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阪神魚崎駅からアイシングラス道(辞書によれば、Japanese isinglassが寒天のことらしいので、寒天道か)を経て六甲(明示されていないが、ほかの多くの事例からしてドーントの別荘と推測)へ行き、帰りはトエンティクロスと再度を経て帰宅した日の記録です。
帰りのルートについて原文では次のようになっています。
"Home via 20 Crossings and Futatabi. Flushed a woodcock below the Nagatani Pond."
「思い出」では次のとおり訳されています。
"トエンティクロス及び再度を経て帰宅。長谷池の下でヤマシギが飛びたった。"
the Nagatani Pondが長谷池と訳されていますが、ドーントの日記では長谷池をこのように読んでいる例が多く見られます。また、逆に長谷池をナガタニイケと表記することはないとnanfutsuさんが森林植物園に確認されています。(http://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=282703&pid=6fe4fadca4f5f3e2d4f047863ee5caef)
さて、日記の上で帰りのルートを"20 Crossings and Futatabi"と表している例は、1913年から1916年の範囲でも20件近く見られます。これだけでは詳細なルートの見当が付けられないと思っていたところ、この日の日記で森林植物園の長谷池付近を通過していることが分かりました。しかも、"長谷池の下"ということになると植物園の東門から東料金所へ至る谷筋が頭に浮かびます。
さらに、Futatabiについては、ルートとして記載されていることから、再度山というより再度道を表していると考えるほうが適当かもしれません。森林植物園で「六甲ー摩耶ー再度山路図」を見た範囲では、再度道は北の柿木塚から大龍寺辺りまでほぼ一本道のように描かれています。(http://yamareco.info/modules/yamareco/upimg/45/452447/e37eb4d3d9545a1cb958b73d66cfb2b8.JPG)
そこで、この日の帰りのルートとして、桜谷出合周辺から徳川道を西進、森林植物園東門から長谷池付近へ進み、再度道と合流し、神戸へ向かい南下と想像することができそうに思います。
なお、この想像では、トエンティクロスの範囲を生田川本流に向い、桜谷出合周辺までとすることになりますが、その妥当性については、この先の日記や他の文献等を元に検討する必要があると思っています。
※この日記の背景、典拠とした資料等については、2014年05月10日付け日記"INAKA Vol.1 "The Goat's diary" pt.1"(http://www.yamareco.com/modules/diary/24521-detail-72255)を参照いただくようお願いします。
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