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レコを見ていると、連休を楽しんだ人、仕事等で休めなかった人など様々なようです。
お疲れ様。
Daveさんへのコメントで天安門事件のあったころ北京にいたことを書いたので、当時を思い出しつつ書いてみました。
天安門広場で民主化を求める学生を武力弾圧したのが1989年6月4日です。
私が、北京から帰ってきたのが6月3日でした。
この旅行は、某学会の重鎮が主催する私的訪中団で企業から参加したものでした。
出発は5月のいつだったか忘れたのですが、戒厳令が布かれた北京へ行くのと半信半疑で伊丹に行きました。
当時伊丹は国際空港でした。
皆心配して、行くのといっていました。
北京につくと、騒ぎは天安門の一角だけで、少し離れると普通の生活風景がありました。
北京の印象は、自転車が多いでした。
皆自転車を利用していました。
それに、トイレにドアが無い。
今はどうか知りませんが、北京の空港もそうでした。
これは厳しいと思いました。
大はホテル以外ではできませんでした。
2〜3万も持っていくとガラクタが山程買えると言っていましたが、買うものがほとんど無かった。
買い物しようとすると、ふっかけるので、そのつど値切り交渉が必要でした。
最初は面白かったのですが、そのうちうんざり。
定価で売ってよと思いました。
この頃の中国人は純朴な感じがしました。
北京では、八達嶺とどこかの観光をしたのですが忘れました。
その後、飛行機で、ウルムチ、トルファンへ。
シルクロードの町トルファンはおもしろいところでした。
独特の民族音楽や舞踊。
砂漠。
観光は、交河故城、ベゼクリク石窟寺院や西遊記のモデルとなった火炎山など見ました。
シルクロードの町はまた訪れてみたいと思うほど魅力てきでした。
ただ、ホテルで香辛料の臭いが鼻につきましたが。
その後、敦煌に列車で移動。
莫高窟の壁画も見ました。
飛天の絵はひかれました。
この辺に来ると漢人も多くなりました。
ここから、甘粛省の蘭州市で少し観光して北京にもどりました。
最後の北京では、確か五人百姓といったとおもいますが、日本食を食べてほっとした覚えがあります。
写真左はベゼクリク石窟寺院
写真中央は交河故城付近のタクラマカン砂漠だったと思います
写真右は敦煌莫高窟
当時は若かった。
写真の光景すばらしいですね〜。
いつか行ってみたいです。
それにしてもよりによって大変な時期に旅行されたんですね。
無事生還できてよかったでっす。
Daveさん おはようございます
早速コメントありがとうございます。
大遠征の後で少しだけ連休を楽しまれたようでなによりでした。
シルクロードの町は魅力的でした。
また行けたらと思いますがどうなるか。
その頃よく無事でといわれましたが、騒ぎは天安門広場周辺だけで、少し離れると普通に生活しているのが不思議な感じがしました。
機会があれば火炎山へ遠征してみてください。
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