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Yamareco

記録ID: 119077
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無雪期ピークハント/縦走
尾瀬・奥利根

平ヶ岳(百名山26)

1997年08月28日(木) [日帰り]
 - 拍手
GPS
--:--
距離
25.8km
登り
2,017m
下り
2,007m

コースタイム

9月28日 
鷹巣登山口 5:00 下台倉山 7:30-7:40 台倉山 8:30 白沢清水 9:30-9:50 池ノ平山 11:10 平ケ岳 11:45-12:30 白沢清水 13:55-14:10 下台倉山16:00-16:15 前坂17:10-17:20 林道出会い17:46-17:50駐車場 18:03-18:15 桧枝岐 19:00-19:30 郡山 22:20
アクセス
利用交通機関:
自家用車
山頂の環境省の案内板
1
山頂の環境省の案内板
どこが山頂だか沸かないぐらいにおだやかなのだ。
どこが山頂だか沸かないぐらいにおだやかなのだ。
背後は越後駒ケ岳方面
背後は越後駒ケ岳方面
ヒウチ岳と尾瀬を
ヒウチ岳と尾瀬を
至仏岳をバックに
至仏岳をバックに

感想

 憧れの平ヶ岳(2140m)
                           
      ベトナム反戦の日々ぼくはとおい平ヶ岳に憧れていく

平ヶ岳の名前を知ったのは、昭和40年代の、ブルーガイドブックス「尾瀬」のなかにあったコース案内であった。いま当時の本で南アルプス、八ヶ岳、奥秩父、上越の山などが手元にあるが、「尾瀬」だけがなくなっている。当時のガイドブックに掲載されている写真を今見ると、本当に時代が変わったのだと思うことができる。登山の姿もキスリング姿であり、ラクダ色のリュックを背負った登山者のスタイルが大昔のように見える。山村の風景や山小屋の姿も、現代の登山の姿とはかけ離れて見える。時代を知る上での貴重品になった。いま思い起こせば、それでも当時の北アルプスの山小屋などは今にも通じる立派なものであった。穂高山荘、槍の肩の小屋、燕岳の小屋など、いまと変わらないのではないかと思う。一九六○年代、私の青春時代がこれらの本に閉じこめられている。値段も280円とある。ちなみに現在のブルーガイドブッックは一冊1800円もする。私が二十才の頃に深田久弥の「日本百名山」が出版されて、この山は世にでた山である。
学生時代に持っていた多くの蔵書を結婚生活と引き換えに処分したが、ガイドブックだけは山に行かなくなってからも本箱の片隅に仕舞っておいた。それらの多くの山のガイドのなかで平ヶ岳の記事だけはいつまでも印象深く残っていた。
深田久弥の日本百名山が出版されたのもその頃であったが、私は買い損ねたので、平ヶ岳のことは後で知つったのだ。だからこの山については、古いガイドブックの奥利根の源流に位置する奥深い山という強烈な印象がすべてであった。そのコースは、水上から現在の藤原ダムができる前のもので、モッコ渡しで川を渡り、強烈なヤブ漕ぎを強いられながら、山頂まで三日もかかるものであった。とても行ける山ではないという印象であった。利根川の源流を詰めて、水長沢をたどるもので その登 山のコースの労苦と、山頂の穏やかで、池塘が点在し、天国のような描写がこの山を更に印象深いものにしていた。剣岳の仙人池と並んで、憧れつづけていた山である。
残念ながら、いまのところ平ヶ岳を詠った短歌を見いだしてはいない。来嶋靖生箸『歌人の山』のなかで、中西悟堂の歌集『安達太良』に、二百四十一座の山が詠われているとあるので、是非その歌集を入手したいと思う。中西悟堂は鳥類学の第一人者で鳥の研究のために多くの山に登ったのだそうだ。その中に、平ヶ岳が入っていればいいのだが、期待する。

     「全共闘」死語となっても平ヶ岳への想いは熱くなる

時代は変わり、九○年代に入って山を復活させたときに、新しく買い求めた「尾瀬」のガイドブックに平ヶ岳が一日で登って来られるというコースガイドを読んだ。まさに時代の変化を感じないわけにはいかなかった。檜枝岐から更に奥深く、鷹ノ巣からの道が開けていると知って、是非登りたいものだと思っていた。また雑誌「ハイキング」にもっと簡単に、只見湖の銀山方面より、中ノ岐川の林道を経由して、その終点から玉子石にでるコースがあると教えられもした。しかしその記事やコースガイドを読んだことはない。
一九九五年に妻の裕子と草津白根山に行った後、その夏に一人で塩見岳と荒川三山を縦走したのが本格的な山登りの最後になっていた。九六年に会津駒ヶ岳と磐梯山に登ったが、それきりで山は遠のいていた。職場を変えたためと、裕子と一緒に行くことがなくなったために、登山から離れてしまった。それでも山に行きたい気持ちは強く、「行きたい、行きたい」と思っていた。福島県の郡山に単身赴任して二年になる。気がついたことだが、埼玉にいるときは、前もって準備をし、行くぞと決めて行動していたが、山が近くにある街にいるということは、気が向いたときにさっと行けばいいということに気づいた。とても身じかに山があることが改めて感じられた。億劫がっていては山にはいけない。そう気がついた。九七年の八月の終わり思い切って平ヶ岳に行くことにした。銀山湖のほとりにある湖山荘に中ノ岐林道の状況を確認する。いまは一般車両は通行止めになっていて、特別の許可がないと入山できないという。ただし湖山荘ではシーズン中にバスを仕立てて日帰り登山を計画するという。 九月は十六日にマイクロバスで入るという。生憎その日は休めない日なので諦めた。山荘では何人か まとまればマイクロバスを出してくれるのだそうだ。ただし三五○○○円するので人数が少ないと負担が大きくなる。人数をまとめて企画したいと思った。
そんなことでコースとしては鷹ノ巣尾根の道しかない。運動不足になっているのでどこまで行けるか心配である。しかし一お際だから行けるところまで偵察を兼ねて出かけることにした。台風の影響 で天気の様子が悪い。幸い前日に通過したので、翌日は回復すると見込んで準備をする。出かける日 の夕方、仕事仲間から一杯どうだと誘いがかかった。本来なら断らない主義だがこの時ばかりは悪いけれど、と言って断った。夜中まで付き合うことになって出かけられなくなる。7時頃家にもどって食事を済ませ準備にかかる。ところが困ったことに山行きのズボンがない。泥濘が多い道だというので汚れても苦にならないズボンでなければならない。久しぶりの山もとんだところで悩むものだ。ゴルフズボンで代用する。こんどはシャツがない。長袖の山にもっていけるものがない。出かける直前になって大慌てであったが、なんとか辻棲をあわせて、八時過ぎ家を出る。

9月27日   郡山 20:15 鷹巣登山口 24:00

会津若松から田島、さらに桧枝岐まで夜の道を飛ばす。
槍枝岐に着いたのは十一時半ごろ、トイレットペーパーを忘れたことに気がついてキャンプ場のトイレで分けてもらった。御池の小屋を過ぎると、道は急に細くなって車一台がやっとの巾となる。冬は通行が閉さされる道である。カーブと登りのきつい道を注意深く走る。途中、尾瀬ロッジをやり過ごし新潟県湯ノ谷村に入り、まもなく平ヶ岳登山口に着く。調度十二時。車が一台止まっていて、 平日でも好きものがいるのだと思った。ともかくシュラフを被って朝をまつことにした。星は見えず天気が気がかりであった。

9月28日 
鷹巣登山口 5:00 下台倉山 7:30-7:40 台倉山 8:30 白沢清水 9:30-9:50 池ノ平山 11:10 平ケ岳 11:45-12:30 白沢清水 13:55-14:10 下台倉山16:00-16:15 前坂17:10-17:20 林道出会い17:46-17:50駐車場 18:03-18:15 桧枝岐 19:00-19:30 郡山 22:20

燧より眺めた平ヶ岳どの里村からも見えないその頂

時計を見ると四時半を少し過ぎたところで目が覚めた。周囲はまだ明け切らない薄明りでなんとなくどんよりしている。晴天の爽快な面持ちではない。ともかく持参の弁当、昨夜自分で作った弁当を食べて準備をする。脇にあった車がいない。出ていった気配を感じなかったので、どうしたのかなと思っていたら、年配の登山者が来た。「おはようございます」と挨拶をすると、ここは車を止めてはいけない、駐車場がすぐ先にあるから、私も昨夜}三に止めていたけれど移動したんですよ。」と教えてくれた。急いで車を移動させると、駐車場には五台の車が止まっていた。隣のワゴンで来た人が朝食の準備をしていた。
ともかく早出を心がける。いそいそと準備して五時出発。往復実動十一時間の道程である。どこまで行けるか心配だが、脚との相談で、間々よと歩き始める。林道の入り口に立派な平ヶ岳登山口の道標がある。林道は鎖で閉鎖されている。細い林道に入り込むと、山の冷気がわっと体を包む。いよいよだと思いながら平坦な道を行く。沢を渡り、なお進むと平ヶ岳への道標が現れて、鷹ノ巣尾根への取り付きとなる。この周辺は民間の所有地で筍とか山菜の宝庫のようで、一般者の入山を禁止している道がある。雲が切れて青空が覗き始めた。まだ山の上には雨雲のような濃い灰色の雲が被さって、少し不案な気持ちにさせる。
          鷹ノ巣尾根に
     朝の風が素肌に涼しい雲かかる痩せ尾根を黙々と登る
     山々にたなびく雲をこえて朝日が照り初め紫色の燧ヶ岳
    たおやかな会津駒のいただきは朝日に映えて緑が鮮やかだ

「前坂」とプレートの打ち付けられた松の大木がある。かれこれ一時間経ったところだ。展望が開けてくる。朝日が会津の山波にかかった雲から顔をだしそうな光景を見て、キャノンのカメラのシャッターを押した。下りない。どうしやってもシャッターが下りない。このカメラは娘のものであったのを、私が使うことにして今回初めて持ってきたのだ。先日電池を入換え、レンズのキャップや防護レンズを買え揃えてきたのに、なんと言うことだ。オートフォーカスの高いカメラだ。がっかりしてしまった。単なる不要の荷物になってしまった。ザックのなかに仕舞い込んで諦めた。カメラはバカチョンがいいのかと、今更ながら悔やんでしまった。写真が撮れないのは残念だというか、証拠写真がないことになる。舌打ちしながら歩く。太陽が雲の上に姿を現わし、惜しいチャンスを逃したと思った。細い稜線を忠実に辿る道になる。雲のなかを歩くようになっていまにも降りそうな気配である。
先に出発した年配の人に追いついた。秋田の人で昨日は越後駒を枝折峠から登ってきたという。天気が悪く、づっと雲の中で眺望はなにもなく、つらかったと言う。結構の歳で六十は過ぎていると思う。
百名山を始めて、三十位になったと言う。足はそれほど早くはないようだ。しばらくこの人と後先になって歩いた。天気が悪くなったら下台倉山まで行って下山すればいいと思いながら登る。風通しのよい尾根筋なので気持ちよく登れる。しかしこの道を下ることを考えると無理はできないと思った。それほど急峻な尾根のように思えた。
下台倉山は道の途中にあるようなピークであることを感じさせないようなところで、道標がなければわからないところだ。一服していると、後から来た人に追いつかれた。ワゴンで来た人だ。カメラをぶらさげているので、尋ねてみたがわからないという。キャノンにはよくそういうシャッターが下りないような故障があると言う。ますますこちらは不機嫌になってしまう。なんというカメラだ。この人は東京方面の人で、山は三十過ぎから始めたという。まだ四十前半くらいの歳だろう。山スキーが得意で若い時から山をスキーで登っているという。富士山も滑ったというからかなりの腕前の人だ。
平ケ岳もスキーで来られるという。友達が来たそうだが、滑るところがなくてつまらないと言うことだそうだ。
川崎精雄『雪山・藪山』という本に、「三月の平ヶ岳」という紀行文がある。そのなかでも平ヶ岳から大白沢山への下りで初めてスキーらしい爽快さを味わったと書いてあるから、その友人の言う通りなのかもしれない。その人と山スキーの話などしながら一緒に登って行く。少しくだってまた登りになって、いままでとは変わって展望のない潅木帯の尾根道になる。下台倉山までの一本調子の登りに比べれば、だいぶ楽な道になる。突然三角点が現れて、道標はないが台倉山である。ここを通りすぎ暫く下ると、第一の水場に着く。
二人の登山者が休んでいた。下山するところだという。朝は雲海が広がって、気持ちのよい風景が得られたと言う。山頂のキャンプサイトを朝七時半頃下りて来たという。この先一時間位平坦な登りで、池ノ平岳への登
り三十分がきついと教えてくれた。 膝の筋肉や太股の筋肉が ヒクヒクと信号を送り始めたのが、下台倉山あたりからで 吊ったりしなければいいがと念じながら歩く。ここまで来たことだし、天気も回復して青空と夏とはいっても秋に近い陽射しを感じはじめて、山頂まではともかく登ろうと考えた。

     不安げな雲去ってゆき夏と秋とが交叉する青空

ゆっくり無理をしないことを優先した。しかしこの道はガイドブックにもあったが、ほんとうに泥檸がひどい。一昨日の雨のせいもあって、ドロドロ道である。靴を汚さぬようにと思っていても、相手の方が容赦なくドロドロにしてくれる。泥道と格闘しながら、白沢清水に着く。二つ目の水場である。しかし水は枯れているようで淀んでいるようで飲む気はしなかった。ガイドには、泥道もここまでとあったが、まだ続く。やっと乾いた道になって潅木帯を抜けると、笹道になり左手に平ヶ岳の平たい山稜と池ノ岳の明るい山頂が望まれる。}三までくれば登ったのも同然と、明るい笹原に、一条の道がかなりの傾斜でついている。最後の登りだ。燧ヶ岳が手にとるように近い。上から空身同然のスタイルで登って行った人がもう下って来た。この人も結構の歳のように見えた。最近みんな年寄りに見える。自分の歳を忘れている。もうすぐだと激励されて、やっとの思いで登りつめて行く。
        池ノ平山へ
     胸つきの尾根ひたすらにきて喘ぎながら見る ああ、平ヶ岳だ
     息ついて登りきる池ノ平の姫池に水面をゆらす秋風が吹く

木道が現れて池ノ岳に着く。草原のような風景のなかに池塘が大きく水を湛え、風に水面が揺れている。正面に平ケ岳がたおやかにその山頂をひらいている。「来てしまった」という実感・カメラが使えなくてコンチクショウという感じ。池ノ岳の山頂は平ヶ岳の山頂を想像させる。おだやかな景観である。池ノ岳から平ヶ岳の右に越後三山に連なる稜線がみどりの草地のように見える。
        平ヶ岳山頂
     山上に天国があると人のいう険しさのはてに平らかな頂
     水がさわぐ池塘のさきに黒々と雲をかぶる越後三山がある
     至仏山はたおやかに尾瀬ヶ原はひろびろと燧ヶ岳は聲える

「来た」という思いで平ヶ岳をめざした。木道に導かれながら再び潅木帯に入り、平ヶ岳との鞍部はツガの廊下である。そこを抜けると玉子石に行く道が現れ、そこは草地の明るい一角であった。ゆるやかな玉子石への稜線を見ながら再び木道に導かれると、平ヶ岳の山頂の看板が現れた。三角点は木道の右にある。三角点は潅木に囲まれて、眺望が全くない。これでは話が違うと、木道の先を見ると少し小高いもう一つの丸い天辺があるのでそこまで重い足を引き摺っていった。この時にはもう足がよれよれになっていて、帰りのことが心配であった。いったん下って登り返すと、池塘があり、尾瀬の山と越後の山が連なっている。越後の山には雲がかかっており、ひときわ青みがかって尖った頂が目を引く。越後駒ヶ岳に違いないと思った。しかしそれは、後で地図を見ると中岳か兎岳のようであった。ともかく至仏山から燧ヶ岳と、その間の尾瀬ヶ原が間近にあり、至仏への稜線が緑色に鮮やかに連なっている。足の痛みも忘れてしばし見入った。カメラがない。手帳にスケッチをして来た証にする。木道にザックを投げだし、昼食がわりにパンをかじった。傍らの案内板に次のような説明書きがあった。
  「頂上はなぜ広くて平らか
  どうしてこんなに広くて平らな山頂ができたのだろうか。
  大白沢山、巻機山、会津駒ヶ岳など、平ヶ岳をとりまく
  山々の山波にも平坦なところがある。このような地形は
  古い平坦な土地が隆起し、浸食される以前の地形を今に
  とどめていると考えられる。太古の昔、
  平ヶ岳は大平原の一部だったことが思いおこされる。
                  環境庁・新潟県」
なるほどそうなのか、などと感心してみても、そんな太古の姿は想像もつかない。しかし言われてみれば尾瀬ヶ原などは、その名残りなのかもしれないなどと思った。この説明文は、山に登ったことを証明するために手帳に写した。昔のガイドブックの記事を思い起こして感傷にひたる時間もないほどに下山のことが気になり、先ほどの三角点の位置にもどる。地図で確認すると平ヶ岳の最高点は私が休んだところで、二一四一Mで、三角点の地点は二一三九Mである。

    足痛み息はきれ、平ヶ岳、夢のなかの夢の山かもしれぬ

三角点のところに先行していたワゴン車の人がいた。先ほど姿がなかったのでどうしたのかと思っていたら、場に寄っていたのだという。会えてよかった。彼のカメラを借りて写真を撮ってもらった。ちょうどそこへもう一人の登山者が現れて、その人にシャッターを押してもらおうと見たらニコンのカメラを持っている。
そこで事情を話して、買ったばかりのカメラが使えないと言うと、その人はカメラに詳しいらしく、私のカメラを見て「ニコンの自動フォーカスの場合、焦点をロックしておかないとシャッターが下りないんですよ」
「ほらここ」といってフォーカスをロックしてくれた。
カメラを手渡してもってシャッターを切ると、カシャッといい音がする。これで大丈夫。やっと自分のカメラになった。
ところでこのカメラはデジタルではなくてフィルムだ。
午後1時池の平山から、先の二人よりも早く下ることにした。足の具合がしんぱいだった。潅木帯に入るのでカメラをしまいこんで、下りに備えた。
燧ヶ岳がとても近い。ダム湖で細長い銀山湖も見える。
白沢清水まで木の根が邪魔する道を下るのは神経を使う。くたびれて横になって休憩していると後から下ってきた人に抜かれた。水を思いっきり飲む。正直予想以上の疲労である。
更に30分下って水場で休憩。再びおもいきり水を飲む。下台倉山のくだりを思うと気が重くなった。
のぼりと下りでは印象が違うものだ。3時15分に台倉山を過ぎる。そこから下台倉山への道がとても長く感じられてつらかった。下台倉山までがんばろうと思ったが続かず、手前で大休止する始末。ここから更に1時間30分の下りで午後5時半には戻りたいと思ったが、少し歩いては休み、へっぴり腰になってしまう。前坂を午後5時10分、ここで10分休んだがいい加減ばてた。それでいながら、その光景は他の山と同じで馬鹿尾根を下るに過ぎない。途中に印象的な大木があったと思う。途中から足に力が入らなくなった。筋肉が突然の運動に悲鳴を上げたに違いない。余裕があれば同ということのないくだりであろうに。足をかばってだましながら下る。樹林帯になり普段の山道にもどると、ひょっこり林道に出た。林道に出たのは午後5時46分。ばたっと身体を投げ出して、大地に倒れこんだ。今までの山でこの下りは一番印象に残るつらいくだりであろう。しばらく横になったまま、身体をやすませると同時に気持ちも整えた。
無事降りてきた。戻らなければ郡山に帰れない。安堵感があった。駐車場まで足を引きずるように歩いて車まできた。うーん、ついに憧れの平ヶ岳に登ったのだ。駐車場では朝から一緒だった人が、10分ほど前に着いたようで、丁度帰るところであった。
午後7時桧枝岐で温泉に入って郡山に帰った。

この鷹ノ巣コース山頂でテントを張って一度トライしたい。山そのものは優しい山だけど、アプローチの難しさがある。伝蔵小屋から車で林道置くまで入れば楽だけど、それでは平ヶ岳の山を味わうには安易かもしれぬ。お手ごろ山にならないように願いたいけど、こちらもそのお手ごろコースを頼りにするときが来るだろう。

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