内容としては、9編からなっていて、それらのタイトルは、「剣岳八ツ峰第六峰Dフェース」「積雪期谷川岳一ノ倉尾根」「谷川岳幽ノ沢中央壁」「厳冬期甲斐駒ヶ岳黄連谷左俣」「前穂高東壁右岩稜前面フェース」「積雪期剣岳剣尾根西面中央ルンゼ」「積雪期谷川岳幽ノ沢右俣V状岩壁」「北穂高岳滝谷グレポン」「積雪期前穂高東壁Dフェース」です。順番は時代として古いものからでして1953年7月から1961年3月までの約8年間ということができます。日本の岩場の初登攀争いが概ね終息する時期と言うことが言えそうです。
先に読んでいた「垂直の上と下」
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-date-2012-02-6
の著者・小森康行氏(1935生)は、後輩(愛弟子?)に当たるので、いくつかのお話については、同一の登攀をそれぞれの方の観点で検証することができると思います。ちなみに、本書の解説も、小森氏が担当されています。
小森さんもそうでしたが、古川さんも、とても前向きでしかも着実な山男らしいクライマーであることが、文章のふしぶしから伝わってきて、読後感さわやかな好著でした。それにしても、凄いところを登る人たちですよね。
やはりこの本にたどり着きましたか、私の持っている本は発行社が違いますね、
「山と渓谷社」の発行が昭和40年4月1日の初版で480円で、古本屋で260円でした、当時は本屋などで山の本を探しては、読んでいましたし、上野駅から確か谷川に行っても往復で、1000円チョットで足りたと思いますよ、
山岳会の例会にはチーフの家でしたが、そこには二間程の広い本棚があり、岳人など山の本がズラッと並んでいましたし、
実際にいろんな本に書かれている、岩には殆ど登っていましたし、
現在も70代半ばを過ぎていますが、若い時とは違いますが、齢なりに岩などを登ったり、ガイドなどをしていますよ、
当時は危険な山の入山の規制がなく、冬山でも自己責任で自由に入れた時代ですし、今のような豪華な設備や装備でなく、貧弱でしたから尚更困難でしたよ、
この時代の山の装備や岩壁の事は、ヤマレコの「ainakarennさん」が詳しいですよ、
naiden46さん、コメントありがとうございました。
この「わが岩壁」はもっと早くに読まなければいけなかったですし、読みたかったのですが、入手が困難になりつつあるように思われます。
本の上でだけですが私も知っている、当時の有名なクライマーの方々の名前も沢山登場し、この時期の盛り上がりが想像できたりしました。上野発の夜行列車の喧噪ぶりなども、今では遠い昔のことですよね。
まだまだ山の名著は沢山あるでしょうし、二度三度と読み返すのも楽しいでしょうし、晴歩雨読で続けていきます・・・
昔読みましたが、まったくと言ってほど内容は忘れていました。ただ古川さんの業績だけは覚えています。
最近になって、厳冬期甲斐駒ヶ岳黄連谷左俣の部分だけを読み返してみました。氷のルートをアイスクライミングを意識しては日本で最初の試みだったことを知ったからです。この種の本は当時の登山を取り巻く環境を知った上で読まなければいけない本だと思いました。
古川さんのすごさは「山に対するセンス」が非常に優れていることだと思えます。これが新ルートの開拓や何回も死線を越えてこられた力になっているように思えます。
ところでJCCは日本クライマーズクラブではなく、日本クライマースクラブです。
コメントありがとうございました。
JCCの読みですが、まったく意識したことはありませんでした。勉強になります!
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