![]() |
![]() |
![]() |
すると……出るわ出るわ、20世紀の遺物が!!
やはり何事も10年20年過ぎると、遠い過去のシロモノに変わって行き、あるきっかけで久しぶりに手に取ってみると「をを〜!こんなものもあった!」と興奮するものです。その中には捨てるに忍びないものもありましたので、昔の自分を笑い飛ばす気分も含めて、いくつかピックアップしてみました。
(左画像の左) 那須岳三斗小屋温泉煙草屋旅館・スペシャルぐい吞み
カネは余りないけどヒマはあった (?!)大学院生だった頃、毎年1〜2回那須岳に登り、先代のおかみさんが切り盛りしていた三斗小屋温泉煙草屋旅館のお世話になっていたのですが、何のかの言って顔を覚えて下さり、非売品のぐい吞みを下さったのでした。確か、陶芸好きの常連さんが大量に製作したものを、個別の常連さんに配っているということだったような……。しかし今や煙草屋さんも代替わりし、私もしばらく登山から離れたり、登山復活後も多忙だったりで、かなりご無沙汰になってしまった……。嗚呼、あの神秘の内湯に入りさえすれば、あらゆる不調と苦悩はすっ飛ぶのですが!
(左画像の右) チベット刀
NHK特集『シルクロード』『大黄河』など、当時の日中友好ムードによる諸々の事物にだまされ、1990年に生まれて初めての海外旅行(バックパッカー)として中国内陸部を訪れたのですが、チベットの田舎町で誰もが腰に下げていた刀(羊を裁くのが主目的)が格好良く、思わずゲット……。当時の現地の物価は今と比較にならないくらい安く、刃渡り15cmくらいでも1000円しなかったのではないかと記憶。上海に戻る列車に乗る際の荷物抜き打ち検査で文句を言われ、没収されかかったのですが、パスポートを見せて「怪しいヤツではない」と主張し事なきを得まして、さらに上海から日本に戻るフェリーでもX線検査など存在しない時代でしたので、無事持ち帰ってきてしまったのでした。今でしたら、中国では列車に乗るにもX線検査があり、何事も反テロでビクビクしている状況ですので、こんなもの絶対に運搬不可でしょう。しかし、日本に持ち帰った瞬間、急にガラクタに見え、以来押し入れの奥に……(^^;;
(中画像の左) 漫画『BOYS BE..』
世がバブルから次第に傾いていった90年代前半、少年マガジンに連載されていた漫画。シャイなヤローがピュアな恋に目覚める1回読み切りのストーリーにいろいろと妄想を膨らませることができる、今風にいえば中二病的な漫画ですが、描かれているいろいろな仕掛けはまさに90年代前半! ヤローはHot Dog Press的ハウツーに染まり、女子はギャル化する前のファンシーでコンサバなノリに包まれていたということが、今眺めてみると実によく分かります。冬の恋はもちろん、広瀬香美的な世界観で決まり!ってか……(^^;)。
とはいえ何のかの言って、毒が全くない中身はホッと一息つけるのも確かで、台湾貧乏旅行時に中文版も買い (『新恋愛白書』と大書されている方)、くだけた中国語の練習にもなったのは懐かしい思い出です (笑)。
しかし、当時は貧乏学部生〜大学院生にして孤独なバックパッカーだったもので、この漫画はあくまで読むだけ!で実践せず。のち無事就職しても忙しく、人生これ単独行者なり (爆)。
ほとんどの巻は今回思い切って捨てましたが、10・14・16巻だけは捨てるに忍びず、引き続き保存することにしました (^^;
(中画像の右) めんこ
電子ゲームというものが存在しなかった70年代までの小学生は、こういうものを駄菓子屋などで買って(確か数枚で10円)遊んでいたわけで……(地面にバシッと叩きつけて、相手の札を風圧でひっくり返す)。私はド下手で、いつも手札を巻き上げられていたものですが (苦笑)、絵柄のバラエティが趣味性にあふれ、コレクションしていたのを今さら思い出したのでした。スーパーカーブームという世相も映していますなぁ……。私は鉄ヲタですが、スーパーカーブームだけは何故かハマっていたものです。今やランボルギーニなんて、C国共産党高級幹部のドラ息子が乗り回すシロモノだろって (笑)。
しかしこれは、保存しておいてもどうしようもないなぁ〜という気も。お宝鑑定団などでも二束三文にしかならないでしょうし。
(右画像の左)Photo CD
世の中でインターネットというものが本格的に台頭し始めた90年代半ば、メールやHPに画像を貼り付けるという行為が可能になり始めたものの、当時はまだまだフィルムカメラが全盛の時代で、デジカメは20〜30万画素のチョロいものが確か1台数百万円。フィルムスキャナも普及しておらず……。そんな中、手持ちのお気に入りカットをお手軽にjpeg画像化するため、写真メーカーが相次いでデジタル化サービスを始めたものでした。しかし、その後のデジタル化の進展は余りにも速く、Photo CDもあっという間に過渡期の遺物となったような……(まだこのサービスあるのでしょうか?)。コダックはリバーサルフィルムの生産からも撤退してしまいましたし……嗚呼コダクローム!嗚呼エクタクローム!
(右画像の右) キヤノンNewFDレンズのカタログ (1986年)
今や完全電子化で隆盛を誇るキヤノンのEOS・EFレンズシステムですが、それが登場したのは確か80年代末から90年代初め頃。それまでの70〜80年代、キヤノンのレンズと言えば機械的な作動も含んだFD・NewFDレンズの全盛期で、数多くの銘玉と称えられるレンズが生まれたものです。とくに単焦点レンズはどれも柔らかくシャープ……。手持ちのNewFDレンズは今も絶対に捨てられません (EOS-Mシリーズという新たな道具を得て、デジタル時代に息を吹き返し……☆)。久しぶりに手に取ったこのカタログから、高校入学祝いで初めて一眼レフを買った当時の無限のワクワク感を思い出しました♪
とまぁこんな感じで、極めて個人的なネタと思い入ればかりですが、過ぎ去った20〜30年の時の流れに感慨を覚える断捨離のひとときでした。全然捨ててないじゃん……という感じですが、ゴミ袋6袋分は断捨離し、山道具を置くスペースはかなり増えた次第です (^^;)。長文大変失礼致しました m(_ _)m
bobandouさんこんにちは
真ん中の写真のメンコですがイイですねぇ〜カウンタックとミウラかな。スーパーカー世代の心をくすぐる逸品じゃぁないですか。
ブームの頃、スーパーカーの展示会みたいなのがあって、親に連れて行ってもらったことがありましたが、メンコの写真を見て遠〜い昔を思い出しました。
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
をを〜メンコに反応して下さって嬉しいです♪ やっぱ昔のガキの遊びはアナログですよね!
とりわけスーパーカーのメンコは、10円玉を握りしめて駄菓子屋で頑張ってゲットしました (笑)。
あの頃はスーパーカー専門の番組もあったり(「僕のあこがれ、僕の恋人、スゥゥ〜パァァカァァ〜♪」というフレーズの主題歌が未だに脳味噌の片隅に。笑)、カーケシ(スーパーカー消しゴム)を学校に持参したり……。展示会も各地で頻繁に開かれていたことでしょう〜。今思えばあの熱気は一体何だったのでしょうねぇ……
カウンタックは余りにも特徴的ですのですぐに分かるとして、ミウラと見抜かれたのはさすが、ハマッておられたのですね!
あ〜、こんなこと書いていると、単に子供の頃のワクワクを記しているだけなのに、超時代遅れオッサンにモロ認定でしょうか
こんばんわ。
「BOYS BE・・・」と言えば月刊少年マガジンの安原いちるさん作「ANGEL♥BEAT」と並んで少年マガジンでは異色のラブコメですね
なにせ、「翔んだカップル」の頃からラブコメと呼べるのか?、というドロドロラブコメやエロコメが主体のマガジン恋愛路線で、少年サンデーとかのラブコメに近い上記2作品は明らかに異質でした
最近の少年マガジンの恋愛物はやはりドロドロのグチョグチョなので、90年代前半のマガジン編集部は
きっとどうかしていたのでしょう
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
私は毎週常にマンガ雑誌を買っていたわけではないので、詳しい論評までは出来ないのですが (^^;)、おっしゃる通り少年漫画雑誌それぞれにカラーがあり、
*ジャンプ……まさに努力と友情の世界
*サンデー……さわやかな(?)汗と恋 (?)
*チャンピオン……少年にして任侠 (爆)
という感じの中、マガジンは今ひとついろいろな方向に日和見していてドロドロやエロもあったものですね……。それがパワーアップすると、ヤンマガのソフトヤンキー路線(ヤンチャンはドスの入った任侠)という感じへと「発展」するという見取り図になるのでしょうか?
というわけで、『BOYS BE...』は明らかにマガジンの中でも毒のない中二病的な味わいが際立っていたものですが、そこらへんがやけにまぶしく、電車の中での隣のチラ見にも気合いが入ったものでした (笑)。→要は、ふだん雑誌は買わず、単行本だけゲットしていたということです
最近は漫画雑誌から遠ざかってしまっているため(床屋に置いてある『ビッグコミックオリジナル』を読むのが一番楽しい……。←もろオッサン
やはり、バブルがだんだん弾けて行く中で、編集部も「さて今後どうやって売って行けば良いやら」と考えていたのかも知れないですね……。今はもっと大変なのかも知れませんが。でもそれ、一歩間違えたら完全にエ○マンガではないですか!!
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する