『ネパールに行ってヒマラヤを見る』という目的と、一冊の地球の歩き方だけ持って、ネパールに飛び込んでいった旅。
行く先々で貧しい子供達に囲まれ、困りながら触れ合ったり、そして親しくなったネパール人青年の『恋の悩み』を聞いたり。
そしてそんな人々との関わりを紡ぎながら、波に揺られる小舟のようにアンナプルナの懐へと導かれていくのである。
(全4話)
【第1話】始まりの街「カトマンズ」はこちら
https://www.yamareco.com/modules/diary/36225-detail-174083
【第2話】ヒマラヤの見える丘「ナガルコット」はこちら
https://www.yamareco.com/modules/diary/36225-detail-174298
■ 家族へ薬をとどけに「チトワン」へ
恋の悩み相談などを経て親しくなったネパール人青年だが、彼から提案があった。
親に薬を届けに実家に帰りたいのだが、君、(予定がなくてヒマなら)、チトワン国立公園を案内するから交通費をもってくれないか?と。彼の実家はチトワンの近くなのである。
チトワンには国立公園があり野生動物の楽園で、そして私は動物好きである。登山で『クマの親子が出たんですよ!』と言われると、『それは危なかったですねぇ』と出会わなくてよかったそぶりを見せるものの、どこか『見たかったなぁ』と思ってしまう。
のちにイノシシと一緒に登山口から下山口まで登山をしたり、インドの野生保護区を徒歩で歩いていて、『バカヤロー!こんなとこ歩いてるとゾウに踏み潰されるぞ!』と救出されたことも。。。(汗)
どうも動物をどこかトモダチだと思っているフシがある。
なので私はその提案を喜んで受け入れた。そして次の日に早速チトワンに向けて旅立ったのである。ローカルバスで。。。
カトマンズは標高1500m程あり、実は上高地並みの高度がある。それに対してチトワンは南側、インド方面に位置しており標高は200m程しかない。なので、クネクネした山道を下って行く。
それでもその日は気温も高く、暑かった。バスの車内はヒンディー音楽独特の女性歌手の甲高い声が響き渡りうるさく、さらにオッサンたちが熱弁しているのが輪をかけて暑苦しい。
山道は大型車が二台すれ違うのがやっとなのだが、ドライバーは運転が下手なのか?対向車とすれ違いざまに相手のサイドミラーを壊して行き、ドライバー同士で怒鳴り合ったりしてる。
そしてふと、崖の下を覗き見ると、谷底にバスが転げ落ちていたりする。休憩時に自分の乗っているバスのタイヤを見てみるとツルツルで溝がなく、運が悪ければ、ああなるかもしれぬという一抹の不安がよぎる。
そして極め付けは、運が良かったのか悪かったのか、その日は『ホーリー』という祭りだったことだ。
街道ぞいの村の近くに、なぜか嬉しそうな顔をした子供達がそれぞれバケツを持って10人くらい一列に並んでいる。
『なんだろう?』
と思ってみていると、バスが彼らの脇を通り過ぎた時に、『お祝い』していただけたので、答えがよく分かった。
なんと、子どもたちは、一斉にバケツを振りかざし、そのバケツに入っている『色粉を溶かした真っ赤な水』をバスめがけてぶっかけて来たのである!!
ローカルバスにクーラーなんてものは付いておらず、窓は全開。車体の側面に一斉にブチまけられた赤い水は飛沫をあげ、車内に飛び込んでくる!!おかげでモロに飛沫を被った。悪ガキ達はそれを知って待ち構えていたのだ。
この悪ガキ集団。街道の至るところで待ち構えている。その脇にはお母さんみたいな人もいるのだが、『しっかり狙うのよ』と言わんばかりにニコニコしてみている。
村を通過するたびに、水をぶっかけてくるので、こちらも学習し、悪ガキどもが視界に入ると慌てて窓を閉め、過ぎ去ると暑くて窓を開けることを繰り返す、忙しいくも賑やかなバス旅であった。
私の服が赤いシミになったのは言うまでもない。
チトワンは亜熱帯地域でほとんどインドに近い。カトマンズの乾燥して埃っぽい感じと違い、ジャングルと草原がある。
まずは薬を届けにネパール人青年の実家に行く予定だったので、バイクを借りることになった。
借りたのはボロい原チャリで、そのボロバイクに2ケツしてダートの道を走っていく。
青年は
『ノってるかーい!』
みたいな感じで、テンションを上げてくるが、こっちは原チャの2ケツでしがみつくのに必死である。
『イェー』
と答えるものの、かみ合っている感じではなかった。
周りは畑だったり、湿地帯だったりでだだっ広い。その中をとくとくと走っていくと、突然青年が『ライノ!ライノ!』と言って、バイクを止める。彼が指差す方を見ると、なんと草原で『サイ』がのんびり草を食っている。
すごい、まるで牧場にいるウシを見ているかのようである。でもそこにいるのはサイ、猛獣じゃん。実は巨獣あふれる平原を、サファリパークのごとくフツーに原チャリ走っていたのであった。
そして、現地風の青年の家に着くと、両親に出迎えられた。この辺りで農家をやっているような感じである。
せっかくだから、これを飲んで行け!とコップ一杯の白い液体を出される。
何だろうと思って顔を伺うと、
『バッファロー、ヨーグルト』
と言われる。
つまり水牛のヨーグルトである。
インド、ネパールのヨーグルトは、ラッシーのような飲むヨーグルトだが、目の前に置かれた白い液体はまさにそのものである。しかし水牛って?
どうぞどうぞと勧められるままに飲んでみると・・・
す・・・すっぱい!!!
どうだと聞かれたが、思わず出てきた言葉は
『デ・・デリシャス・・』
いただいた手前、変なこと言えなかったのと、料理の感想のボキャブラリーなんて『デリシャス』くらいしか瞬間的に出てこなかった。
だが、顔は酸っぱさのあまり梅干しのシワのようなかんじでデリシャス感全くなし。私のあまりに不器用な反応に、青年の両親は笑っていた。
翌日はゾウの背に乗ってジャングルの中を進むというアクティビティに参加した。象の背中は歩みに合わせて左右にめっちゃ振られるので、乗り心地はがいいとは言い難い。
少しジャングルの中を進むと何やら草むらをガサガサいった。『タイガー!タイガー!』とゾウ使いが叫ぶ。どうもトラがゾウにビビって逃げていったらしい。ゾウの歩みは遅いことを考えると、公園の宿泊施設からはさほど距離のないところにトラがいるということになる。
人の居住区と猛獣の居住区にあまり境がない感じがすごい。人家の道のど真中でオスの孔雀が羽を広げていたりもしていたし、昨日、道のそばで草を食っているサイもそうだ。
大満足だった。こんないろいろな体験ができるなど想像もしておらず、充実感を感じながらカトマンズへの帰路に着いた。
ただ、ひとつだけ気がかりなことがあった。それはネパール人青年と一緒にいるのに疲れを感じ始めていたことである。
あまりにいろいろなことがありすぎて、しかもずっと英語で会話しているわけだが、人や環境を受け止め、応じるのにすごいエネルギーが必要なのである。
帰りのバスではお互い、会話が噛み合いづらくなり、言葉数も少なくなってきてしまっていた。
【最終話】 アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
につづく
https://www.yamareco.com/modules/diary/36225-detail-174701
こんばんは、私も2002年にフト思うことあって
カトマンズやポカラに行きました。
そこら辺に首のないヤギとか鳥とかが血の付いた状態で
お供えされていて、その血なまぐささに最初は気分が
悪くなったことを覚えています。
パシュパティナートだったかな?寺院では幾つもの死体が
目の前で火葬され、その横を流れる川では人々が水浴び
していたり洗濯したり。
ネパール人に、日本ではあり得ない光景だと言うと
キミもいつかは このようになる。ネパールでは輪廻転生
が信じられているので火葬を見られることに抵抗はない
と言われたことが心に残っています。
とにかくエキサイティングな街でした。
ナガルコットも行きました。朝陽を浴びたランタンが
キレイでした。
会社勤めが終わって時間が取れるようになったらネパールは
再訪したいと思っています。
日記を読ませて頂いて懐かしくなりました。
ポカラ編も楽しみにしています。
bassoさんこんばんは!
この話は2000年におとずれた時の話なので、同じくらいですね。
再訪したいというお話を聞いて、ふと、自分は再訪するのだろうかと考えてしまいましたが、
パシュパティナートはおとずれませんでしたし、ランタン谷にしろ、いろいろ見きれていないものがあるものだと思います。
話の中でもたくさん出てきますが、今回は子供や青年との思い出が多く、また、話として落としていますが、小学校の見学をさせてもらったりとか、子供達や生活の印象(あと、動物)がある旅で、宗教観などあまり意識が向いていなかった気がします。
その時の自分の年齢によって、響く琴線が違うのかもしれませんが、もしいつかおとずれるとしたら、見るネパールの見方や、印象は、この時と違うのかもしれない。そんな気がしました。やっぱり同じことするかもしれませんが(笑)
ポカラ行きのバスのサービスエリアのようなところで、ヒマラヤの麓の方までいくのだという、年配の方にお会いしましたが、将来そういうのもいいな。とふと思い出しました。
読んでいたいてありがとうございます。
よき旅を続けたいですね。
cajaroaさん、こんばんは!
今回もとっても楽しく読ませていただきました(*^▽^*)
私自身が物語の主人公になって旅を楽しんでいる様な気分で、
なんだかワクワクして・・・
人との出会い、美しい景色との出会い、ちょっとしたアクシデント
(その場は焦りますが💦)。
どれも素敵な思い出として心の中に残ります
北海道を車で一緒に旅した友人と、年末に帯広のナイタイ高原へ夜行列車で向かい、約22時間かけて辿り着くという旅をしました。
かなり昔ですが・・・
宿泊した翌日の朝の気温は氷点下18℃。
この旅の目的はナイタイ高原に行く・・それ以外の計画は無かったので、暇だし街まで降りてラーメンでも食べようという事で、雪道をテクテク歩き出しました(歩いているのは私達だけ)
途中、何台かの車の運転手さんに「こんな雪の中街まで行くの⁇ 乗せて行くから」と声をかけて頂きました。
きっとかなり珍しかったんだと思います(笑)
丁寧にお断りをして自力でラーメン屋に辿り着き、ラーメン食べて
帰りはタクシー🚕乗っちゃいました😅
なんだか妙に楽しかったです。
あっ、また長文になってしまい申し訳有りません。
次回が最終回とは、ちょっぴり寂しい気もしますが楽しみにしております。
ak0211さんこんばんは
ナイタイ高原って、冬は雪原が広がるのですね。
綺麗そうです。
計画がないと、計画を見つけに行くのが大変なので、
その分、起こった出来事に対して、印象的ですよね。
きっと、そのラーメンそのものというより、
氷点下18度というと雪山並みの道や。
その文脈に価値があるのかもしれませんね。
その道を想像しました。
インド、ネパールは人の森などという例えがありますが、
とにかく人と接する機会が多くて面白かったです。
サラッと書いていますが、実際、もっと濃かったような。
景色を見に行ったはずなのに、
人の思い出が多かったりして。。
最終回は、明日、明後日くらいに投稿しようと思っています。
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