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その一週間前には顔振峠から北向地蔵まで何事もなく歩けたので、もう大丈夫と思っていたら、その後1週間にわたって椅子から立ち上がる度に痛みで顔をしかめざるを得ない状態が続いたので、完治していないことは確かだった。無理なようなら早めに撤退することにしようと思ってはいても、途中でギックリ腰になって倒れたらどうするの、だいぶ先まで進んでからやはり引き返そうと思ってもバリルートだからそれも難しくて進退極まるのではないか、など心配の種は尽きなかったが、とにかく100メートルごとに腰に注意を払うということにして(解決策ではないのだが)思い切って出かけた。まあ、前坂までの急登を1時間掛けて登ってみればその日の具合がわかるだろう、そこで進退は決めればいいと考えていた。
結果は、全く問題なかった。「疲れた、ただそれだけ」。歩き方や腰の動きに気を配ったこともあるが、むしろ歩くことが治療法のひとつだったかもしれない。腰が鍛えられた感じになって、今日はわりと具合がいい。このルートを歩けて充足感に浸っている。
ところで、このスルギ尾根はどの地図でもバリルートになっている。しかし、昨日の印象では、一般ルートに近い。道標もほぼ完備しているし(小さくて頼りなげだが)、特に危険な個所もなかった。藪漕ぎもない。奥武蔵の他の一般ルートの方が自分にとっては嫌な危険個所(断崖絶壁の際を通過するところ)がある。ここでは怖いとか足が進まないとかは全くなかった。清掃登山の中年女性グループや一般登山者10名位と出会ったから、みなさん普通に歩いているのではないだろうか。
ただ他の登山道と違うのは、アップダウンが連続して数多くあり、それも急坂のうえ岩々しているので足元が危ないこと。そのため体力を奪われる。
古い山と高原地図(1999年版)に赤線を書き入れようとして気が付いた。前坂から子の権現までの間に迷の丸文字が4ケ記載されている。昨日は、いずれの地点にも道標が設置されていたように思う。なるほど、このルートに道標が設置されていなかったら、確かにバリルートだ。迷の印以外の地点でもルートを迷うような地点はいくつもあるので、登山者にとってルート選択は至難のわざだ。道迷い必至である。山慣れした登山者でもルート選択でミスをし全行程を歩き切るのは非常に困難だろう。
2022年版の地図を眺めると迷の丸文字は消えている。でもルートは点線のまま変わらずにバリルートであることを示している。昔の名残りで、一般登山者に注意喚起というところだろうか。
ところでルートからちょっと逸れたところに堂平山という東秩父ハイキングコースにある山と同名の山がある。ちょうどその分岐の場所で昼食をとり元気が出た直後なので、その勢いで寄ってみた。グーンと坂を下ってまたグーンと上り返した。戻りも同じことを繰り返し、合計30分掛かった。堂平山の頂上は単なる杉林、今まで訪れた頂上の中で一番つまらない頂上だった。奥の方に進むと山名のテープが杉の木に張り付けられていたのではじめてここが山頂だと確認できた。
それでその辺をざっと観察してさて帰ろうとした時、あれ、戻り道はどっちだっけ、杉林に囲まれてうろうろしているうちに方向感覚を失ってしまった。3方向に似たような道があるしいずれも踏み後は漠然としている。これが疲れ切った夕暮れ時だったらパニックに陥ったかもしれない。だが早めの昼食直後だったためかまだ冷静さを保っていたようだ。少し考えてから、上ってきて真っすぐ進んだら頂上テープの樹木に出会ったのだからとまずそのテープの樹木を探した、それから上り口の方角はテープに向かって左手だったことを思い出し、その方へ向かった、果たして下り道があったので事なきを得た。上り下りを2回繰り返し疲れてしまった。無駄な労力を使ってしまった。ここは寄らなければよかっと後悔もしたが、いやいやこれも記念になる、もう2度と来ることはないのだからと考え直した。
後半を進むにつれ道が一般道と変わらなくなり単調になってきたせいか、好奇心がなくなり頑張る気力が失せてきた。子の権現駐車場に着いた時にはすっかり疲れてしまった。それでそのまま下山にかかり西吾野駅を目指したが、1時間余りの下山路が本当に長かった。
でもよかった。もう年だから無理しないでと、それをいつも心がけているけれども、好奇心には勝てずバリルートなんぞに出掛けてしまった。よいのか悪いのか、いつかどこぞの厄介になるのか、それは兎も角、自信、自信、自信、これが老人にとって何にもまして大事、自分はまだまだ大丈夫、くたばらないよ、そう頭の中の脳細胞に言い聞かせる、38度予想の埼玉県の山を熱中症にならずに歩き切った、今日も元気だ、俺はまだまだ大丈夫、大丈夫、大丈夫、腰も治った・・・・・
ああ、そうですか、年寄りはどうしようもないや、そう念仏でも唱えていれば・・・・・
写真1 1999年版「山と高原地図」 本年版と比較するとずいぶんすっきりしている。迷の文字が4つ記載されているが、所要時間は記載されていない。この当時は道標が設置されていなかったと思われます。
写真2 堂平山の頂上 これを眺めるため寄ったかと思うと損した気になります。
写真3 ある分岐 写真の位置は忘れたが、このような分岐がいくつもあります。木の枝を置いて注意喚起している箇所もありますが、なにもない分岐もあります。ここは、原則通り尾根を選び左へ進みました。右が巻き道のようには見えなかったので、どこへ向かっているのだろう。
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