故郷の街のなか、それも駅前辺りに熊が出たという。
私は、偶々その2日前、お墓参りに帰省したばかりだった。私が故郷を離れるまで育った家は、もう更地になっているし、移転した家にもいまは誰も住んでいないので、東京から日帰りした。
名物のラーメンを旧実家の近所の店で食べ、墓参を済ませたのが午後1時。当初は、そのまま2時前発の列車に乗って東京へUターンするつもりだった。郡山からの新幹線座席指定券も予約してあった。
しかし、今日の墓参は一人で来ていた。いつもは妻と一緒に来るのだが、コロナのこともあるので連れてきていない。荷物は、小さな肩掛けカバンだけ、靴はいつものメレルのウオーキングシューズ、自由に歩ける。
そこで考えた、子供の頃に遊んだ山へ行ってみようと。近所の子供と連れだって、春にはわらび、秋にはきのこ、冬にはスキーと楽しんだ山だ。昭和20年代の頃だから遠い昔のはなしだ。高校3年の秋、はじめてマツタケ3本を採って帰り、母が、「最後の山ではじめて採れてよかった、よかった。」ととても喜んでくれた。翌年の春には、実家を離れ東京へ就職することが決まっていた。そのときの母の笑顔を今でも忘れられない。
それから60年余り、その山へ足を踏み入れる機会がないまま過ぎた。今回逃せばもうその機会はめぐってこないだろう。子供の頃は遠い山だったが、いま西の方を眺めた目測では麓まで30〜40分ではないだろうか。右手の奥には飯豊山が見えていた。時間切れになれば引き返そう、そう思いながらせっせと歩き出した。結局、麓まで35分で着き、山道は3分の2くらい登った地点で引き返した。
戻る途中、妻に頼まれた地元の酒粕を買い、テレビに映っていた駅前の商店でいつもとおり地酒を買って、4時前の列車に乗った。
懐かしむことができたか。微妙だ。様変わりとはこのことか。子供の頃遊んだ途中の河原は埋め立てられて文化センターなどが建っていた。山麓までの道は、一直線の立派な車道に変わっておりそこを延々と歩いた。樹が鬱蒼とした途中の集落や池、いじめっ子がいた集落を避けるため歩いた裏の小径などを見つけることはできなかった。思い出は封じ込められてしまった。車がすべてを支配していた。
当時の山道は、「馬坂」と呼ばれ、1歩山へ入るとなんとも言えない山の香りがしっとりと身体を覆い、道端にはドングリの実がたくさん転がっていたのだが、今は車の通れる市民のウオーキングルートになっていた。雰囲気がまるで違う。舗装された土壌は渇き、山肌は削られて一部コンクリ補強され、道端には何もない。それでも昔の面影をあれこれ探し求めて登って行ったが、どうもしっくりこない。道が一部で付け替えられたのかもしれない。
山は荒れ、自然の恵みが乏しくなったのだろう。熊が山を下りるのも無理はない。でも熊だって山から駅前まで来るのに田んぼと車道と小さな集落を1時間も歩いてこなければならないのに、誰も熊に気づかなかったのだろうか。
写真:とうとう家に入り込んできた。野生の雀は問題もあるので、せいぜいベランダに止めておかねば
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