初めて計画して山に行ったのはいつのことだろうか?武甲山に行った写真があったが、一緒に行った友人から考えると高校時代のことだと思う。その時には、大持山・子持山から橋立鍾乳洞まで降りた気がする。彼がチーズを入れたオニギリを持ってきたのには驚いたことを覚えている。当時、西武線の終着駅は吾野で、帰路の吾野までのバスではすでに暗い中長い時間を要した記憶が残っている。また大菩薩嶺に行った時だろうか、帰りに資材を運ぶトラックの荷台に載せて鉄道の駅まで送って貰ったこともあったはずだ。全ておぼろげな記憶である。高校を卒業したのは1968年3月、吾野駅は1969年10月14日に西武秩父線開業によって事実上中間駅となったそうだ。全て50年以上前のことである。
高校時代には、地歴部の人達が行った武蔵野平野の農家の玄関先での聞き取りに参加したこともあった。一回だけの参加だった気がするが、他の参加者はどのような感想を持ったのだろうか?今のように情報を共有できる環境があれば興味ふかいことだと思う。写真を見て感じたことである。
個人として実施するのであれば個人の記憶に埋没させてもいいが、組織として実施するのであれば事前の計画書・事後の報告書などを含め組織の構成員で情報共有することが必要だろう。この訓練が不十分だった/意識的に行ってこなかったが、今は社会的インフラが整ってきた。
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