六甲を歩く人なら、絶対に知っておく方ですね。
今の全山縦走路の元になるルートを開拓して、しかも宝塚から徒歩で神戸の自宅に戻っていたのですから、途方も無い脚力です。
この方はソロのアルバインスタイルで、北アルプスを制覇してますが、小説で「人嫌い」みたいに書かれたことで誤解されていると思います。
実際は、距離感ないくらいに人好き。
信頼できるパートナーとは山行を共にしている。もちろん、彼の足について来れる人は限られていたと思います。
結果的に天上沢に滑落したが、彼の体力なら自力下山は可能だったと考えています。
ただ、朋友を見殺しに出来ない、「人好き」の彼は一緒に死ねことを望んだと思います。
「孤高」ではなく、彼と行動できるレベルの人がいなかっただけだと推察します。
文太郎氏が切り開いたルートで現在も大会が開かれているのは、山行をするものにとって感慨深いと感じています。
そうですよね。距離感ないくらいに人好きでなければ、あのような丁寧な手紙は書けませんよね。
私は加藤文太郎記念図書館に展示されている彼の手紙を読んだ時、彼は決して人間嫌いではなく、むしろその逆だと確信してホッとしました。
私は加藤文太郎本人が書いた「単独行」も持っていますが、その本に彼の上司だった遠山豊三郎氏の後記があります。
それを読むと彼が無愛想だったのは事実のようですね。そんな彼が花子さんと結婚してからは人が変わったように自分から「お早う!」と挨拶するようになったのも事実のようです。女性の存在というのはやはり大きいんですね。
またある年の冬に悪天候のために下山が遅れて会社を欠勤せざるを得なくなり「孤高の人」に悪役として登場する課長から叱責され、それ以来冬山登山のために有給休暇を取るのは年に一度しか許可されなかったとか。
しかし彼が冬の北鎌尾根で消息を絶った時、真っ先に動いて捜索隊を派遣したのもその課長だったそうですね。
それにしても彼を知れば知るほど呆れるほど凄いと感心します。
現代だったら間違いなくヒマラヤに登っていたでしょうね。
加藤文太郎さんは、ホントに山行をするために生まれてきたかと思うほど、彼の山行は超人的ですね。
しかも当時の装備は現代のものと比べると脆弱ですから。
もし、その後も生き続けていたら、お書きの通り、世界的なクライマーになっていたと私も思います。
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