小沢峠は4方向に延びる峠で、私は生まれて初めて峠の存在を意識した。
昭和49年に小沢トンネルができるまでは、物流、生活路として使われていたのだろうと思う。
改めて「峠」について辞書を引いてみた。
まず、『日本国語大辞典 第14巻』(小学館発行 1975年3月刊行)によると
「たむけ(手向)」の変化したもの。通行者がここで道祖神に手向をしてまつり、旅路の平安を祈ったところからいう。山の坂道を登りつめた最も高い所。山の上り下りの境目。転じて、山。」とある。
次に、『日本民俗大辞典』(福田アジオ[ほか]編集 吉川弘文館発行 1999年10月刊行)によると
「尾根越えの道を上りつめた地点。その道は最短コースを通るため、尾根が撓(たわ)んで低くなった鞍部の峠を越えることになった。峠のほか、タオ、トウ、コエ(超え)などとも呼ぶ。(中略)タオもタワも同様に撓むから出た語と見られ、塞の神などの神がまつられている所が少なくない。(中略)峠の神への祈りなしに通れないとした手向けの行為が峠の語源とも見られたが、むしろタワ越え、タオ越え、あるいはトオ越えがつづまってトウゲになったと考えられている。」と記述されている。
峠の語源についてはひとまずおいておくことにする。
いよいよ本題に入る。
「舟井戸」である。
「舟井戸」は東京都奥多摩にある川苔山(川乗山)手前の鞍部(私としては峠とみなしている)の地名である。ここでは「フナイド」と読むと仮定して話を進める。
先の峠の定義の中に「道祖神に手向」「塞の神がまつられている所が少なくない」と記述があった。道祖神には塞の神も含まれる。
「道祖神」とは前述の『日本民俗大辞典』によると「境の神の総称」である。その神々の中に「岐神」(フナトガミ)がいらっしゃる。
「ふなとの神」は先の『日本国語大辞典 第17巻』によると「道の分かれるところで守っている神」とある。
「舟井戸」(フナイド)は「岐神」(フナトガミ)から来ているのではないだろうかと考えた。
今度「舟井戸」に行った時、神様がいらっしゃらないかよく探してみることにする。
今回一応「起」の編としたが、果たして「承」「転」「結」と進めるのかどうか?
読み方が違っていたら前提が違っていたいうことでおしまいである
