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氏の10日ほど前の日記では同郷の登山家「故・山田昇」さんの名前に触れていました。
ずいぶん古い人を思いだしてもらって、それが嬉しくてコメントを入れさせていただきました。
そして先週末、所属していた高校山岳部OB会の広報誌が郵送されてきたのですが、そこには山田昇さんと三枝照雄くんのマッキンリーでの遭難死から30年が経過したと書かれていました。
山田さんは私より7歳年長ですので直接の関わりはないのですが、三枝くんは一年後輩でしたので日々一緒に部活をし、山行も共にしていました。
山で亡くなった人の多くが「いい奴だった・・」という言葉で惜しまれますが、三枝くんは小柄ながら筋力があって、出しゃばらず、へこたれない、本当にすばらしい男でした。8歳年長の山田さんが弟のように引き連れてくれる、と聞いた事がありますが、山田さんにとっても安心できるパートナーだった事は想像に難くありません。
二人を記念して建てられた「オーロラの詩」の説明版が老朽化して立て替えられたそうです。
30年経過を期に、昇さんのお兄さんが運営してきた「山田昇ヒマラヤ資料館」は閉館へ向かうそうです。
節目の年に、macchanさんの筆を借りてちょっとこの世に顔を出したかったのかもしれませんね、山田さん。
31歳で他界した三枝くん、僕は彼のちょうど2倍生きてきました。
2倍生きてみて、その間いったい何をしたのかな?
・・・
いやいや、やっぱり生きててナンボですよ。
山田さんと三枝くんに、改めて、合掌。
写真:会報誌の一部、オーロラの碑の説明文です
(スキャナーが故障中なので、写真撮影で見づらくてすみません)
こんばんは。
ふとガンコさんは30年前は何に凝ってらっしゃったのかと思いを馳せてしまいました。その頃も毎週末山(沢)にこもっていたのでしょうか?
山田昇さんについては書物で幾度と無く読んだ事が有ります、ガンコさんの先輩だったのですね。
改めて彼をググってみました、なんとk2に無酸素登頂しているんですね
田部井淳子さんともパーティを組んだ事も有るみたいです。
生きて帰って何ぼなのか、究極攻めて散るのかは岳人それぞれの人生についての考え方に拠るのでしょう・・。
こんばんは。
何かしら山の会に所属している人ならば、仲間や知人の死には遭遇していると思います。
今回はたまたま重なりがあったので特に感じさせられて文章にしてみました。
三枝くんにはやはり生きていて欲しかったですね。
「死んじゃダメじゃないか!」という意味を込めての、生きててナンボです。
話し変わって当時の僕は仕事が忙しく、年間休日が15日前後。その中で夏の沢泊やGWの雪陵など、無理して遊んでました。
当時の状況があるので、隠居老人の暇つぶしよろしく毎週山歩きしている現在も、かみさんに怒られることはありませんの。
mumさんの事を、「いい人だった・・」と言いたくありませんので、無茶はしないでね!
バイクの話しですが。
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