不特定多数のヤマレコユーザーからみれば、記録がないのに達成済とは❓かも知れません。
達成済かどうかは自己申告であり、リストに登録するかどうか、更にはヤマレコなどのネット上に記録を投稿するかどうかは自己判断であり、
現実には相当数の登山愛好家がリスト一覧の多くの山を登頂済だろうと思います。
山で行き会った人と話をして、ヤマレコは見るけれども記録は投稿しないという方が案外多いようです。
どこかの山について検索するとヤマレコの記録は大部分が上位にヒットしますので、投稿はしないけれど記録は読むという人は多いはずです。
中には、日々忙しくて記録など書いてる余裕はない人もいるでしょう。
小生も現役の勤め人の頃はそれに近い状況でした。
中高年の登山ブームが盛況を迎えた1990年代、NHKの趣味悠々『中高年のための登山学』は、ゲストを変えて何度も放送されていました。
私もそれに触発された内の一人で、百名山完登が本格的な登山の目標でした。
幸い、仕事面でも家庭環境でも山へは行きやすく、当初の目標(百名山完登)は6年弱で達成。その合間に二百名山やルートを変えて二度目の百名山を目指していました。
百名山で唯一ルートが1本しかない開聞岳は、二度目は指宿ゴルフ場からでしたが、一般ルートの登山口から15分の所で合流。当時の『山と高原地図』に薄い黒破線で表示されていた川尻歩道跡は、一般ルートからの下降点は全く分からない状況でした。
二度目の百名山も98座までは順調でしたが、残りの2座が終わるまで3年間が空きました。
二百名山で印象に残っているのは、日帰りしたカムイエクウチカウシ山、夏道が拓かれて最初の歩行者ですと言われた(登山道を整備中の人から)毛勝山、奥黒部ヒュッテをAM1時半に出て辿り着いた赤牛岳、瑞牆山をはるかに凌ぐ(と思われる)岩峰群の大崩山などです。
二百名山に目途が付いた頃、西日本や東北・北海道の三百名山は未踏でしたが、諸般の事情で以後の三百名山は東北・北海道に限定し、全てが日帰りで行ける関東百名山〜山梨百名山〜信州百名山〜群馬百名山〜栃木百名山の順で、自分自身に課した目標を遂行しました。
其々の百名山を目指した時点で、日本百名山や二百名山で既に登っている山が可成りあり、未登は大半が1000m台か それ以下で、中には初めて山名を知る山も結構多くありました。
印象に残っているのは、関東百名山では天園。ハイキングコースがそのまま山名であり、最高点(大平山)は僅か159mです。
天上山… 如何にも登高欲をそそられる山名ですが、神津島にあり、ハイキング感覚の山です。登山道は完璧に整備されており、財政豊かな東京都を象徴する山でした。
山梨百名山の要害山は山というより史跡そのものでした。北東側には更に高いピークが幾つかありますが、登山道はその史跡までです。
各地の百名山には史跡的な山が多い中で、信州百名山にはそのような山は見当たりません。標高も1100m以下の山はなく、地域的なバランスもとれていると思います。
群馬百名山の一峰に高崎市の白衣観音があることはとても意外でした。
現地へ行き、売店の人に一番高い地点はどこですかと聞くと、ここ(駐車場)ですとのこと。観音さまの裏が高そうなので行ってみると‘基本‘と書かれた標石がありました。
王城山頂上には日の丸の国旗が強風になびいていました。この山も史跡的な山ではありますが、八ッ場ダム建設に伴う多額の地方交付金が山の天辺まで潤しているようでした。
栃木百名山は上記の百名山が終わった2013年2月23日から始め、低山が殆どでしたので23〜24日で14座消化し、同年5月、車道の冬季閉鎖が解除された弥太郎山で完結しました。
印象に残る山行は日光市側から荒海山へ行ったこと。GPSもコンパスも持たず、よく行ったものだと偲んでいます。近くの芝草山は三依富士の愛称で親しまれ、地元民には心の拠り所という感じでした。
栃木百名山の完登も、もし登ることがなかったら知り得ないまま終わる『新しい山の発見』の山旅でした。
画像1 カムイエクウチカウシ山のピラミッド峰
画像2 赤牛岳から黒部湖の奥に白馬岳
画像3 中三依集落から芝草山
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