ある日、テレビの中で、年老いた女性が嫁ぐときに親から持たされた和服を箪笥から取り出して古着商に託する場面があり、その際に女性が浮かべたなんともいえない表情が未だに目に焼き付いています。両親も夫もいなくなり、その上これまで一緒に人生を歩んできた思い出の詰まった大事な物までをも処分しなければならない心境を察すると涙がにじんできます。
私も、新聞記事やテレビで終活のことを目にして、まだ元気なうちに不要な物は処分しておこうと思い立ち、後期高齢者に入ったときからぼちぼちと終活をはじめました。頭がぼけてきてからはできなくなるし、余命宣告を受けてからだったらその気力も失ってしまうし、先延ばししたらそれだけ心の痛みが大きくなると思ったからですが、始めてみるとやはりつらいもので、一段落するまで大分時間がかかりました。
いろいろありましたが、それはさておいて、山の終活です。
私が始めて北アルプスへ足を踏み入れたのは、68才のときでした。最初に白馬岳、次の年に槍ヶ岳、その次の年に奥穂高岳と登り、この代表的な3山を3年かけて登りました。当初は、北アルプスはそれで止める予定でしたが、気持ちの方が奮い立ってきて、登りたい山が続々と現れ、それなら今のうちに登っておこう、山は逃げないといっても高齢者にはそのうちにという言葉は通用しない、あとであの山に登っておけばよかったといくら後悔しても後の祭りだと自らに言い聞かせ、毎年あちこちの山々を1人彷徨い歩き、結局、75才のときに常念岳〜燕岳縦走をしてなすべき登山の終活を終えたつもりでした。心残りはありません。
ところが、昨年の冬、書店でふと目にした不破元委員長が書いた本「私の南アルプス」を読んでみて、ああ、南アルプス南部は自分にとって空白地帯だったと今更ながら痛感させられました。本の中味はすべて南アルプスの楽しい山行きのお話で、大きな山の素晴らしさが身近に伝わってきます。私は、この山域に全く足を踏み入れたことがありませんでした。これまで荒川・赤石の縦走をいくどか頭に思い浮かべたことはあっても、そのうちにそのうちにと先延ばしして、他の山を優先してしまっていたのが今となって悔やまれます。でも、常念・燕で疲れてしまった体力を考えると、今更荒川・赤石はとてもとても無理というものです。
そのうち夏が来て心が揺れ動いてきました。
人生これまでこうすればよかったああすればよかったなど悔いを残さないようにやってきたではないか、やらないでおいてあとでくよくよするのは全くよくない、やってみて駄目だったらしょうがない、とにかく挑戦してみないことにはなにも始まらない、段々と気持ちが前のめりになってきました。そこで、とにかくひとつの山の頂上に足跡を残せればそれでいいのだがといろいろ調べた結果、「塩見岳」を目指すことに決めました。山終活の続きです。
スケジュールは、9月はじめに出発、
1日目 三伏峠小屋泊
2日目 塩見小屋泊
3日目 下山
というもので、これなら何とかなりそうな気がしました。
しかし結果は、残念ながら何とかなりませんでした。途中撤退です。
1日目は順調でした。2日目に怪しくなりました。小屋を出発してしばらく歩いても身体が一向に暖かくなりません。冷えたままの状態が続いて体調が思わしくなく、脚はともかく上半身がおかしくて、このまま歩き続ければ心臓発作を起こす心配がありました。もう少しもう少しとだましながら進みましたが、とうとう本谷山でストップ。目の前に塩見岳の大きな姿が見えますが、あそこまでは到底無理、観念しました。撤退です。北岳、仙丈ヶ岳などぐるりと素晴らしい展望を目に焼き付けてから引き返しました。ここまで来たのだからと自らを慰め、小屋前で食事をしてのんびり下山し、それで何となく気が済みました。
やはり、年です。もう南アルプス南部は不可能です。一山だけでもきちんと登っておきたかったのですが、この山域の山には逃げられました。
それから1年経って今年は70才台最後の年、もう一度涸沢の景色を見てお終いにしたい、あわよくば奥穂高岳に登って見たいと考えていますが、この天候ではそれも無理そうです。もう北アルプスの山も逃げてゆくのでしょうか。80才に突入したらその先一体どうなるのでしょう。
山は逃げないとは本当ではありません。適時にしっかり捕まえないといつの間にか逃げて行きます。あこがれの相手にはその時に正面から挑戦しておきましょう。人生悔いのないように。
nibinさん、はじめまして。
南アルプスの計画、実行、途中敗退、確かにそれは残念な結果かもしれませんが、自己判断で行動できるという事が、まだまだこの先も山を目指せれるし、それが可能なのだろうと思いました。
私の父は脳梗塞、その後癌を患い、痴呆になり、自宅で息を引き取りました。もともと野外活動の好きな父でしたが、脳梗塞をきっかけに180°人生が変わってしまったと思うのです。父の終活はベッドで死を待ち受けつつ、それを認識できていない事(痴呆)が唯一の救いだったのでしょうか?
nibinさんの文の読みやすさ、伝えたい気持ち、こんな私ですが、胸に、頭にスッと入ってきました。
山レコの中での話になりますけど、フォローさせていただき、nibinさんの終活を見守らせていただきたく。これからもお元気で、頑張って楽しんでください。
haccymasaさん、コメントありがとうございます。
お父上のこと、大変お気の毒様です。
最期の迎え方は、人それぞれで如何ともしようがありませんね。
私も、ふと、自分はどんな形でそれを迎えるのだろう、できればうつらうつらした頭の中に楽しかった頃のシーンを夢見ながら終わりたいなと考えるときがありますが、一方で、そんな風に欲張っても仕方ない、自然体でやってゆくしかない、あとは運命に、神様に委ねるしかないという思いもあり、現在は毎日をいびつな形にしないよう、子供の心をもって過ごすよう心がけています。
憧れた山々、挑戦してみたかった山々は、ほぼ登ることが出来ました。非常に遅いスタートだっただけに、達成感は半端ないです。
しかし、終活は死をもって終わるものです。それまでは現在進行形です。まだまだ頑張りますよ。
はじめまして、sari-paAと申します。
私は現在68才、山行けるのは、あと2,3年かな、と思ってます。が、やっぱりその時になっても行きたいですよね。
nibinさんがおっしゃられた通り
<<北岳、仙丈ヶ岳などぐるりと素晴らしい展望を目に焼き付けてから引き返しました>>
その時になったらその時で、違う山の楽しみができると思います。きっと今よりも深く山に対峙できるか、と…。
お互いがんばりましょう。
sari−paAさん、コメントありがとうございます。
68才で何をおっしゃっているのですか。私が山に目覚めた年齢じゃないですか。まだ現役ばりばりですよ。
昨年、奥多摩の清東橋バス停から奥茶屋まで偶々ご一緒した女性は、夫が歩けなくなったので今は自分1人で登山をしている、今日は「棒の折山」を目指すと話されていましたが、どう見ても80才は優に越えているように思いました。あの急坂を登るとは、すごいです。
同じく昨年、陣馬山から和田へ下るときに、下山口近くのややアイスバーンのところを超々スローペースで歩いていた女性は、90才近くに見受けられましたが、そこを追い抜いたと思ったら、下山後バス停までの車道で逆に追い抜かれてしまいました。
みなさん元気です。
面倒なことは考えず、歩けるうちは、無心になって歩きましょう。
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