南高校自転車部11話
主人公チームが三浦半島を周回していたところ、南房総からフェリーで渡ってきた千葉の実業団チームとバトルして交流する話。
バトルも楽しいが、会話も楽しい。
※なお自転車乗り(特にロード乗り)は山屋と違い、挨拶しない・つうか出来ないヤツが殆どである(苦笑)
アニメにしてはよくも東京湾フェリーという発想が流石だ。実際には房総の自転車乗りが悪条件の三浦半島に走りに来る理由などないし、もし来るとすれば横浜の三ツ境あたりにパーツを仕入れに来る位である(爆)
さて山梨のシルクロードにツーリングに行った時の句
駅迄を老に尋ねる日永かな ほの香
・(日野春)駅までの道順を古老に尋ねた。日が永くなった春であることだなあ。
俺のシルクロードは感嘆の連続である ★八王子・岡谷ルート(八王子・大垂水峠・笹子峠・甲府・諏訪・岡谷) から
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1107661.html
駅迄の道を、老(ろう)=古老が知っているのは当然である。
それどころか駅が開設されるまでの労苦・町の変化など全てを聞いて体験し味わってきたのであり、くだらない質問をする自転車ジャージの若者?と比べたら、先生と小学生ほどの差があるのである。
道を尋ねた若者は明らかに土地の者ではないが
土地へのリスペクトを持って尋ねれば”老”はさらっと答えてくれる。
戦前の駅前風景を問えば懐かしそうに答えてくれる
こと中央線や信越線など関東の鉄道は、明治政府の国策だった生糸輸出のインフラ整備として敷設を急いだ。
駅が開設されると、馬便での遥か横浜港への直撃は減り、馬便は最寄の鉄道駅までの輸送に特化することになる。
駅=集積ターミナルであり駅に向かうために馬車用の隧道ができたりもする。
日野春駅、明治37年開設
”駅迄の道”というのは物流以外にも、通学や通勤、また娘を嫁に送った、また盆には息子やその孫が訪ねてくる、いわば花嫁街道でもある。
鉄道輸送とトラック・マイカー便が逆転した今も続いていることだろう。
この日はこの駅に出会えてよかったし
そんなことをさらっと詠めたような気がして、なんとなくですが目が開いたような気がした。
だから何?と言われても困るのですが(苦笑
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