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タイトルを見て、万博と女人禁制が一体どーゆーカンケイがあるの?…と思われた向きもおありでしょうが、実はおおありなんです。
ヤマレコをご利用のみなさんなら、大峰山系の山上ヶ岳が「女人禁制」の山であることをご存じかと思われます。
そして、山上ヶ岳の周りには「女人結界」が設けられていて、現在、西側の結界は清浄大橋の近く、北側の結界は五番関にあります。
1960(昭和35)年、稲村ヶ岳が正式に女性に開放されるなど、第二次世界大戦後、大峰山系の女性入域可能域は拡大したものの、かなり広範囲にわたって女人禁制域が設定されており、1970(昭和45)年まで女人結界の位置は、西側は母公堂(ははこどう)、北側は吉野の青根ヶ峰でした。
ところがこの年、女人結界は現在の位置に変更され、西側は約2キロ、北側に至っては約12キロも後退しているのです。
実は、その原因の一つが万博なんです。
「山と渓谷」誌2017年3月号でも紹介されている文化人類学者・鈴木正崇博士の著書「女人禁制」(吉川弘文館・刊)によると、女人禁制域縮小の理由として、人手不足で女性が山仕事で禁制区域内に入る必要があったこと、登山者を乗せた観光バスが母公堂〜清浄大橋間の隘路を通行する際に女性バスガイドが誘導係を兼ねる必要があったことに加え、近鉄(近畿日本鉄道)からの要請によるそうなんです。
万博を契機として観光開発を図りたい近鉄が、女性観光客誘致のため、女性の入域可能な地域を拡大してほしい旨の申し入れを行い、護持院や信徒との協議の末、女人禁制域の縮小が実施されたらしいです。
つまり、女人結界の後退は、近鉄難波線及び鳥羽線の開業と同一文脈上にある出来事だったのです。
言い方を変えれば、昭和の万博は、それほどのインパクトのあるイベントだったのです。
※写真は、それぞれ青根ヶ峰と母公堂の旧女人結界の碑
しかし女性には(建前上)百名山は達成不可能、というのは悶々とします
確かに、山上ヶ岳は大峰山系の代表的存在で、狭義の「大峯山」は山上ヶ岳を指すのですが、深田久弥氏選定の「日本百名山」における「大峰山」は、大峰山系最高峰の八経ヶ岳のことと一般的に捉えられており、八経ヶ岳は女人禁制ではなく、女性でも大っぴらに登頂できるので、女性でも日本百名山達成は可能なんです。
ただ、一方で山上ヶ岳は日本山岳会選定の「日本三百名山」に含まれていますので、女性が三百名山達成不可能というのは遺憾なところです。
失礼しました、三百名山ですね
男子禁制もあるので女人禁制も仕方ない、ナーンて考えません
勿論、風呂とかトイレとかは勿論禁制でお願いしますけどね😄
女性も登れる山を三百名山に一つプラスするとかできないのかな…などと思います。
万博って後進国の文化や技術が発展したこと、文明国になってますよと世界に発信するために行うものと私は認識しています。昔は女性が出歩けば追い剥ぎや性犯罪などに遭いやすかったでしょう。女性を守るための禁制でもあったのでは。出歩いても基本的に大丈夫なくらい治安もよくなっている、文明国になってますという意味もあっての後退かななんて感じました。
女人禁制の由来には、血穢概念や仏教の戒律など様々な要因があるようですが、本文中に記した母公堂には、役小角が、自身の後を追ってきた母・白専女(しらとうめ)の身を案じ、危険な山へ入れないために庵を建てて住まわせ、女人結界門を築いたという言い伝えが残ります。まさしく、minislopeさんがおっしゃているような理由ですね。
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