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2018年10月31日 10:03旅ものがたり全体に公開

アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・

〜 前回までのあらすじ 〜

『ネパールに行ってヒマラヤを見る』という目的と、一冊の地球の歩き方だけ持って、ネパールに飛び込んでいった旅。

行く先々で貧しい子供達に囲まれ、困りながら触れ合ったり、現地で親しくなったネパール人青年の『恋の悩み』を聞き、彼の家族のもとに薬を届けに一緒に行ったり。。。

そしてそんな人々との関わりを紡ぎながら、波に揺られる小舟のようにアンナプルナの懐へと導かれていくのである。
(全4話)

【第1話】始まりの街「カトマンズ」はこちら
https://www.yamareco.com/modules/diary/36225-detail-174083
【第2話】ヒマラヤの見える丘「ナガルコット」はこちら
https://www.yamareco.com/modules/diary/36225-detail-174298
【第3話】家族へ薬をとどけに「チトワン」へはこちら
https://www.yamareco.com/modules/diary/36225-detail-174571




■ アンナプルナの懐「ポカラ」へ

旅の後半では友人と合流することになっていた。

私は2週間ほどの旅であったが、友人は一週間足らず。合流後の計画はなかったのだが、私のようにフラフラとしていたらあっという間に時間がなくなってしまう。

ネパール人青年に相談しようかと思ったが、英語での会話にだいぶ疲れていたし、世話になり続けていたので、これ以上頼むのもどこか気が引ける。

しかし、あまり良い方法も思い浮かばないのでヒマラヤがバッチリ見えるようなところに案内してもらえないかと相談してみた。すると

『ポカラに行くのが良いであろう』
と案内を引き受けてくれた。こうして友人と合流し、バスでポカラに向かうことになった。

ポカラへは、チトワンのようにくねくねした山道を下って行く。今回は前回と違い、水をぶっかけてくる悪ガキがいなかったので大分平和な(笑)バス旅であった。ただ、雨の翌日だったせいか、街道のあちらこちらで脱輪などの事故が起こっていた。

そしてもう一つ違ったのは、わたしは旅の疲れも出て、青年とは交わす言葉が少なくなっていたことだった。。。

途中、サービスエリア的な?休憩所に立ち寄り、昼食をとったのだが、この時始めて現地式のご飯の食べ方を体験することになる。いわゆる素手で食べるというやつである。

日本では、『う○こを拭く手で、握手したりや食べるのは汚い』みたいな話をよく聞くが、それは大した問題ではない。熱々のライスを素手で食べる方が大変。なにせこれがめちゃくちゃ熱い!!炊飯器で炊き上がりの米に手を突っ込んで食っているようなものである。

涼しい顔をしてアツアツのライスとカレーを混ぜながら食べる青年は指皮の厚みが違うのか?冷めるのを待ったり、ちょこちょこ混ぜたり悪戦苦闘の食事であった。

バスを降りてからは歩いた。広い緑の草原の丘を駆け上がって行くが、特に道はない。丘を超えていくと、白い羊の群れが目に入る。そのそばには羊飼いの幼い少女が群を束ねていた。ここは牧草地なのだろうか?いったいどんなとこを歩いているのか、まったく見当がつかない。

実は青年も道がよくわかっていなかったらしく、少女に道を尋ねている。羊飼いの少女は『あっち』と指をさしている。草原なので案内はきわめてシンプルだ。

『これ、普通に一人旅とかしたら、たどりつくのだろうか?』
と思うような道程である。

日本の山だとクマに注意する必要があるが、こちらは場所によって『山賊』が出るらしく、意外と危険らしい。クマは人間をさけるが、山賊は人間に寄ってきそうだ。

さらにしばらく歩き、そして小高い丘を登りきると、目の前に巨大な山の姿が飛び込んできた。

どんよりとした曇り空に大きなピラミダルな姿の山が、鎮座している。

それこそは、ヒマラヤ、アンナプルナ山系の一座。
『マチャプチュレ』※
であった。

※ネパール語で「魚の尾」の意。標高6993m。シヴァ神に関連する神聖な山として崇敬される。登山禁止のため未踏峰となっている。

標高は7000m近くあるというので、物凄く高く、壮大に感じるのかと思いきや、意外とそうも感じない。

距離感のせいもあるのだろうが、ヒマラヤ、7000mなどというと、ちょっと現実感のない存在だったから、オーバーな期待をもっていたのかもしれない。しかし曇り空にそびえるマチャプチュレはもはや架空の山ではなく、今立っている世界の地続きにある山そのものだった。

そして眼前のマチャプチュレと対峙することで、『ヒマラヤを見に来た』という実感を得たのである。

その日の宿は山小屋風であったが、テーブルやベッドは小綺麗できちんとしている。しかし電気が通っておらず、部屋の中は真っ暗。一見こんなとこ客が来るのか?と思うような宿である。

テーブルの上は、手作りのランプが灯されていた。空き瓶にパラフィンを満たし、芯を浸しただけの簡素なものだが、それはそれでムードがある。しかし、テーブルを囲んで話をしていると、まるで黒魔術でもしているかのようであった。

すると突然!扉が開き、他の宿泊客が笑顔で顔をのぞかせた。それと同時に明るく威勢の良い日本語が飛び出してきた。

『マリファナやってるんですかーー!?』

これにはびっくりした。たしかに怪しい雰囲気だったのかもしれないが、誤解である!しかし。。。

『僕も混ぜてくださいぃ!!』

え””ーーーーーッツ!

残念なことに我々はタバコすら吸わない健康人類であった。フツーの人だと分かると、残念そうに、部屋を出て行った。

この国は、良いも悪いもさまざまなものが、カオスのように混在している。ポカラに帰った頃は、そんな環境を受け止めるのに疲れてしまったのか、英語で話をすることも、世話を焼いてくれることも、避けたい気持ちになってきた。

どうしても一人になりたくなり、少しの1人で外に出ようと思って、黙ってフラフラとポカラの町に出ていった。

街はずれまで歩くと、高い屋根の家が目についた。窓から壁一面に沢山の絵が飾ってあり、まるでおとぎ話に出てきそうな家だった。どこか興味が惹かれ、家に近づいて行った。

それはアンナプルナの風景画を描いて売っている絵描きの店だった。のぞいていると若い主人が出てきて、話かけてきた。店の名前は日本名で花の名前がつけられていた。それが商売のためなのか分からないが、どうも彼は日本に興味があるらしい。

私も絵を描くのが好きなのだったので、話しかけられると自然と会話がはずんだ。絵のこと、画材のこと、日本のこと・・・時間を忘れて随分と話し込んだ。ネパールの喧騒からはなれ、とても静かで穏やかな時間だった。彼は別れ際にアンナプルナの風景画をくれ、私はお礼を告げて、宿に戻っていった。

ただ、黙って出てきてからあまりに時間が経っており、宿に戻るとひどく心配された。人に頼んでおきながらも、なんとも我がままな自分。1人になりたかったことを肯定する気持ちと後悔の気持ちとに葛藤した。

しかし残念ながら、その件をきっかけにネパール人青年とは、少しギスギスしてしまうことになる。

そして、カトマンズに戻り、少し街を回ってから、ネパールを発った。
さまざまな思い出と、ほろ苦い後悔を胸に抱えたまま。。。

だが、それが旅の本当の終着点でなかったことを、そのときは知る由もなかった。





■ そして・・・

それから数年後。旅のほろ苦みも忘れたころ、ネパール人を名乗る人物から実家に電話がかかってきた。

でも、知らないアジア人から片言の日本語で

『ネパール人です。息子さんと知り合いです。話がしたいです』

みたいな電話があったら、『何言ってんだ?』と犯罪か何かと勘違いして電話を切るのが普通かもしれない。

しかし、人が良いのか、うちの親は『ネパールへ旅した時の関係者ではないか?』と素直に思ったらしく丁寧に対応し、連絡先をメモしてくれていた。

ひょっとして・・・と電話してみた。はじめ、拙い日本語で話しかけられたので分からなかったが、思い出話が出てきたので、すぐにあの時のネパール人青年だとわかった。しかも日本に移住し、そこから掛けてきているらしい。

電話がかかって来るなど想像していなかったので、とてもびっくりしたが、ただ、連絡をくれたことが嬉しく、早速みんなで会おうというと約束した。

離れた国の者同士で、体験を共有したからなのか、会うと再会を素直に喜びあえるもので、話がはずんだ。

私がネパールをたった後も『日本の女性と仲良くなる作戦』は続けていたようで、その後、気の合う女性にめぐり合い、なんと結ばれて結婚、日本に移住してきたらしい。

しかも義父は貿易会社に勤めており、そこに入社して見習いで働いているのだという。彼の描いていた『ヒマラヤのピンク色の岩塩を輸入する仕事をする』という夢に、大きく歩みを進めていたのであった。

彼はネパールでは色々な日本人と出会い、あるときは僕らのように案内したりして連絡先を交換していたらしい。しかし電話をかけたところ、すべて切られてしまったのだそうだ。

そして最後に残った電話番号が私のものだったのだが、最後ちょっとギスギスして終わってしまったので、電話をするのをためらったらしい。でも結局、唯一会えた日本人だったのだそうだ。

ネパールにいるときは、冷房というものが羨ましかったが、実際日本にきてみると寒くて仕方ないとか、義父の晩酌に毎晩付き合わされて大変だとか・・・環境や文化の違う土地で生活することにストレスを抱えているようで、そんな贅沢なジャパニーズスタイルな悩みをうちあけていた。

そんな話をしながら、時間を過ごしたが、気がつけば、どこか心の中に残っていたわだかまりが消えていた。

この時、アンナプルナを見に行った旅に、本当の終わりが訪れたのであった。

ーーーー

その後、多くの国を旅し、そして多くの街を訪れた。自分一人で行きたいところへ、ある程度思い通りに行動できるようになった。1週間程度の旅もあれば、数ヶ月にわたるものもある。今では年に一度くらい海外出張に出たりするようにもなった。

それでも2週間足らずのこの旅の思い出が、今でも鮮かに残っているのは何故だろう?

計画はなかったし、言葉も不自由だった。偶然を重ねながら、不器用なまでに人や環境をまともに受け止めて、さまざまな人と触れ合いながら、紡ぎ上げられた旅路だった。

でも、だからこそ、それは心に深く残っているかもしれない。

今でもアンナプルナを見に行った旅を振り返ると、人々とのエピソードやさまざまなシーンが、絡み合うように思い浮かんでくる。その時に感じた、嬉しさや寂しさ、緊張や高揚、そして後悔や感謝といった気持ちとともに。

私はそれを、ずっと忘れないに違いない。



『アンナプルナを見に行った話』
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コメント

RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
こんにちは。
初回から、次を楽しみにして読ませていただいておりました。
大人になりきってしまうとなかなかできない旅ですね。
おかげで、僕も旅に出たような気分になれました。
ありがとうございました
2018/10/31 10:28
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
gankoyaさんこんにちは!
はじめまして

確かにおとなになるとなかなかできないですよね。
大人になると、なかなか時間もとれないというものもありますし、
いろいろ器用になってしまい、同じことをしたとしても、感じ方や捉え方、が違ってしまうのかもしれないのかもな。と

結構書いていると恥ずかしいものです。
うわー、若かったなー、よくこんなことしたなーなどと思いながら書いていました。(笑)

でも、それゆえ、旅行者=収入源とみられがちな経済格差の壁を(子供ですらそうなので)
少し乗り越えられた?ような体験ができたのかもしれません。

ずっと読んでいただいてありがとうございます。
まとめるのが大変だったので嬉しいです。
2018/10/31 12:16
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
cajaroaさん、こんにちわ。
私も30年ほど前にネパールのあちこちを
ぶらついた口なのでネパールの旅日記
全四回楽しく読ませてもらいました。
特にポカラは村からアンナプルナ山群が
屏風のようにみえていいですね。
今でこそLCCで安く行けるようになりましたが、
それでも往復いれたら1週間くらいはかかるでしょうから、
なかなか行きたくても行けない国の一つですね。。
でももう一回行ってみたいかな。。

私はチベットから陸路で入国したクチで、
豪雨で国境の道は崩れて山道は歩かされるは
暑くてジメジメして、子供は下半身すっぽんぽんだし
とんでもないところに来てしまったと。。
最初の印象は最悪でしたが。。
あんないい国はそうないですね。
2018/10/31 10:56
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
yamaneさんこんにちは!
お久しぶりです。

あんなにいい国っていうのは、なかなか心の底から言えない言葉ですよね。
あの環境にさらされないと、感じ得ない感覚な気がします。

人に対しても自然に対しても、旅としての関わり方が、、、なんと言えばいいんでしょうね。
濃いというか、適切ではないな、、うまい言葉が見つかりません。(笑)

今回、自分で文章にまとめてみて、
そしてもう一回行ってみたいかな。。とコメントいただくと、
自分ももう一回行くとしたら、とお返事を書きながら考えました。

あの辺りの国は、心と体が馴染んで、良さが見えてくるまで時間がかかるし
たしかに、時間をとってじっくりと回りたいかんじがします。
ふりかえれば、全然見切れていないような気もするし、
そもそもナガルコットでもガキンチョに邪魔されてヒマラヤ見てないし、(笑)

チベットもいいなあ。今後同じ体力で同じ方法で回れるのか分かりませんが、
そんなお話を聞くだけでも、見知らぬ土地への好奇心が湧いてきます。

長文でしたが、
読んでいただいてありがとうございました!
2018/10/31 12:55
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
こんにちはー。
ネパールの青年とのわだかまりが消えた、との文章を読んだとき、うるっときました。電話番号がかわっていなかったことが幸いですね。そして彼は電話番号を大事にもって、日本に訪れてきたことことを想像するとたまらない。。そして二人の関係は浄化された。すばらしい思い出の共有ありがとうございました
2018/10/31 12:30
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
Fuhさんこんにちは
はじめまして。

私も最終話を書いていた時は少し涙腺が緩みました。

話の中でも少し匂わせてますが、経済の格差から、親しくなることを阻害する面があります。初めはハガキをうることを目的に子供が寄ってきたとか、薬を届けるバス代を持つ代わりに案内してくれたこととか、

日本で会ったとき、『ネパールでは世話になったしね』なんて言ってましたが、お互い気にするところでもあったのだと思います。

こちらも若かったので、なんも考えずに絵を描いてあげたりとか、原爆の話につい真剣に付き合ったとか、そういうのを意識しなかったのが、案外そういうのを簡単に壊してたのかもしれません。

最後、日本であった時はそう言ったしがらみもなく、普通に接することができたこと自体嬉しいことでした。

そしてコメントいただいたように、日本に来た時に素直に会いたいなと思って電話番号を取っておいたのだと思います。

最後までお話にお付き合いいただいてありがとうございます!
2018/10/31 20:47
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
cajaroaさん こんばんは

とっても素敵なお話でした。
そして意外に短い滞在(2週間)にびっくり !(◎_◎;)
ぎゅっと凝縮された旅だったのでしょうね。

ほんとに若い時は、怖いもの知らずですよね。

私の周りには、わざわざ留年してインド旅に行っちゃった先輩やら、新婚旅行は、ネパールトレッキングの夫婦、やっぱり新婚旅行で、ヨーロッパアルプスのどこか?を登りに行っちゃった夫婦・・・
あの時代(30年前)に、どこか吹っ切れた人たちを見ていたもので、
自分たちも出来るかも?っで、欧州2ヶ月バックパックだったんです
忙しい30代〜40代を経て、行っておいて良かったとしみじみ思います。50代は、やっと時間が出来たので、お山に復活!
体力ある50代のうちに、ネパールトレッキングはしといた方が良いよ〜と悪魔のささやきが聞こえてきているのですが、さすがに今2週間の休みが取れない (家事は休める

それでも、なんだかちょっと無理してでも、もう一度海外旅に行きたい気になってきたわ


楽しい旅日記をありがとうございました。

次は、是非maamさんとの旅日記をお願いします
二人で行くのも、きっと楽しいわよ〜
うちは、いつも珍道中になってました
2018/10/31 22:57
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
jikyoonさんこんばんは!

いやー体力あるうちにネパールトレッキングしておいたほうがいいですよ〜。・・・悪魔の囁き(笑)

いろいろな国を、旅しましたけど、インド・ネパールあたりは、相当エネルギー使うとおもいます。旅の仕方にもよると思いますが、環境・文化の違いが激しいのと、人間が大変です。

だいぶ治安も良くなっただろうし、飛行機でもポカラ入りできるから、だいぶ楽なんじゃないかと思いますが、今、またバックパックスタイルでいったら、ポカラに着いた時点でダウンしそうです。

今、若い人って、あんまし海外旅行とかしないみたいですね。
私は付き合っていた彼女が、普通に「オーストラリア行くの!」
といっていたので
自分も行かねばカッコとかんだろ、みたいな形で始めました。(笑)
周りが行ってることの影響って大きいですよね。

友人は男は女に育てられるものだろう?
なんて言ってましたが、これは名言です。

実はMaamとも色々な国を一緒に回っているのですが、maamがかなり英語ができる上、計画的なので、あまりトラブルとかおこらないんです。相手が英語しゃべれないとなぜか私の出番になります。

初めて一緒に旅行したとき、私がインドや、タイを一人で回っていたので、カンボジアのシェムリアップのゲストハウスに現地集合したとか、そしてmaamに現地人と勘違いされ、まったく気づかれなかったとか、ネタになりそうな話もありますが、山の話じゃないのでどうかなぁ。

今年は二人で、正月にタイにクライミングに行く予定で、予定通り行けたら、それはレコにあげようと思います。

4話と長かったですが、最後まで読んでいただいてありがとうございます!
2018/10/31 23:52
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
cajaroa さん、こんばんは!

とうとう最終話になってしまい、これからの楽しみが一つ消えてしまいました( ; ; )

人との縁とは本当に不思議だなぁ〜って思います。
cajaroaさんとネパール青年とのご縁も、ちょっとタイミングがズレていたら会うこともなかったでしょうし、電話番号を大切に持ってらした事も、最後の電話番号がcajaroa さんのご実家、電話を受けたご家族の「ネパールへ旅した時の…」と思われた事も、再会する為のものだったんですね・・・きっと

実は私にも手紙を書いた事が縁となり、北海道のとある牧場の方と知り合いになりました。
その牧場には「牧場の暮らしや馬たちの日々の世話がどんなものか見てみたい」といった内容の手紙が良く送られてくるそうですが、
いつもはスルーしていたものの、何故か私の手紙が目に留まったらしく、なんと「良かったら遊びにいらして下さい」と電話がかかって来ました( ゚д゚)
で、図々しくも訪ねてしまいました(空港までベンツ🚘で迎えに来てくれたのにはちょっとビビリましたが😵)
その牧場のご家族とはその後沢山の思い出が出来ました。

最終話を読ませて頂いて懐かしい思い出が蘇って、つい長くなってしまい申し訳有りません。

次回はどんなお話が投稿されるのかと楽しみにしています(*^▽^*)
2018/10/31 23:19
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
ak0211さんこんいちは!

インドなどは「人の森」とよく例えられるますが、ネパールも文化的に似ていて。ものすごく、人の縁が絡んで来やすい土地柄でした。

でも、ネパール人青年から聞いて不思議だったのは、他の日本人たちが電話を切ったというところでした。

青年は頭の切れる感じでしたし、日本人と結婚して日本に来ています。しかもネパールから何かを頼る電話ではなく、日本でしっかり自分の足場を固め「ふつうな立場で会う」前提で電話をしてきているくらいで、打算的なものがなく、素直で信頼おける人柄でした。だから、なんでだろうと思いました。

理由は明確にわかりませんが、潜在的なアジアに対する差別意識か、あるいは旅の中での関係が利害の意識みたいなところが要因としてあったのかもと考えました。

後にインドに行った時に日本人のお金によって来る人がたくさんいて、そういうのを躱しながら旅をしましたが、距離を置きながら接していないと大変です。でも、ネパールのときは考えずに突っ込んでってたので、あんまし意識してなかったんですね。

そんなことを振り返りながら、akさんのコメントを読んだとき、
「牧場の暮らしや馬たちの日々の世話がどんなものか見てみたい」といった内容の手紙が送られてきて、スルーすると言う話は、どこか手紙の内容が頼み手側の都合だからなのかなと思いました。

akさんの手紙はおそらくそういうんじゃない、何か、もっと素直なことがかかれていたのだろうなと想像しました。

なかなか大変な日記だったので、次は何書くかまだ決めていませんが、楽しみに読んでいただいて本当にありがとうございます。
2018/11/1 12:24
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
cajaroaさん、こんにちは。
私が仲良くなったネパール人の青年は、
未だにFACEBOOKで繋がっています。
何度かメッセンジャーで電話もしました。
時代は変わりましたね。
電話番号を、、、というのもロマンがありますね。
2018/10/31 23:52
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
matiaさんこんにちは

最近はFaceBookという使うと言う手があるのですね。

旅はでの出会いは一期一会のようなイメージがあるので、

最近はその概念が変わってきているのでしょうね。

でも旅で出会った縁がそのまま続いているのは素敵ですね。これからも続くといいですね。

FaceBook登録しておこうかな?

レコ拝見しましたが、飛行機使うにしても11日間の休みですか

”Transfer&Transit各4回”と書かれていましたが、そこまで多いのって初めて聞きました。でもたしかに安い。

それで2ヶ月とか休みとれるなら、Transitで訪れた都市でそれぞれ観光できちゃいますね。昆明、ラサ、成都、上海、どこも訪れてみたい都市です。

昔バンコクでTransitした時、Transit期間「1ヶ月」にのばしてタイ各地と、カンボジアまで足を伸ばしたことがあります。

アジア各地、トランジットの旅。なんちて。まあ、そんなに休みが取れたらですけど(笑)

読んでいただいてありがとうございます!
2018/11/1 12:45
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
cajaroaさん 初めまして。

4回ともとても興味深く読ませて頂きました。最後は意外な展開となりましたが、ネパールでのお互いのわだかまりが日本で解けて良かったです。

実は私も大学でワンゲル部に居まして、卒業前1ヶ月を使ってワンゲル仲間3人でネールにトレッキングに出かけ、同じくアンナプルナを見に行ったのです。格安航空券で帰りの便が未定のままカトマンズへ。貧しそうな子供達に「マニ、マニ(Money)」とお金をせびられたり(勿論渡しません)、祭りで赤い顔料や水をかけられたり、同じ様な経験をしました。牛が普通に街中を歩いていてびっくり、紙が無く水の壺だけのトイレで途方にくれたり、驚く事だらけでした。

ポカラへバスで移動したのですが、書かれていた通り、道がとんでも無く、途中でパンクしてしまいましたが、長い時間かかってタイヤを付け替え何とかポカラに着きました。今度はそこから徒歩で山の村に泊りながらアンナプルナのベースキャンプまで辿るのですが、村と村の間がとてつもなく長く、やっと登りきったと思ったら、登った分だけ谷の村に下る、と言った具合でした。でも後で思うとベースキャンプは標高が4000m位あるので、高度順化には良かったのかもしれません。そして村で休んでいると子供達が興味深そうに近づいて来ます。私はノートにイラストを描いて渡してあげるととても喜んでいました。

そして村からさらに奥に進むと「マチャプチャレ」が目の前に。とても格好いいですよね。アンナプルナも迫力ありましたが、自分達の中ではマチャプチャレの鋭鋒の方が印象強いです。

自分の話が長くなってしまいました。cajaroaさんの様に最後にドラマチックな展開があるわけではありませんが、自分もネパールの思い出を日記に書いてみたくなりました。それだけ今回のcajaroaさんのお話で、自分の青春(と言っても社会人寸前ですが)の思い出が一気に蘇り、感謝しています。ありがとうございました。
2018/11/1 21:36
RE: アンナプルナを見に行った話【最終話】アンナプルナの懐「ポカラ」へ。そして・・・
yuzupapaさんこんばんは

初めまして、
最後まで読んでいただいてありがとうございます。

この日記は、九州にお住まいの山レコユーザーの方と、お会いしたときに、この話がたまたま出て、「ぜひ書いてみなよ」と背中を押されてたのが書き始めのきっかけです。その方も海外の旅の記録を以前日記に書かれていて、なんだか、バトンタッチされた感じでした。

18年前の話なので、はじめはをうまく思い出せなかったのですが(というより書こうとして途中で挫折していた)、ただ、書き出すと記憶がよみがえりだしました。特に自分の印象深かったところはしっかり残っており、1ヶ月くらいかけて書き上げ、校正しながら順次あげていきました。文章書くの苦手なので、特に時間がかかった気がします。

まとめるのにかなり苦しみました。でもその過程で、記憶の隅々まで掘り起こして振り返ったことで、自分が何をみていたのか、何を感じていたのか、何に関心があったのか、様々な発見がありました。こんなものを実は持っていたんだという感じです。

ある意味時間をおいたからこそ、冷静に見つめられるところもあり、自分でも書いてよかったと思っています。

そして、人の思い出を蘇らせるようなことになるなど、考えてもみなかったので、そう言っていただけると、とても嬉しいです。頑張った甲斐があったなと思います。

自分の場合は、ネパール人との関わりの印象が強く、彼らとの出会いと関わりを中心に話をまとめています。ひとによって、きっと捉え方が違ってくるのだろうと思います。

そしてコメントを読ませていただいただけでも、伝わってくるものがありましたが、おそらくは、記憶を手繰りながら呼び起こされたのだろうと思います。

日記にするのはオススメです!楽しみにしてますというと気が早すぎますか?
2018/11/1 23:27
おもしろかった〜★
カジャさん、こんにちは。
秋の蔵開きの準備に追われてて、すっかりコメントが遅くなってしまいました。実に読み応えのある力作ですね〜♪文章を書くのが苦手って、嘘でしょう?(笑)。「ドタバタコメディ」カテゴリーの日記はそれこそ名文揃いじゃないですか

1月のクライミングトリップのレコも楽しみにしていま〜す★
2018/11/4 14:17
Re: おもしろかった〜★
wakatakeyaさんこんばんは

お待ちしておりました。(笑)
2話のあたりで、コメントされてくるかと思っていましたが、(さらに笑)
タイミング悪かったですね。

文章書くのは苦手、、、正確にいうと、言葉の扱いが苦手です。
人間の行動、心理を分析するとか、相手に物事をつたえて説得するといった、仕事でなので、言葉に起こす前段階のところを色々考え練るのと、相手がいる前提で構成することは得意だろうとmaamからは言われます。

人間を知る仕事柄、ドタバタコメディのカテゴリーは書いていて面白いです。
ただ言葉に起こすのは時間がかかってしまい、なかなか綺麗にかけないですね。
ここ1週間くらい風邪ひいてますが、文章考えすぎたせいかも(笑)

1月に向けて、英語を復習しないと・・・石灰岩でのクライミングのグレードももう少し上げないとです。

読んでいただいてありがとうございます!
2018/11/4 19:44
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