この前に読んだ山の本が、杉本光作氏(東京登歩渓流会)の「私の山 谷川岳」でしたので、その続きのような流れで読むことができました。まさに戦中から戦後の社会人山岳会のさまざまな動きを振り返った内容でして、時代背景に想いを馳せることができます。とくにこの緑山岳会は、東京本所区(現在の墨田区)に本拠地があり、下町(江戸っ子気質)の若者が集まっていて、大変個性豊かだったようです。
この本には、当時の(特に東京近郊の)社会人山岳会の数々とそこで活躍していた沢山の方々が登場します。一読しただけではとても全部を覚えられませんが、他の本と組み合わせて読むと、いろいろと人間関係(コミュニティ関係)が分かるので役立つかも知れません。
ちょっとばかり発見したこととしては、この本のp.139に掲載されている写真です。昭和23年(1948年)8月に谷川岳・一ノ倉沢旧道出合で撮影されたものなのですが、左手後ろに木の柱が立っていて、そこに達筆でこう記されているのが読みとれたのです:「男なら二たび登らん一の倉」
この本のお陰で戦後の混乱期の中で山で血を沸かせていた当時の若者たちの心情が多少は分かった気になりました。(私を含めて、苦しい時代を知らない人間には所詮限界がありますが・・・)
前回の杉本光作氏といい今回は寺田甲子男氏ですか、懐かしい人の名前を思い出させてもらいました、
いろんな著書を読んでいると、先輩方の苦労や当時の今では信じられないような貧弱な装備を工夫などして補い服装や装備などわかり、
それぞれの人の繋がりなどが結構わかって面白いでしょう、私達の時代もまだそんな雰囲気が残っている時でしたよ、
恥ずかしながら、かれこれ40数年前に寺田甲子男氏率いる東京緑山岳会の人とか、東京雲稜会の吉野幸作氏ほか数名には、
一度私の山岳会はお世話になりました、その時にはテキパキとした指示をいただきましたよ、
特に東京緑山岳会は多くの人の救助や遺体の運搬など数えきれないほどの功績を残しながら、当時の風評は悪く言う人が多かったです、
書いてある通り下町っ子の性格でズバリと物事を言うので誤解されたんでしょう、
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