|
|
|
とはいっても精神的にまったく合わず、同居で介護は無理でした。
昨年秋から一人暮らしは無理で松川村で入所できる施設を探していましたが、東京の人間をわざわざ迎えるほどの余裕はないのは見えていました。
それでも準備として褥瘡を直すために入院をしました。
するとその病院に併設されていた介護老人保健施設に空きができ入所することができました。
但し最長で3月末まででした。
もともと足腰が立ちませんでしたが、最近は誤嚥が酷くなり胃婁や点滴用ポートの打診を受けましたが、すべて断ってきました。
最後は水も飲めなくなり9日後に息を引き取りました。
その間コロナ対応で面会が厳しく制限されていましたが、私も娘たちも意識のあるうちに会うことができました。
死に目に会って「親父ともう喧嘩するなよ。」と言ってやりたかったですが、叶いませんでした。
松川村の我が家は玄関にもスロープを付け、扉は全て引き戸、車いすで入れるトイレも用意したのですが、母が使うことはありませんでした。
母に「一緒に暮らせなかったね。」と言うと「仕方ないよ。」と言ってくれたのが救いです。
写真は我が家の目の前の田圃の火入れとその跡。
今朝ボー、ボーとバーナーのような音が聞こえたので外を見ると熱気球が地面すれすれまで降りていました。風を避けているのでしょうか、最近低空飛行が目立ちます。
東京では今日開花宣言でした。
春になりました。
私も昨年は兄と父を送りました。
2月に兄が急死、急いで両親をホームに入所させてもらったのが3/12、それから約3か月後の6月に父が他界しました。
実家を処分したりなんだりバタバタでした。
borav先輩、奥様
お疲れのことと思いますが、どうかご自愛なさってください。
ありがとうございます。
mieeさんも大変だったのですね。
父は平成16年に83歳で亡くなり母は88歳で亡くなりました。
母は結婚して姉が生まれるまでの僅かな期間した楽しくなかったとよくこぼしていました。
それぞれ幸せな時期はどれほどだったか考えてしまいます。
略儀ながらコメント欄にて失礼いたします
お母様のご逝去を悼み、衷心よりお悔やみ申し上げます
ようやく春がやってきた松川村の空と山をお見せ出来なかったのは心残りかとは思いますが、ご家族の皆さんでお話ができたのはなによりだったかと、、
何かと忙しさが続くかと思いますが、くれぐれもご自愛いただきますよう、祈念申し上げます
ありがとうござます。
今日の松川村は完全に春です。
花粉症で落涙中です。
どうぞお力落としのなきよう。
junjapa
ありがとうござます。
「愛読者」と言われると照れてしまいます。
火葬は待たされて土曜日ですが、納骨はせず遺骨は当分松川村の我が家に置いておくつもりです。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する