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2018年09月29日 20:19御嶽道全体に公開

武蔵御嶽神社(東京都青梅市)旧一の鳥居から滝本までの径_1

ある日のことだった。『増補改訂青梅市史』下巻を読んでいると、「御嶽神社旧一の鳥居(市史跡)、ここをバスが通った」というキャプションの図版(p306)があった。旧一の鳥居の写真だった。章としては「乗合自動車(バス)」について説明がなされている箇所だった。
旧一の鳥居は現存するのかなあ??
インターネットで検索すると「青梅市文化財ニュース」第280号、「御岳古道」(角田清美氏著)がみつかった。
URL: http://www.ome-tky.ed.jp/kyodo/documents/280_ome_bunkazai_news.pdf
読んでみて興味が沸いたのは、江戸時代の旧一の鳥居から滝本までの径はどこを通っていたのかということだった。
旧一の鳥居は御岳トンネルの上に現存するとのこと。明治19(1886)年に現在の場所に移築され、その前は7~8m上の古道にあったとのことだ。

旧一の鳥居から滝本(ロープーウェーの滝本駅付近)までの径をたどる手掛かりになる本が、先の「御岳古道」に記述のある『武蔵国多摩郡御嶽山道中記御嶽菅笠』だ。『玉川泝源日記』は読んだことがないので、近くの図書館でリクエストした。
『武蔵国多摩郡御嶽山道中記御嶽菅笠』は日本橋、四ツ谷、新宿からの御嶽神社までの道中を七五調の文章で説明した本。
一の鳥居から滝本までの記述は5丁裏に「一の鳥居になりぬれば碑見なし、払沢の清水に喉をうるほして、いそぐまもなく、滝本の御禊川に、身穢して、」とある。
ポイントは「払沢の清水」。17丁表の絵の下に「払沢清水井」と記載がある。
「払沢の清水」については
『新編武蔵風土記稿 114 多摩郡巻26』「御嶽村 端村中野村」の11丁表に
「水利 清水 小名払沢ノ内ニテ老樹ノ杉ノ下ヨリ涌出セリ八九尺四方ニテカタチ盆下ノ如シ此辺ニスメル民日用ノ茶水トスル処ナリイカナル旱打ツゝキテモ涸尽ルコトナシト云リ」
国立国会図書館のデジタルコレクション
URL: http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763993  (61コマ)
にあります。
『皇国地誌西多摩郡村誌』の「御嶽村誌」に「払沢清泉」の記述がある。
「所在 村ノ(以下記載なし) 景致 湛々タル清泉、縦六尺、横五尺程。磊石ニテ畳タル水槽中ニ溢シ、旱魃ノ歳ト雖涸渇スルコトナク清冷トシテ味甘美ナリ。玉川河南ノ三名水一ハ部内柚木村路傍ノ清泉、一ハ本郡日影和田村字馬引沢ノ清泉、一ハ此清泉ナリ。ト称シ、普ク人口ニ会灸ス。傍ニ囲ミ二丈有余ノ桧老樹壱株アリ。枝葉蔚然トシテ炎暑ノ際、御嶽参詣ノ行客樹下ニ憩ヒテ汗ヲ拭ヒ清泉ヲ掬シテ渇ヲ止メ甘美ヲ賞シテ疲労ヲ慰ム。」
中野集落内のようだ。
「払沢の清水」として気になるのは、高峰山への西側ルートの末端尾根の標高319mあたりに神様がいらっしゃるという情報。近辺に井戸はないのか?

気長に探してみようと思う。


2018.10.2追記
『御嶽菅笠』の旧一の鳥居と御嶽橋の絵と払沢清水井→滝本の絵を
「高峰北尾根→高峰山→築瀬尾根」に上げました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1578056.html
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