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きっかけは、前の前の日記(最近読んだ本「山靴の音」)に対して頂戴したnaiden46さんからのアドバイスです。そのアドバイスにはいくつかの図書がリストアップされていましたが、その中からこれを選んだのは、前の日記で紹介した「岳人備忘録」に松本龍雄(竜の字が違っていましたが…)氏のインタビュー記事が載っていたからです。(まだご存命)
時代はちょうど私が生まれたころに始まった一の倉沢や穂高、剱における初登攀競争の頃でして、「埋め込みボルト」を始めて使ったのが松本氏だったようです。
山本勉氏(緑山岳会)と競った一ノ倉沢コップ状岩壁(昭和33年)については、二人並んで攀じ登っている写真も掲載されていました。
いずれにせよ、凄い人たちなんだろうな〜、とあんまり身近には感じられませんでした。それと、文章の乗り具合としては、なんとなくふっきれていなくって、つねに自問自答しながら岩登りを続けていた(若きクライマーの)心情が表れている気がします。その中で比較的明るい雰囲気なのが、屏風岩から前穂北尾根を縦走したところのようです。長い縦走なので仲間との連帯感がにじみ出ているからではないでしょうか。また、一ノ倉沢の冬季初登攀を終えた後、谷川岳国境稜線で雪庇を踏みぬいて滑落しかけるところは、さすがにはらはらどきどきです。
さて次は、ほとんど同時期に同じような活動をされた吉尾弘氏の「垂直に挑む」を読み始めたところです。角度や個性が違うと同時期がどのように描写されるのか、興味があります。
nomoshinさん本当に読んでいただいたんですね、
もしかしてお読みになるのが随筆や回想録なのかと思いましたが、
先人の開拓時の意欲と苦労を多少わかっていただけたらと思い推薦した次第です、
私達の当時の山岳会のチーフリーダーの時代は昭和30年代後半からでしたけど、
どの尾根や岩壁もそんなに荒らされてなく高い技術がなければ行けない時代でしたが、
それでも10代の若い人を積極的に谷川岳の一ノ倉沢や幽ノ沢などの岩場に連れて行き経験させ、
自らは困難を求めて先人の後を追って行きました、当時は北アや劔は合宿以外には金銭的に手が届かなく小屋泊まりはなく、
行くときは重い三角テント持参ですし、合宿で一週間から十日ですから、他の月は会山行もあり大変だっと思いますよ、
私にとって神様的な先輩たちでしたよ、チーフは名だたる岩場は殆ど登り60を過ぎてからは毎年のようにヨーロッパに出掛け、
岩などを楽しんでいますよ、現在は70代半ばに成ろうとしますが、今だに各岩場を登り山岳ガイドとしても活躍してますよ、
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