋田とで離れてはいるものの、東北人として何か通じる思いもあるのでしょうか?
ご主人・田部井政伸氏の「てっぺん」の方も図書館から借りてきたところなのですが、別の読みかけの本があるので、それが終わってからになります。いずれにせよ、楽しみですし、また感想を日記にアップしたいと思います。
nomoshinさんの読書日記に触発され、田部井さんの小説を読み始めました。「それでも私は山にのぼる」の後に、「再発!それでもわたしは山に登る」を読んで、がんの再発に伴う様々な治療を受け入れながら、自分の生き方を貫き、山に登り続けた田部井さんの後半生を知り、改めて、素晴らしい登山家だったな〜と田部井さんを再認識しました。また、田部井さんの山登りを支えたご主人の田部井政伸さんの素晴らしい夫婦愛に感動しました。これからも田部井さん関連の読書を続けていきたいと思っております。
matusanさん、コメントありがとうございます。返信が遅れて失礼しました。
田部井夫妻といい、山野井夫妻といい、すばらしい絆で結ばれていますよね。極限の現場を知っているからだこそなのでしょうか? 苦難・苦労が人を育てているような…
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