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戦前まで、日本の初代天皇が神武天皇とされてきたのはみなさまご存じのところで、大日本帝国の時代、「皇国史観」は絶対であり、神武天皇の存在に疑いを挟むことはタブーでした。
この反動からか、第二次世界大戦後、戦前期に神武天皇非実在説を説いて弾圧を受けた津田左右吉氏による「津田史学」が隆盛を極め、神武天皇から第九代の開化天皇は存在しなかったというのが歴史学者たちの「常識」となっていきます。
大島渚監督の映画「日本春歌考」や手塚治虫氏のマンガ「火の鳥 黎明編」でお馴染みの、考古学者・江上波夫氏による「騎馬民族征服王朝説」においても、初代天皇は、それまで第十代天皇とされてきた崇神天皇とされています。
ところがその後、皇国史観の斜め上から神武天皇から開化天皇までの実在を主張する説が出現します。
これが、古代琉球の研究で知られた民俗学者・鳥越憲三郎博士による「葛城王朝説」です。
神武天皇から開化天皇までの天皇は、葛城地方を拠点とする王朝として実在し(この説では、神武天皇が都を開いた「橿原」は、橿原市ではなく御所市柏原)、開化天皇の代に三輪地方を拠点とする崇神天皇の大和朝廷に取って代わられ、開化天皇の子孫が、のちの藤原氏の如く天皇の外戚として権勢を誇った古代豪族・葛城氏となり、葛城王朝の祖神こそが、記紀神話において大和朝廷の祖神・天照大神とともに天孫降臨の指揮を執る高皇産霊(タカミムスビ)尊であったというものです。
確かに、葛城王朝が実在したと仮定すれば、のちの葛城氏の支族である蘇我氏(渡来人説もありますが)の専横も、「大和は元々ワシらのもんなんじゃ!」ということだったのかもしれません。
所詮は仮説に過ぎず、私ごときの頭では真偽の判断はつきかねますが(笑)、古代のロマンを感じさせてくれる説ではあります。
興味がおありの向きは、鳥越博士の著書「神々と天皇の間」を繙いてみてください。
※写真左は、大台ヶ原山上・牛石ヶ原に建つ神武天皇像。右は、金剛山山麓・高天(たかま)に建つ、高皇産霊尊を祀る高天彦神社。由緒書には「本社は大和朝廷に先行する葛城王朝の祖神、高皇産霊尊を奉斎する名社であります」とあります。
高天の地は私も行ったことがありますが、
高天彦神社のある高天の台地は高海抜ではないけれど、天空に近い雰囲気で、ここを(仮に)降臨の伝説地としてしまえば話がえらく早いですね。それでは九州の立場はどうなるんだと怒られるかもしれませんが、べつに九州を無視するわけではありません。いろいろ考えてみると古代のロマン、広がりますね。
高天には、ヤマレコに投稿を開始する前にも訪れたことがありますが、何だか独特の不思議な雰囲気があるんですよね。
そこから見上げる金剛山は、かつて「高天山」と呼ばれたことが納得できる感じがします。
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