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2019年05月19日 23:41老人と山全体に公開

センチメンタル・ハイキング

夜、机の前に座っていると、いつのまにかボンヤリとしていることが多くなった。

なにとはなしに壁の写真を眺めていたり、部屋のあれこれ見つめていたり、時間がいつの間にか過ぎてゆく。

そんなときは心おのずと山歩きの思い出に浸っている。
見知らぬ人との何気ない会話、ただ見かけただけなのに奇妙にいつも浮かんでくる名も知らぬ登山者の姿、山小屋それぞれの雰囲気、せっせと歩く自分の様子、さまざまなシーンが頭に浮ぶ。

思い出は、みんな美しい。嫌なこと、怖かったこと、みんな楽しかった思い出に

そんなあるとき、ふと山歩きスタート時点のことが頭に浮かんだ。はじめての登山靴とザックを銀座のデパートで買い求めたときのこと、これで自分もいっぱしの登山者になったと胸を張り颯爽と出掛けたときのこと、23年前の秋、57才の男盛り、そうだ、次週はそのときのルートを歩こう。

高畑山から倉岳山へ


(当時の思い出)

早朝の中央線鳥沢駅にひとり下車し張り切って国道を歩き出す、向こうから歩いてくる大きなイラン人男性2人、こんな所にこんな早朝になぜイラン人、ちょっと怖かった

国道を右に曲がって中央線の下を潜り、砂利道を歩いて行くと中学生の女の子が家の前を掃除していた、目を合わせたら恥ずかしそうに下を向く、なんとなく大人になったらよいお嫁さんになるだろうなと思う

美容室に突き当って右折しやがて古い橋を渡るが、その先で心配になり、農作業中の人に道を確認する、ちょっと農業のイメージが湧かない知的な感じの人だなと思う

小篠貯水池の横から土手をよじ登り息を切らす、無駄な努力だった、そのまま道を進んで行けば上から眺められたのに

さあ、いよいよ山道に入る、俺は今日から登山者、張り切ってどんどん歩く、あっさり石仏の分岐に着く

ペースもなにもない、その後も坂道をひらすら頑張るだけ、ついに杉林の急坂を前にして力尽きる、足は萎え萎え、肺は千切れ、心臓は破裂寸前、絶望的な思いを抱き長い休憩のあと必死の力を振り絞りなんとか尾根に這い上がってその場に倒れ込む

高畑山頂上はひっそりとし古ぼけた標識がポツンとあるのみ
濡れた木綿の下着を着替え、近くの枝に広げる
中年男性が現れ手慣れた感じで弁当を使う
三脚を担いだ青年が大桑山方向へ通り過ぎる
秋の日差し、心やわらぐ


そこから倉岳山までの記憶が抜け落ちている、何故だろう


倉岳山に着いたら中高齢者20名位のグループが大騒ぎ、大声を上げてその辺を走り廻っている、小学生の遠足か、あっけにとられて立っていたら、一人の女性が近くの樹の陰に隠れて手鏡を出し口紅を塗る、大きな金歯がニュッーとみえる、見てはいけないものを見てしまったと目をそらす、女性はすぐグループに戻り男性陣の騒ぎに加わる、年寄りでも山ではこんなに元気になるんだと初めての情景にただただビックリ、あちらでは若い女性2人がひっそりと弁当を食べていた

倉岳山からの下りは疲れもどこやらへ吹き飛び、駈け出したりして一気に下山、山は楽しい、苦しいが楽しい、仕事一途の男が始めて山歩きという趣味に目覚めたとき、意気揚々と家に帰った。


(思い出山行きの実際)

昨日は疲れた。本当に疲れた。梁川駅に着いて思わず自販機のリポビタンを飲んだ。楽しく歩けるかと期待していたが、そうはいかなかった。充実感もなかった。山には慣れたが、身体が衰えた。

鳥沢駅ではおおぜいの登山者が下車、男トイレにも長い行列ができ、その一番後ろに並んだ。駅舎はきれいに建て替えられ田舎駅の雰囲気がなくなっていた。ちょっとさみしい。

あの女の子が掃除していた通りは、古い民家が消え去り、金属工場街に変わっていた。美容院もない。家々は新しい。異常に立派な車道がどーんと開通し、のどかな雰囲気はどこかへ消え去っていた。

小篠貯水池の土手は見上げるだけ、登るなんてとてもとても

石仏の分岐以後はこんなに急登だったかと驚く。もっと緩やかだったように記憶していたのだが。さらに途中のトラバース道の一部が殆ど崩れ落ちズルッといったら一巻の終わり、急斜面を何処まで転がり落ちるかわからない、自分の転落のイメージが湧いてきてマジで恐怖に襲われた。以前は歩きやすいきちんとした登山道だったのに

記憶の中で一番鮮明に残っている苦しみの杉木立、昨日はペース配分を考えていたので足も肺も心臓も壊れるおそれはなかったけれども、うーん、ため息、立ち止まる、老齢による疲労は如何ともしようがない。

高畑山頂上は荒れていた、無神経な標識物が多く、風情がない。下にゴルフ場も見えない。何となく意気上がらずぼそぼそおにぎりを食べた。雲が空を覆っている、あの時は爽やかな秋日和だったなあ

そこから倉岳山までこんなにアップダウンがきつかったかと驚いた。記憶が抜けていたということは、ここをなんなく歩いたのだろうか。

この日の倉岳山頂上は静か、登山者3名のみ、あの金歯のおばさんが隠れたのはこの樹木だったかと懐かしくなる。あれから23年、今でも元気に山登りをしているのだろうか。集団のみなさんはどうしているのだろう、弁当を使っていた女性は初老に差し掛かっているのだろうか、お菓子を食べて休憩

倉岳山からの下山では梁川駅までこんなに遠かったかとうんざり、すでに体力を奪われパワーが出ない。道もこんなに荒れていなかった筈なのに、今は倒木が多数散らかり、道を塞ぐ。当時はルンルン気分で渓流歩きを楽しんだのだが、今は一刻も早く森を抜け出したい気持のみ、しかし足が進まない、いらいらする、ようやく車道に下り立ったときは心底ホッとした。これで解放された。・・・何から?

もう思い出に浸る気力もなく、車道をぶらぶら歩き、長い橋を渡って梁川駅前に着く。国道を横切ろうとしたら見張り中の警官にしかられた。説教を受けた。交通巡視員だと思ったのに


ああ、疲れた、楽しい思い出歩きではなかった。でも、・・・やはり来てよかった。自分の青春に今が重なった。現実とはこんなものだ。時は移る。


例えば、若い頃憧れたカフェのママに23年後に会いに行ったらこんなかしら・・・また下らない連想をする。
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