そろそろ纏めます。
・俳句は挨拶、そして滑稽と花鳥諷詠詩。この三つあたりに集約されると思う。
それを五七五調で表現するにあたり便利な?決まりがあったりする。
季語というやはり便利な言葉があったりする。
プレバトで議論の対象となっていた句
懐手解いて絵馬書く癌の人 立川志らく
夏井氏は良い句なので気落ちすることはないといっていたが、この癌の人が身内だったらこんな冷たい風に詠まないだろう。とも言っていた。
相手が見ず知らずの人だから言葉が冷たいのではないか?
つまり”癌”という”死に直結するイメージ”が登場する以上、癌を抱える”人への挨拶”として成り立たなくてはいけないのでは?そんな風に思えました。
※孫を読んだ名句はないのでご注意
自分だったら、他人が絵馬に”癌”を書いた時点でそのまま句にしないか、もし句にするならその人と何らかの会話をしているだろうと思う。
相手を知ってこその挨拶句だし(伝記含む)
会話をしての挨拶句
駅までを老に尋ねる日永かな ほの香
桑をやる目線優しき夫婦かな ほの香
やつちやばの女あるじと夏蚕談 ほの香
うーん。他人の病気は詠んでいないなぁ
こんなのも今思えば”土地や景物への”挨拶句です。
相模線の駅ひとつごと梅雨晴れ間 ほの香
武蔵野に昔道あり涼みの子 ほの香
ひいふうみ猫に取られて涼み台 ほの香
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