昔の人にとって、山(特に奥山)は異界であり、そこへ分け入る猟師や杣人にとって山中では自分の経験と勘だけが頼りであり、神様を祀って無事を祈る思いはよく解ります。
以前読んだマタギの話しでは、「山へ出入りするときには必ず山の神を拝礼し、入山時に詰め込んだわっぱの飯は、帰りに里が見えるまでは半分残す」と云うものでした。

山の神にまつわる伝承や禁忌は、今でも林業関係者などに受け継がれているようです。
現代の登山環境では、登山道や山小屋などと各種情報や通信手段が整備され、登山者にとって登山口の山の神は、お役御免なのかもしれません。
あえて言うならば、登山届けのポストが現代の祠なのでしょうか。
個人的には、入山や下山時に祠があれば、立ち止まって手を合わせて来ました。👏
これは、神様の加護をお願いするのではなく、自然に対する謙虚さを失わないように自分を戒めるルーティーンでした。
今になって思えば、未熟だった私が、かなり危ない事態からもなんとか無事に生還できたのは、超常的なサポートを受けたからなのかもしれません。

お山での祠も街中での寺社も、精神的な余裕があるからこそのことではないでしょうか。
周りを見る余裕(祠見つけられる)と、一歩立ち止まって手を合わせる余裕があるからこそ、山行でのゆとりある行動につながって無事に下山できる、そんな気がします。
必死な時でも祠に一瞬手を合わせる余裕があるなら、ひと時冷静さを取り戻せたり。
こんにちは。コメントをいただき、有難うございます。
確かに山行に際しては、体力的な余裕以外に精神的な余裕も必要ですね。
私の場合、夕暮れが迫ったり、バスの時刻が気になったりすると、精神的に追い詰められて余裕を持って判断することが難しくなりました。
祠に手を合わせる感覚で、エスケープルートなど次善の策をとることが出来ればよいのですが。
江戸時代の人達は集落の縁にある仁王様やサエの神や堺の神の前を通りかかったなら必ず手を合わせていました。
昔の時代劇(なにか忘れた)の1話でおもわず通り過ぎて慌てて引き返して手を合わせて拝むシーンを何も考えずに見ていたのですが当時の風習を忠実に再現していたのです。
三隣亡は山林亡といった各ご当地慣習も自然崇拝の一部といえるでしょう。
「神を畏れ崇める者には神の加護がある」
そう信じれば神の救いの手に気付く余裕が生まれるのかもしれません。
こんにちは。コメントをいただき有難うございます。
「三隣亡は山林亡」は初耳です。なるほど。
日本の神道には数多くの神様が登場しますが、原始の自然崇拝からの流れ(多神教)でしょうか。
砂漠地帯のような過酷な自然の中では、強力な神様(一神教)が好まれ、日本の様に自然の恵みが豊かな土地では、多くの神々と仲良く暮らす方が好まれたのかもしれません。
「神仏は尊びこそすれ祈り願うべきものではあらず」や「天は自ら助くるものを助く」という言葉がありますが、「まずは落ち着いて自助努力せよ」ということですかね。
「三隣亡は山林亡」はチェンソー導入以前に十二支のうち三つの干支の年は伐採をしないという資源保護の風習のことです。
三隣亡は他にも解釈があって総じて山林保護に繋がります。
お山が「今日はこの道がいいよ」とか「今こっちは入っちゃダメよ」とか教えてくれることってありませんか?
「三隣亡」が、暦で凶日と言われることは知っていましたが、山林保護につながるとは知りませんでした。
私には「お山に教えられて」という体験(感覚)はありませんが、昔奥秩父で一日中深い霧の中を歩いても、道をロストしなかったのは、お山に導かれたのかもしれません。
山の神様をよく見かけますが、朽ちてしまったものも多く、寂しさを感じます
私も山行時は多めにおにぎりを、それも傷みにくい梅干しや昆布を選びます
(でもツナマヨも買います)
最後は必ず余るので、帰ってからの夕飯にしています
こんにちは。コメントをいただき、有難うございます。
充実感とともにいただく、帰宅後のおにぎりは美味しそうですね。
高校山岳部に所属していたとき、夏合宿の縦走最終日には、最後まで担いできた数日分の予備食をあらかた消費すべく頑張らされた、野蛮な記憶があります。
今でもカンパンは苦手です。
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