今は3月、コロナ騒ぎの中、体調は良好でとりたてて不安がない。しかし、2年前の3月はひどかった。当時の日記にも書いたのだが、元旦に発症したひどいインフルエンザの後遺症で貧血や不整脈に苦しみ、それでも週末になると不順な天候をおして高尾山の平凡な稲荷山コースを必死に登っていた。
そんなある週末、雨模様でうすら寒いなか、ケーブル駅横の登山道入口から階段を上がった最初の踊り場で立ち止まり、まだ歩き出したばかりなのにもう引き返そうかなどと手首の脈を測りながら不安に思っているときだった。
ふと背後に人の気配を感じて何気に振り向いたら、目の前を黒い人影が静かに横切った。黒いザックに黒い服装で身を固めた女性が静かに通り過ぎた。ちらりと見えたその横顔の美しさに思わずはっとした。
骨格のしっかりした、しかし滑らかに均整の取れた身体が、少しのぶれもなく、ゆったりしたペースを保って静かに登って行った。
何といってもその歩く姿勢が格段に美しい。すっきりした上体をほんの少し傾け顔をやや前方に向け、長い脚のゆったりとした足取りはペースに乱れなく、焦らず迫らず、黒くて大きいザックは身体に完全にフイットし、すべて黒で統一された女性の後ろ姿は、あの銀河鉄道999のメーテルを想起させた。うーむ、ただうっとりするばかり
初心者ではないし、かといって北アルプスを駆け巡る野性的な登山者の雰囲気でもない。高尾山では決して見かけない登山者だが、一体どこへ向かうのだろうか、三頭山までも歩き通せそうだが
この出来事が今でも強く印象に残っているのは、いつも自分が心掛けている歩き方を彼女がきれいに見せてくれたからだ。足の運び、上体の姿勢、ゆったりしたペース、静かな息遣い、自分ではなかなか実践できない目標を見事に体現していたからだ。
今から10年前の秋、72歳の時だった。越後の巻機山を登山中、道の脇によって立ち休みした。紅葉真っ盛りの時期なので、目の前を登山者が幾人も通って行った。がちがちと登って行く若者、疲れを知らない子供たちを追いかける山慣れした夫婦、ふうふう息をつきながらもおしゃべりで疲れを紛らわす女性たちなど、やがて出発しようかと思ったときに下方から男性2人連れが現れた。ゆっくりと登ってきた。先頭は40歳位、その後ろに30歳位、2人とも動作が極めてスムーズだった。自然体だった。すっ、すっと前に進んで行く。急ぐ風でもなく緩慢な風でもない。ゆっくりと、リズムに乗った足さばきが見事だった。歩幅に少しの狂いもない。目の前をにこやかに会釈しながら通過した。その落ち着いた風貌や隙のない動作から漂うベテラン登山家のオーラが自分を圧倒した。装備は普通のザックに登山靴、ロープも装備していたように記憶している。先頭は普通の背丈にややスリムな体形、後ろは同じ背丈にやや固太り、先頭が先輩で、後ろに後輩が付き従うという感じだった。
すっ、すっ、ゆっくり焦らず、すっ、すっ・・・2人が息を合わせたように全く同じ動作を繰り返して流れるように歩いて行く。後ろの後輩が先輩にきっちり足を合わせる様子は、ちょうどアイススケートのパシュート競技をしている選手の動きを連想させ、とても美しい眺めだった。安心してザイルを結び合う仲間なのだろう。
うっとり見とれていたが、はっと我に返り、このスピードなら自分も大丈夫かもしれないと後を追ってみた。すっ、すっと、ゆっくり焦らず、・・・やっぱり駄目だ、付いていけない。遅いように見えても実際は結構速いのだ、姿を見失ってしまった。
こんな人達がリーダーなら一緒に同行し、いろいろ教えてもらいたいところだが、自分の年齢と体力では到底不可能だ。それでもこのことだけは学んだ。
姿勢を正して「すっ、すっ、ゆっくり焦らず、すっ、すっ・・・」
以後山を歩くときは、2人の姿を思い浮かべながら一歩足を出すたびに、これでいいのか、ペースとリズム、足の置き方、歩幅はどうか、姿勢はどうか、など常に気を配り、その時学んだ教えを実践するよう努めてきた。それまではなんと節操のない歩き方を自分はしていたのか、もっと早くわかっていたらと、まあ無学の身にとって仕方がないとはいえ、後悔しきりだった。
高尾山で見かけた女性は、まさにその絶妙の歩き方を正確に再現していた。だから驚愕すると同時に非常に感動したのだ。そのうえその女性が美しいメーテルとあっては到底忘れることはできない。3月になると思い出す。ああ、あの後ろ姿、もう一度見かけたい。
「すっ、すっ、ゆっくり焦らず、すっ、すっ・・・」 また塔の岳に登ろう。
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