今までの年末・新年の過ごし方を振り返った。子供の頃の暮れには母親の昆布締め作りなどを手伝っていた記憶がある。また父親は年末近くに購入した鶏をしばらく飼って暮れに絞めて逆さに吊るし血抜き・解体していたことなどを覚えている。
大学に入ると友人との行動が新鮮だった。ヤマレコで友人が彼の今までの山行の一部を「回想の山旅」とのカテゴリーで日記に記載しているように、正月を彼と山で過ごしその後帰省した。帰省時に母親に雑煮を頼むと作ってくれたものの、もう家族は飽きていると告げられたものだ。その後の大学院生活では、実験・論文作成などを優先する生活だったので、必ずしも正月前後に取り立てて帰省した記憶はない。むしろ学会などの出張の合間に帰省した記憶のほうが鮮明だ。
就職後の年末・年始も作業仲間と共に出張した仕事の一貫で国外で過ごしたことが少なくとも10回あったと思える。また1987年の元旦には一人で屋久島の稜線付近雨の中ツェルトで迎えたことの記憶もある。
先日、随筆「ひとりの午後に:上野千鶴子・2010」を読んだ。「3章:年齢を重ねて-正月」に彼女の正月の印象が以下のように記されていた。「一昔前の暮れから正月にかけては、正月は実家で親と過ごしてきた。パートナーがいてもその習慣は変わらなかった。親きょうだいやその子供たち、全員が集合しておせちを並べ御雑煮を用意して「あけましておめでとう」という掛け声とともに、父が家長であることを確認するための儀式…それが家族の正月だった。両親も見送った今、私には帰るべき実家はもはやない。多くの人にとっては、私の年齢になれば自分の子や孫たちが集まってくれる新しい家族の時間が始まるのだろう。だが私にはその選択肢はない。ドイツで過ごした一年間、クリスマスからの1週間アメリカのホームステイした家でつかの間の「家族持ち」になった。現在はスキー場で過ごす・外国で友人と合流する・友人のところに出かけるなど選択肢が一杯あり迷ってしまう」。
ある機会に友人から聞いたことがある。彼の家庭は兄弟3人が大学時代も正月には実家に集まり父親とともに書初めをすることになっていたそうだ。彼は正月の自分の家庭行事に違和感も感じていないようであった。
さまざまな年の暮れ・正月の過ごし方・感じ方があることを改めて実感した。
数年前付近で初日の出を見ようと日和田山に始発の西武線で行ったこともあった。薄暗い中登っている方もいた。山頂までの途中でみた日の出だった。
父が亡くなりまだ母親が元気な頃であったので僕が50代最初の頃であろうか?
突然思いついて大晦日の奥多摩御岳山にケーブルカーで登ったこともあった。山頂付近の茶屋で年越し蕎麦を食べその後見た東京の夜景が綺麗だった記憶がある。
最近山へ行った記録を残している。年の終わりを迎えるにあたり、以下のように正月付近の記録を確認した。これからの暮れ・正月の過ごし方を改めて確認したい。
16年12回
2016年12月21日(日帰り)大高山から天覚山・永田山・飯能駅へ:14km
(その後友人が亡くなり葬儀などに出席)
17年38回
2017年01月03日(日帰り)長瀞アルプス:野上駅から宝登山神社
2017年12月30日(日帰り)通矢尾根:武蔵五日市駅>日向和田駅
18年42回
2018年01月02日(日帰り)高山不動尊:樽沢コース>不動三滝コース
2018年12月29日(日帰り)雲ケ岳・御許山_おもと古道
19年42回
2019年01月04日(日帰り)由布岳:東登山口>西登山口10km
2019年12月20日(日帰り)伽藍岳・塚原尾根から狸峠_明礬回遊
(その後義理の従兄が亡くなり葬儀などに出席)
この記録からは、今年の年の暮れは山に行く期間が空いてしまったことになるので、天気のいいような明日・元旦に急遽慣れたところに行ってみることにした
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