今日は82才の誕生日、イタリアレストランで妻と2人でランチした。
普段は、1000円のランチで満足していたが、今日はランクを上げてみた。でも年のせいで食べる量が限られている。食べ残すのも失礼だ。妻が、店員に相談したら、サラダ、お肉を食べたあとでパスタをオーダーするかどうか決めたらいかがですか、とのアドバイスを受けた。
年をとると食べる量が激減してくる。夕食時にいつも妻が嘆く。
「ほんの少ししか炊かないのにご飯がまた残ったわ。」
「せっかく上等のお肉を買ってきたのに食べ残すなんて、なんとかしてよ。」
そう言われても無理にお腹へ詰め込むわけにゆかない。
それで店員のこのアドバイスがありがたかった。結局、最後にパスタのハーフを1皿だけオーダーし、それをさらに分け合って食べた。ちょうどよかった。朝食ではサラダ、食パン、ヨーグルトを半分にしてランチに備えてきたのに、もう情けない。
このレストランは味も素晴らしいが、特に気に入っているのは、器がとにかく綺麗ですっきりしていることだ、さらに料理の盛り付けがきっちりしている。パスタ1本にも手抜きがない。シェフの心意気が感じられる。一流ホテルがどうかはわからないが、それに負けないだろう。
ありふれた街の食堂だが、こうゆう店で食べていると背中がまっすぐになり、上品な西洋人がホテルで優雅に食事しているドラマのシーンが思い浮んできて、改めて日常生活の楽しみが湧いてくる。
さっき家に帰り、なんとなく自室の壁を眺めている。
この年になると1年1年が勝負だ。昨年は無事生き延びたが、親しかった同級生が2人も亡くなった。年末にはがきを受け取って初めて知った。ふうっと薄寒い風が胸を冷やしたような、空しい感じに襲われた。そうか、とうとう人生を終わったか、はがきを手にしてただぼんやりとした。時が過ぎたのを見たような気がした。人生はこんなものだ、どうすることもできない。年をとるということは、そうゆうことかと段々わかってきた。身体が衰えることではないのだ。
明日は塔の岳へ登りたいが、まあ無理だろう。雪の積もった大倉尾根を登るパワーは自分にはないだろう。身体が固くなってアイゼンを付ける作業さえ一苦労だ。それに暗くなっての冬の下山道は危険だ。
雪の大倉尾根ということで数年前の出来事を思い出した。山頂を降りてきたところでビニールを尻に敷き適度に踏まれた雪の登山道を滑り出した。スピードがでた。ウワー、とひとり歓声を上げた。狭い道で危ないのだが、いざとなったら自ら横倒しになろう、と思っていたら、前方に登山者2名を発見、慌てて登山靴のかかとで雪を削りブレーキを掛けた。雪煙がパーッと舞い上がった。そこで予定通り自ら横転し無事停止。「何やってんだ、お前、危ないじゃないか!」そんな顔でにらまれた。でも距離を稼いだ。今も思い出しては、「うっふっふ」と笑いがこみ上げてくる。
誕生日といってもとくに変わったことはない。いつものように時間が過ぎてゆくだけだ。切れ切れな過去の思い出に浸ったり、不可解な挑戦を思いついたり、漫然と山レコを眺めていたり・・・
とにかく差し当たってはコロナを乗り切らないと、と思っても今日は店でワインを飲んでしまった。ぐずな自分だ。
おめでとうございます。通りすがりです。
が、日記なかなかおもしろいですので、ゆっくり読ませていただくべくフォローさせていただきます(*^^*)
aoitoriさんこんばんわ
ありがとうございます。
ぼけ防止のため好き勝手に書いているので、だらだらと馬鹿なことばかりですが、よろしくおねがいします。
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