といっても山のことではなくて、私生活で
元旦早々インフルエンザに罹った。昼にお雑煮をぼそぼそ食べているうちどうも妖しくなり、ベッドへ入ったらそのままグングン熱が上昇。隣のベッドには、すでに嫁殿が前日の大晦日から発熱し今や意識朦朧の状態に陥っている。
2日、終日、2人枕を並べて苦しむ。
3日、嫁殿の熱は下がる傾向を示し始めたが、自分は最高潮、39度を超えた状態が続く。肺炎や脳症を心配した娘が、堪らずに息子を呼び出して車を運転させ、休日当番のクリニックを受診させた。
そのクリニックに着くなり、奥のベッドへ倒れ込み、いきなりゲエゲエ吐き出す。看護婦がさっと容器を差し出してくれたので間一髪間に合った。さすが中年のベテランはちがうと妙に感心、ただ水分以外殆ど摂取していないので、吐いたのは胆汁のような黒い液体だけ、苦しかった。今でもその時のシーン(苦しさと看護婦の手際よさ)を思い出す。2人ともインフルエンザA型と診断されたが、自分はソフルーザを処方され、嫁殿はピークを過ぎているとのことで処方されなかった。
それ以上につらかったのが、クリニックへの行き帰り。ベッドから立てない。寝室のドアーを開ければすぐ目の前が玄関なのにそこまでの数歩が歩けない。玄関にへたり込んでいたら、息子がおんぶして行こうかと言う(ビックリ)。血の気の多い長男ならまだしも、プライドの高い次男が言い出すとは、でも客観的に無理なようだし、なにより父親の威厳にも拘わる。内心嬉しかったが、まだ熱のある嫁殿に甘え腕を抱えてもらって、途中何度も座り込みながらどうにか車まで辿り着いた。
帰りも、クリニックから出てすぐに嫁殿の腕からずり落ちて道端に座り込んでしまった。立っている力がない。通りかかった人から、どうしましたか、と声を掛けられる。親切心に感謝。挙げ句の果てにどうにか乗り込んだ息子の運転する車の中で後ろから粗相をする始末。自分の車だからよかったものの、恥ずかしい、威厳失墜も甚だしい。
4日 特効薬が効いて熱が下がり始める。嫁殿も快方へ向かう。
5日 2人ともベッドを離れたが、吐き気が強く、おかゆ茶碗半分食べるのがやっとの思い
その後、2人ともそんな状態がしばらく続き、普通にご飯を食べられるようになるまで10日ほどかかった。年寄りは回復が遅いね、と2人で話し合う。
老人にとってインフルエンザは恐ろしいです。予防注射をきちんと受けていたのに罹ってしまった。今でも後遺症らしき症状が残っています。
17日には予定どおり大腸ポリープ切除のため2泊3日の入院。若いときは感じなかったが、年齢のせいか今回は内視鏡が本当に辛かった。体力を使い果たした。
退院後もあれやこれやで体調が思わしくなく、気持ちも沈みがちであったが、27日の日曜日に景信山へ登った。体力も落ちたし気力もふるわなかったが、まあ、頂上まで無事登れたのだから、と自分を慰めた。
帰り道、消防自動車やパトカー、救急車がたくさんサイレンを鳴らしながら小仏峠方向へ走って行ったが、また遭難事故でもあったのかしら。
30日は80才の誕生日、嫁殿がすき焼きを奮発した。牛肉も最上肉を選んだからたくさん食べてという。卵を浸けてがつがつ食べる。ねぎ、豆腐、糸コンニャク、塩分制限はこの際脇に置いておく。美味しい、本当に美味しい。食後は誕生日に欠かせないケーキ、嫁殿の好きなマロンケーキが用意されていた。老夫婦2人だけで、いつになくしみじみしてしまう。あの初々しい娘子がこわい嫁殿に変身しても夫婦はやはり夫婦か・・・
さて、2月に入った。厄日の1日、病を追い払おうと昼食に味噌ひれかつ定食を食べる。今日2日は、娘達が誕生祝いをしてくれるという。保育園児の孫2人(インフルエンザの感染源)もやって来る。写真は、今日のパーテイに持参する嫁殿手作りのケーキ、おぼつかない。
さあ、間もなく暖かくなって春が来る。恐ろしい禿山の一夜は早く明けて欲しい。陣馬・高尾、奥多摩、丹沢、あの道この道をせっせと歩きたい。
2月は良い月でありますように・・・あれ、もはや月単位?・・・
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