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しかし、現地において、私がAルートと下山推奨の別ルートとの分岐点で休んでいると、予想に反して、短時間のうちに多くの方がAルートへ下山していくので驚きました。自宅に帰ってヤマレコの記録を見ても、Aルートを下山で利用しているユーザーはそもそも少なく、いても履歴からして一定の経験のある方でした。
そこで、昨年「400万DLを突破」したと自負する某登山SNSアプリを見ると、案の定、そのルートを下山に使っているレポが多くて驚きました。そして、Aルートを下山しているレポを見ると、何のコメントもないか、内輪向けの参考にならないものか、書いてあっても単に「激下り」とか書いてあるに過ぎませんでした。
こういう状況をみると、
記録の数が多いことが、安全につながるわけではなく、
場所によっては、むしろ「レポもたくさんあり、みんな歩いているから大丈夫」と勘違いされてしまうリスクがあると思いました。
要するに、
「レポが多い→情報が多い→危険情報も豊富→忌避して安全登山」となるのをイメージしていたのですが、実際には、
「レポが多い→みんな歩いている→自分も大丈夫そうだ」という判断になってしまっているのだと思います。
さらに、直近に歩いた他人の軌跡をダウンロードすることで、その人にとっては「万全」となるわけですね。
つい先日、飯豊連峰の石転び沢を歩いた後に各種記録を見ても同じ感想を持ちました。こう見ると、登山記録の"共有"って一体なんだ??と思ってしまいます。
もちろん、某登山SNSアプリにも、多数の「石転び沢」情報の中に、「情報共有」の名に値する素晴らしいレポがたった1つだけあり、私が石転び沢を初めて歩く際の危険箇所の予習で参考にさせて頂きました。ただ、フォローなしでそういうレポを見つ出すのはかなり大変なのが実情でしょうね。
既存のマスメディアでは、その情報に必ず根拠が求められるわけで、間違った情報であれば責任問題になる。
しかし、ネット上で一般人が出している情報にはその責任が問われないどころか、責任があると感じて記載している人は少ないと思います。
山岳ライターを名乗って東北の山を紹介するサイトでも山名すら間違って掲載しているわけですしね。
山以外で言えば、ニュースサイトもそうですね。メディア各社が情報提供をしているものでも、そこに一般人が感想を書くことができる。それが偏った思想だとしても、チェックが入ることはなく掲載される。
メディアとしては、それは読者の感想だからと責任を取るつもりはないでしょうけど、それを読んで何も考えずに「そうなんだぁ」というレベルで受け入れる人は多いと思います。
まとめサイトなんて一般人が金銭目的で書いているだけですしね。wikipwdiaだって一般人が書いているわけで、よく芸能人が自分の項目は嘘ばかりだなんて言ってます。
ネットはまだまだ創世記で、利用者の情報に対する共通認識ができていない状態なんですよね。
つまり、安易に信用して良い情報をネット上から見つけるのは、非常に困難な状況です。
山に関して言えば、この件のように安易にそのルートを下りに使って怪我をして問題定義をする人が増えるとか、悲しいけど犠牲者が出るとか、そうしたことを少しずつ重ねて「ネットの情報」の扱い方、書き方が定まっていくのかなぁと思っています。
だけど反面、人間には難しいことかもしれないとも思ってしまうんですよね。
ネット上は、人が全世界に向けて自由に向けて発信することができ、マスコミが独占してきた情報や意見表面を市民に開放するといった趣旨のバラ色的な期待がされた時期もありましたが、政治的な意見や商品宣伝をはじめ、基本的には、極端な意見ばかりがネット上を跋扈し、いわゆる大多数が依拠するような意見はあえて表明しない結果、多数の考えとネット上に現われる意見に大幅な差異があるにもかかわらず、ネット上に何度も出てくる意見が「多数意見」という誤った世論形成がなされてしまう結果となっているようです。先日の河北新報でも、そういったSNS上の意見への警戒に関するどこかの学者さんの記事もありました。
山に関する情報は、「新鮮さ」を求めてしまうので、どうしても直近情報をガイド本ではなく、webの過去レポさえあれば、情報収集は十分と考えてしまうのかもしれません。山は、なにも考えないで歩いていると、無事登頂できた、無事下山できた、という行為をもって、安全と勘違いしていまうものです。だからこそ、危険と感じた経験や感覚こそが重要であるにもかかわらず、遭難せずに無事帰ってきたことで、自分のマイナス面は忘れてしまうか、第三者に対して記録に残すことに躊躇を覚えてしまうのでしょう。「綺麗だった」よりも、そういう危険情報の方が、情報としての価値は高いのですが、「綺麗だった」「楽しかった」式のレポばかりが量産されるのは残念でなりません。
SNSはコミュニケーションツールなので、その機能と登山に関する安全情報は両立しないし、混同させない方が良いのでしょうね。そのあたりをどう定義するか運営会社が考えているのか知りたいところです。
ボクの考えとしては、この2つを分けた方が分かりやすいのではないかと思うんですよね。
山の情報であれば、ひとつの山のカテゴリーの中にユーザーが投稿する形にする。自分のサイトではなく、山のサイトに投稿する。日付や天候はもちろん、注意点や困ったことなどの項目に分けて、とにかく情報として機能させる。自由度はありませんが、みんなで安全登山のための情報を作り上げるという方法。wikipediaに近い考えですね。書く方もその意識がなければ投稿しないでしょう。
しかしそれではユーザーが増えないというデメリットがあって、会社運営としては致命的なんですよね。運営サイドで考えるならYAMAPのようになっていくのが必然でしょうね。
>ネット上に何度も出てくる意見が「多数意見」という誤った世論形成
これね、本当にどうにかならないかなと思いますね。テレビのニュースでもXにポストされた視聴者の意見が流れたりしますが、そもそも「そこにアップして自分の意見を発表したい」という人の意見であって、それが大多数の意見ではないんですよね。声が大きい人の意見が通るということ。
全世界とつながるインターネットが多様化を妨げていくという不思議な現象が起こっている感じもします。
そうですね。YAMAPは、レポは、単なるコミュニケーションツールとしての役割に過ぎず、山の情報は、フィールドメモとして、その辺りの切り分けを狙ったんでしょうけど、うまくいっているかわかりません。「危険性」なんてのは、主観的なものであるので、なかなか難しいものかな、と思っているし、やっぱりレポ中心なのかな、と思います。
今は、「山に行く」というよりも、「映える景色を見せたい」という力学が働いている感じでしょうか。山そのものよりも、下山後の反応を楽しんでやっているというか。
私は、ヤマレコの今のスタイル(各レポに、登山道の情報やアクセス・駐車場情報などを入れ、コミュニケーションの部分は、感想とコメント欄で行う感じ)で、このスタイルは私には合ってるのですが、世代的にはウケないのでしょうね。
後者は、世論形成に限らず、クレーム対応もそうですよね。声の大きいクチコミに翻弄されて、本当のニーズを捉えるのが難しかったりとか。
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