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信州伊那谷からは木曽駒(西駒)に対する「東駒ケ岳」と認識されていただけでなく、別称で「白崩山」とも呼ばれていたそうだ。
伊那谷からも分かる花崗岩の山肌の白さは、深田久弥氏の登山時の感想にも「白崩山と言うのも、もっともである」と触れられている。
その昔、この甲斐駒ヶ岳と白崩山が同一か否か、という論争が巻き起こったそうで。
第一人者のひとり、小島烏水氏は「別もの」説を唱え、反論する登山家たちが証明登山を実施し、同じ山という決着を見たという論争だったらしい。
甲斐駒ヶ岳は、甲州側と信州側でその形がだいぶ異なる。
最も有名なのは、天然水でお馴染みの白州や韮崎方面から見る、岩ゴツゴツのボリューム感タップリの山容。
それが北側に回りこむに連れて、ボリューム感はやや減って、整った三角錐に(写真2、正面北岳の右隣)。
さらに西側つまり伊那谷から見ると、三角形だけど痩せて尖っているだけで、大きさはあまり感じない(写真1、左端)。
見る方角でこれだけ山容が異なり、しかも異なる名前が付けられていれば、同じ山なのか?という確証が得られなかった当時の論争も、想像すると何だか面白い。
hisao-hiraraさんの日記(23日)で、これだけ色々と進化した今でも、見る方角が違うと「あの山だ、いや、こっちの山だ」となるのが面白いなと思い、触発されました。
余談ですが、どっちの駒ケ岳も一般的な冠名は、その外側の地方名(甲斐、木曽)に持ってかれてしまった伊那谷は、ちょっと不遇だなっと。
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