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終盤の山々はマイナーで地形図にも名前のない山ばかり。これらの山名根拠を知りたいと思うと同時に、ラストに登った福王寺山の隣の山は故郷からもよく目立つのに、誰も名前を知らない山なのでこの際山名を突き止めてやろうとあれこれ調べてたら『芸藩通志』に行き当たり、見事『須我蔵山』と判明。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5703792.html
古地図をあれこれ眺めて、実際の地形図と比較するのが楽しくてハマってしまいました😅
前置きが長くなりましたが、『芸藩通志』は1663年の芸備国郡志を基礎として1818年から1825年にかけて再調査した全159巻の書物。
安芸国と福山藩を除く備後国の地誌や歴史を網羅する一級資料。大半は漢文あるいは仮名混じり文で古文を読む素養が無ければちんぷんかんぷんですが、国内全町村の絵図だけでなく厳島や国内各地で保存されてる宝物や古文書などのスケッチなど、みて楽しめる部分も多い。
古書店で買おうと思うとン万円ですが、国立公文書館デジタルアーカイブで全ページ無料ダウンロード可能。(JPGかPDF)
https://www.digital.archives.go.jp/file/1259761.html
ただし、5000ファイルを超える大作ですので、検索手段が無ければまともに見られません。
そこで目録を紹介してるサイトや各町村の地図だけアップロードしてるブログも併用すると捗ります。
目録のサイト(郷文研データベース)
http://kyobunken.onushi.com/geihantsushimokuroku.html
各町村地図のブログ(とんぼ草)
http://blog.livedoor.jp/tombosou/archives/52101633.html
このトップページから郡→村と追ってゆきます。巻数もわかります。公文書館より解像度が低いですがこれだけでもかなり読めます。
地図の読解にはかなりコツが要ります。
まず、お目当ての地域は何村なのかというところから😨 地形図の地名などと照らし合わせながら絞り込む。飛地の多い村は非常に厄介です。
北が上とは限らないし、特に山がちなところは距離感もアバウトです。
山の名前の前に「建」や「八の下に田」(留の略字?)とある山が多いですが、御建山(官有林)や留山(資源保護や調停のため伐採禁止)を示している。なかには大万木山など「鉄山」も。
山の名前や川の名前は一通りではないし、現代と違うものも多い。中には大万木山のようにある村からは大万木山だが、別の村からは七日迷山と表記されてたり。山は村境になってることが多いので反対側の村の地図も要確認。
ダラダラ長文ですみませんが、やっぱり地図大好き💕
今まで登った山や歩いた地域の新たな一面に触れることができたり、古い道の上に今の県道や国道があるのがわかるので車道歩きにも重みが出てきます😊
写真は
左 現代の「旧市内」部分。天満川(当時は小屋川)より西が太田川放水路として大きく変貌したのがわかる。
中 厳島の舞楽で使用される蘭陵王面。
右 古地図に山行のルート図を合わせてみる。地形図には山名表記がなくともちゃんと名前がついている。稜線歩き以外は古道に則り歩いている。(昔の人は好き好んで稜線縦走などしない)
山行記録はhttps://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5498493.html
川の名前も現代では三篠川だが、当時は長田川や三田川と呼ばれていた。
コメントありがとうございます。
そうですよね。特に登山口あたりに古い田畑や家の石垣などがあると寂しい気持ちになります。
昔はこれらの家の人々が柴を刈ったり家畜とともに歩いてくれたおかげで道も山も維持されていたのですが(時にはやり過ぎて留山になったりしますが
なかなか興味深い内容ですね、有難うございます。古文書への興味が再熱しそうです😃
芸藩通志、頼山陽の叔父が携わっておられたのですね。頼山陽への影響が大きかった事、改めて納得です。
山名の付け方や由来も推察出来る貴重な資料のようなので、現在の山名との関係や経緯を解明出来るものがまだまだあるかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
無味乾燥な〇〇m峰にもしっかり名前がついてるのを見つけた時には新たな花の名前を覚えた時のような感動があります。逆に(調査不足かどうかわかりませんが)絵下山や鉾取山の名前が確認できなかったりと時代に応じて山の重要度も変わるようです。
山城跡(一国一城令以降なので全て廃城済み)も結構記載されてます。
頼一族が広島アカデミーの柱であることが改めて認識できた書物でした。よその県ではこういうまとまったものをあまり見聞きしないので、ありがたいことです。
貴重な情報をありがとうございます😭
ネットだけじゃ遡りきれない過去の地域の情報を検証するのにまたとない資料ですね✨️✨️後ほどじっくり見てみたいと思います📖´-
コメントありがとうございます。
現代の地形図を読むのとは全く別のスキルが必要なので慣れるまで苦労しました(特に村の名前と今の地名が一致しない
まずは住んでるところの周りや、よく行く里山あたりで慣らすといいかも?
三段峡周辺のような人里離れた地域の地図を読むのはかなり苦戦しましたので。
私も「とんぼ草」さんのサイトで眺めたことがあります。
実家は江戸時代から廣島村人なので何かと興味があって😉
確かに山奥は読みにくいけど城下町あたりは色々想像できます。
究極の絵地図、山も海も日本人ならではのデフォルメは素晴らしい👏
原爆の焼け野原で消えた城下町が生き生きと描かれていますが
サカスタの基礎工事の際
まずは戦争遺構が現れてその下には城下町の遺構が出てきたそうですね。
サッカーや野球で経済効果を狙うのもいいけど
歴史や文化の扱いが、ちとお粗末すぎると思うのは私だけでしょうか。
コメントありがとうございます。
広島町は埋立などで江戸時代の間だけでもどんどん様変わりした地域と思いますが、やっぱり広島城は立派です😁 川から取り込んだ堀の水もちゃんと下流に運河を作って排水してるのも記載されてますし。
古地図はどこかの高台からパノラマで見た感じが良いですよね。ここら辺起点で描き始めたのかななどと想像するのも楽しいです。
平和資料館の大規模改修工事の際にも江戸期の遺構が数多く発掘されたそうです。こういう機会を通じて保存をして欲しいですよね。広島市は政令指定都市のくせにまともな博物館すら無いくらいなので期待薄ですが😭
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