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https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1317854.html
「日本で最初に帝王切開が行われた場所」に建てられているとされる記念碑に、記載されている事実に感銘を受けました。
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埼玉医科大学総合医療センター産科麻酔科
産科麻酔と小児麻酔の情報を発信します!
https://blogs.yahoo.co.jp/smc_obanesth/12322121.html
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から、記念碑の記載を引用すれば、
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記念碑には以下のように書かれていました。
1852年(嘉永5年)6月12日(旧暦4月25日)ここ本橋家で、我が国最初の帝王切開術が行われた。
難産に苦しむ本橋みと(1820−1908)の生命を救うため、秩父郡大宮郷(現秩父市)の伊古田純道と秩父郡我野郷南川村(現飯能市)の岡部均平とが、親族への説明と承諾の下に、子宮切開術を実施して胎児を出し、産婦も手術によく耐えて、満88歳の長寿を全うした。
鎖国下、オランダ産科書の翻訳を頼りに、日本で初めての開腹術。しかも致命率の高かった帝王切開術を、麻酔なしに成しに遂げたことは、正に奇跡的成功であった。 その後 1879年(明治12年)まで27年間、本邦でこの手術が行われた記録はない。
伊古田純道の「子宮截開術実記」の結びには、西洋医術の成果に対する感動と確信が述べられている。
術後135年を経過した今日、本橋家の地内に記念碑を建てて、その偉業をたたえる。
1987年6月12日
「帝王切開術発祥の地」記念会
日本医史学会
日本産科婦人科学会
埼玉県医師会
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以上を確認し、日本で初めての人体解剖を検索しました。
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日本初の人体解剖—医学・文化の発展に貢献した被差別身分の人々—
https://www.jinken-net.com/gozonji/step/0308.html
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そこでは、日本での古くからの人体解剖のタブー視、1754年に医師の山脇東洋らが日本初の人体解剖を実現、それから17年後に、蘭学を学んだ杉田玄白や前野良沢らの医師が、人体解剖をしてオランダの解剖書『ターヘル・アナトミア』の正確さに驚き、『解体新書』を翻訳出版したことが説明されています。また実際に人体解剖をしたのは、山脇東洋でも杉田玄白でもなく、被差別部落の人たちでしたが、この事実は一般的に知られないことが述べられています。
改めて想像したことは、翻訳書を参考に初めて開腹手術を行ない成功した背景には、山村にいた猟師など解体作業に習熟している人たちの支援があったはずだと感じました。当時の都会・江戸での実行はむしろ難しい面もあったかと思います。
文化は比較的限られた集団で発展させられる、技術は大きな集団間で鍛えられる、また文化と技術はそれぞれ影響しながら展開するのかと思えます。
ところで、「昭和57年(1982年)に正丸トンネルが開通し、国道299号線は新道に切り替えられ、ドライバー泣かせだった旧国道は県道53号に格下げとなった」そうなのでこの石碑は開通の5年後に建てられたことになります。いずれにしろ地域の人々が自分の地域の歴史を確認し、誇りを持つことは素晴らしいと感じています。
付近を散歩したときに見た今は住んでいない古家のタイルの表札にも、ついつい物語を感じてしまいました。
その後、父親がこの石碑の前に座っている写真を見つけました。彼は石碑の日付時には68歳だったので、その後の写真かと思えます。懐かしく感じました。
名栗に蘭学の知識が入っていた背景が理解できない状況でした。最近の感染症コロナウィルス情報で、日本での天然痘対応に蘭学が大きく貢献したことを改めて確認しました。
以下のように記載されています。【結局ジェンナーの成功から50余年を経た嘉永2年(1849年)バタビアから取り寄せられた牛痘苗によって長崎出島の蘭館医モーニケにより行われたのが本邦での牛痘接種の始まりで、この原苗がたちまち全国へと広まり明治に至るまでの牛痘接種の普及の始祖とされております。】
https://www.tpa-kitatama.jp/museum/museum_12.html
また具体的に年表を確認すると以下のようでした。
【1849年11月 佐賀藩より江戸の伊東玄朴に痘苗が送られ、江戸藩邸で接種。江戸での種痘初め】
1852年の手術の時代背景が推測できます。
当時の天然痘は以下のように考えられていたようです。
https://intojapanwaraku.com/culture/81436/
伊東玄朴が江戸藩邸で種痘を行ったのが1849年、彼が38歳の時時代背景が面白い
牧水自身は宮崎県の生まれですが、牧水の祖父・健海は所沢の出身です。
若山健海は文化8年(1811年)所沢市神米金の農家に生まれました。長崎で西洋医学を学び、宮崎で医院を開業。 その後、オランダ人モーニッケより種痘の方法を学び、宮崎で実施。日本における種痘の先覚者としてその名を残しています。
牧水は、早稲田大学在学中の明治37年に祖父・健海の生家である若山家を訪れています。
随筆「おもひでの記」には、若山家で祖父の従弟にあたる人物に会ったこと、その後もたびたび若山家を訪問し歓迎されたことなどが記されています。
また、『牧水写真帖』には牧水訪問当時を思わせる、戦前の若山家の様子が写真として残されています。
参照は以下
所沢ゆかりの歌人若山牧水と祖父・健海
https://www.tokorozawa-library.jp/contents/history/history_bokusui.html
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