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午後2時半に出発し、アイスロードからゴートリッジを経てドーントの別荘に行くまでの記録です。ゴートリッジは山羊戸渡として今に名前を引き継がれ、僕は行ったことがありませんが、ヤマレコにもしばしば登場するルートのことだと思います。
この日の記録では、「思い出」に"これを人々はゴートリッヂとよんでいる"と訳されているように、このルートの詳細が紹介されています。
「思い出」に訳された、ゴートリッヂの前後を含む説明部分です。
"五毛からアイスロードを登り、ハンセルの家の下にあたる左手の谷を行き、ドクターズノブと六甲の間の尾根を登って六甲山そして良好な岩場をアタックし、2ヶ所でロープを使用する。ドクターズノブからくだって通りへもどる。[...]夕食はドーントの別荘"。
ドクターズノブと六甲の間の尾根、良好な岩場、2ヶ所でロープを使用などから山羊戸渡を連想させるものはありますが、一発でルートが思い浮かぶことはない文章だと思いました。
一方、Inakaの記述は次のとおりです。
"Through Gomo to Ice Road and up Ice Road to the valley on left hand side below Hansell's house, got on to Ridge between Doctor's Nob and Rokko and after a good climbing scramble where the rope had to be used in to be used in [sic] two places, came out on to the path coming down from Doctor's Nob. [...] Dinner at Daunt's Rock."
訳文として変だなと感じたのは次の2箇所です。
1)ドクターズノブと六甲の間の尾根を登って六甲山
元の文は"got on to Ridge between Doctor's Nob and Rokko"ですから、六甲山は不要だと思います。
2)ドクターズノブからくだって通りへもどる
"came out on to the path coming down from Doctor's Nob."が元の文で、ドクターズノブからくだってくる通りの辺りに出たの意とだと思います。
いずれにせよ、山羊戸渡がロープ使いが必要な難所であることと、一般ルートとの出合いが、今と変わらず長峰山の天狗塚近くにあったことが分かるように感じました。
※この日記の背景、典拠とした資料等については、2014年05月10日付け日記"INAKA Vol.1 "The Goat's diary" pt.1"(http://www.yamareco.com/modules/diary/24521-detail-72255)を参照いただくようお願いします。
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