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この前に読んだ分水嶺モノ「分水嶺ひとりある記」の福田氏は、点としての分水嶺踏破でしたが、細川氏は正真正銘の分水嶺踏査で、線として竜飛岬から下関までを歩かれています。但し、一筆書きではなく、向きも順番もばらばらでつぎはぎではあります。(もしそうでなく、リレー式だったら、それはそれで驚異的ですね。) また、副題に「単独」とありますが、全部が単独行というわけではありません。すべての区間に細川氏が含まれているという意味で、チームとしての踏査(e.g. 日本山岳会の行事)ではないという意味で「単独」が使われていると思います。それでも後半の近畿・中国地方は結果的にほとんどが単独行になっています。
本書の最大の特徴は、「高木」(低木の対語)に深い造詣をもった著者が、「高木対話」として8つのコラムを挿入して、それぞれのコラムで2種の高木による対話形式で現代の環境問題(文明批判)を綴っているところにあります。この部分だけでも価値があると思われますが、それに加えて、本州分水嶺のすべて(約2,800km)を39年間かけて歩き通した経験の中から、主要なエピソードが記録されているわけですので、なかなかの読み応えです。特に私個人としては、第三章「分水嶺をゆく楽しみ」にとても共感を覚えました。
巻頭には、「この本をいまは亡き次男・泰生に捧げる」とありますが、34歳の若さの次男さんを交通事故で亡くしていることが後書きで触れられています。また、最後の2009年4月の山行(この時著者は66歳)では、ゴール地点に奥様が迎えに来てお祝いして下さったようですが、その写真の背景がどこかの工事現場風になっているのも、地味な分水嶺歩きの象徴のように感じた次第です。
記録としては、苦労した箇所がいくつか登場しますが、私も同じように苦労して歩いたところが間違いなく登場してくるので、ますます親近感が湧きました。もちろんまだ私の知らない困難な場所もいくつも登場しますが。そして、写真を見ると、装備が私の装備に非常に似ているのにも気づいてしまいました。妻曰く「似たような変人がほかにもいるんだねぇ」
なお、この本の定価は税抜で2,800円ということなのですが、本州分水嶺の距離を丸めた数字ではないかと、私は勘ぐっています!(どこにも記載はありませんが…)
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