嵐の奥駆道
- GPS
- 26:10
- 距離
- 106km
- 登り
- 8,311m
- 下り
- 8,472m
コースタイム
- 山行
- 15:27
- 休憩
- 0:47
- 合計
- 16:14
- 山行
- 8:42
- 休憩
- 0:38
- 合計
- 9:20
天候 | 暴風と雨アラレ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰り:十津川村バスセンター |
その他周辺情報 | 五条市 リバーサイドホテル 金剛乃湯(700円) ビールセット1,000円、モンベルカード提示でタオル付 |
写真
感想
連休を利用して、
「世界遺産丸ごとV字往復〜大峯奥駈道からの小辺路100mileの旅〜」
に挑戦しましたが、往路でリタイアでした。
次こそ達成できるように、次回へ向けた意気込みを書き留めておきます。
■準備編
天気予報では2日荒天、3-4日は好天。大峯奥駈道の荒天を耐えきれば、翌日の小辺路は絶好の天気でチャレンジできる。2日の八経ヶ岳山頂付近予報は気温-2度、風速20mとかなり過酷なのは承知していたが、何とかなると思っていた。これが、何ともならないアホな考えだと思い知ることになる。
前回は食料が底をつき、小辺路チャレンジを諦めたので、今回は大量の行動食と、湯沸かしセット(エスビット)も準備。万全の体制(のつもりだった)で挑む。
■スタート
乗り換え案内には載っていない、始発乗り継ぎの吉野駅まで。3回目となると乗り継ぎも慣れたもんだ。いつもは誰もいない吉野駅も、2名のハイカーさんが大きなザックを背負ってスタート準備をしている。さすがGW、皆さん熊野大社を目指すのだろうか。
いつもスタートで慌てることが多く失敗につながるのだが、今回は落ち着いてゆっくりと用を足してスタート。いざ、修行の道へ。
■洞辻茶屋まで
新緑が眩しい。今日は雨だが、明日は絶景が待っている。それをモチベーションに淡々とピークを消化していく。洞辻茶屋まではうっすらと雪が積もる程度だったが、明らかに積雪の予感がしたので、半袖+アームカバー+短パンのスタイルから、薄手のシェル+ハーフパンツに変身。走っていると寒くも暑くもない快適スタイルだった。しかも、気温が低いので水の消費も少ない。予備のペットボトル500mlを捨てて軽くしようか迷ったが、過去に幾度となく水不足で失敗しているので、そのまま背負って行くこととした。今回は、この先の水場が全て水量豊富だったので、捨てても良かった。水の消費が少なければ、胃腸の調子も保たれるはずなので、絶対に完走できるとしか考えていなかった。
■弥山まで
雪のお陰で踏み跡はしっかりあり、迷うことなく進める。しかも、水は消費していない。時折突風は吹くが、雨というよりアラレなので、雨のようにビシャビシャになって、シェルを透過することもない。雨が肌まで染みてきたら走っても体温が上がらないので、迷わず下山していたと思う。もしくは、弥山小屋で一泊して、翌日の好天で再アタックも考えていたかもしれない。寒さは耐えれるレベルだったので、八経ヶ岳を過ぎて高度を下げていけば何とかなると考えていた。
■釈迦ヶ岳まで
釈迦ヶ岳まで3時間。とにかく高度を下げて寒さと風を凌ぎたい。しかし、甘かった。春の嵐は容赦なくカラダに突き付けてくる。風は西から東なので、カラダの右側は、暴風が運んでくる超高速の雨アラレを痛いほど浴び続ける。稜線の東側斜面を進むときは、ほぼ無風になるので、このゾーンで給水や補給を行い、意を決して稜線に突入。西側斜面に立つときは何もできず、とにかく耐えるのみ。遠くの方から轟音が聞こえ、木々が大きく揺れる。次の瞬間、カラダが吹き飛ばされそうな暴風と、超高速の雪の粒が右顔面を襲う。風が迫ってくる恐怖よりも、このまま夜を迎え、体温が下がってしまう恐怖の方が大きく、とにかく前へ、高度を下げる。ということしか考えていなかった。
必死に進んでいると、楊子ヶ宿小屋に到着した。さすがにここで朝を待つべきか。悩みながら小屋の中を伺うと、1Fに先客が3組、そして今入ってきたばかりの1組で満室になった。諦めて小屋を出ようとしたときに、入ってきたばかりの方が、「私は2階へ行くので、1F使ってください」と声をかけてくれた。が、小屋を使用する装備も持ち合わせておらず、このまま朝を迎えられる自信が無い。折角空けていただいた1Fスペースを振り切って、釈迦ヶ岳を目指し、再び嵐の中へ突っ込んだ。
タラレバを言えば、この時素直に受け入れて、エマージェンシーシートにカラダを包み、横になって朝を迎えていればよかったかもしれない。小屋のお作法や、他人の目を気にして、自らを危険に晒してしまった、と悔やむ。
釈迦ヶ岳のお釈迦さまは風にも動じず佇んでいる。写真のみ撮影して、高度を下げるべく先に進む。直登の下り、鎖を持つ手が痺れてきた。手先の感覚が無くなってくる。
■深仙宿付近で彷徨う
夜になった。轟音はますます大きくなり、暗闇からカラダを吹き飛ばすほど風が襲ってくる。朝に向かって気温は下がる一方だろう。今は寒くないが、動けなくなった瞬間に命も尽きる。とにかく高度を下げて、朝まで耐えられる場所を探すべき。一旦下山ルートを探して、朝が来たらそこからリスタートしようと考えた。風のないトレイルか林道やロードなら体温を下げることなく一晩中動き続けられる。まだ、諦めてはいない。釈迦ヶ岳をちょっと下ったところに「旭登山口」の標識が見えた。一旦深仙宿まで下りて、深仙宿が満室なら再び登り返し、旭登山口を下山する。というプランAを決行。
深仙宿までの下りは滑りやすく、何度も転ぶが動きは止めない。傷だらけで深仙宿に到着したが、小屋の周りにテントが数張あったので、小屋の中を見ずとも満室だろうと諦めた。旭登山口に戻るプランAの予定が、やはり先に進んで高度を下げよう。というプランBに代わり、無意識のうちに、先に進む。
深仙宿を出てすぐに「あれっ、縦走路じゃない」と気づいたが、明確な踏み跡があり、テープもしっかりしている。しばらく進んでいると、明らかに雪も風も弱くなってきたので、このままテープを進み、下山して立て直そうと考えた。風も止んだので、スマホで現在地を確認。沢の方へ向かっているが、下山ルートでは無さそうだ。しかし、踏み跡もテープもしっかりしていたので、これを追うことにする。再び縦走路に出て、嵐に晒されるより快適だ。と、安心した瞬間、沢に出て、テープも踏み跡も無くなった。恐らく、深仙宿からの水場ルートだったのだろう。諦めきれず、何度もテープを探すが、完全に行き止まり。再び旭登山口から下山するプランAに戻ることにした。ここで彷徨う体力で先に進んでいれば、持経宿で立て直せたかもしれないと、また悔やむ。
■南奥駆
結局、旭登山口は踏み跡もテープも無く、ただただ雪深い闇の中。下山を諦め、自分の足跡をたどり、もう一度縦走路へ戻る。ここから持経宿までは10km程度。もう、行くしかない。高度を下げていくので、雨アラレは弱まってきたが、暴風の勢いは増すばかり。とにかく動き続けようとするが、補給を忘れ、がむしゃらに進んでいたので足に力が入らない。東側斜面の風のないエリアで補給をして、再び嵐に突っ込む。何度もこれを繰り返す。なぜこんなことをしているのだろう。そんな疑問も感じないほど必死だった。
南奥駆の看板がライトの反射で光る。この区間は、本当なら気持ちの良い稜線上のシングルトラックのトレイルだろう。通過してきたどこかの山小屋で一泊し、翌朝通過していたら、春の日差しを浴びて、最高の気分で走れていたと思う。しかし、現実は暴風の闇の中。霧の影響か、徐々に目が霞(かす)む。霧?こんな強風で霧なのか。目が霞んでいるのではなくて、呼吸でメガネが曇っているのかもしれない。メガネを外すが景色は霞んでいる。ライトが暗いのかも。ライトの照度を上げるが、視界は悪いまま。次第に足元も見えづらくなり、
涅槃岳の下りで、いよいよ見えなくなってきた。恐らく、ここまでの道中で顔面を嵐に打ち付けられ、マブタがかじかんで動かなくなった時に、超高速のアラレが眼球を直撃していたのだろう。そのダメージと、極度の集中による疲労で目が霞んでいたのだと思う。持経宿手前の下りでは、足元が見えないので全く走れなくなり、慎重に一歩ずつ降りていくしかなかった。遠くに赤い光が見える。持経宿か。それにしては明るすぎる。後で気づいたのだが、光の正体は真っ赤なお月さんだった。
■持経宿
持経宿は裸電球で中が見える、はずだが、目が霞んでよく見えない。恐らく満室だと思ったので、中には入らず、隣のお堂で休むことにした。お堂を開けると線香の香りと共に、温かい空気が流れてくる。良かった、ここで少し休んで視力が回復しなかったら諦めよう。と、中に入ろうとしたとき、目の前に寝袋が見えた。こちらも先客あり。慌てて扉を閉め、林道を下ることにした。
持経宿脇に車が停まっていたので、林道から集落に出られると確信した。水場方面へ下ろうとするが、林道脇のキロポスト標識の距離が増えていることに気づき、もう一度持経宿へ引き換えす。持経宿から少し上ったところに分岐があり、十津川方面へ30kmと書いてある。これでリタイアルートは確定したが、寒さも和らぎ、体も動く。しかし、目が見えない。しばらく目をつぶり、視力さえ回復すればまだ行ける。諦めきれない思いで、持経宿玄関口でエマージェンシーシートにカラダを包み、目をつぶる。遠くで轟音が聞こえ、時折突風が襲う。多分10分も経っていなかっただろう、恐る恐る目を開けるが、やはり回復はしていない。林道を下り、風が無いところで再びシートに包まり、エスビットで湯を沸かす。出来ることはすべてやり切って、ダメなら諦めようと考えた。真っ赤な月夜が辺りを照らしている。天気は回復しているようだが、やはり視力は回復しない。林道を下り、朝になって視力が回復していたら、十津川村から小辺路に入り高野山へ向かうプランCを決行することにした。
■十津川へ
単調な林道は視力が無くても進むことができた。次第に明るくなり、カラダが温まってくると、手先がしびれるのを感じる。手先に感覚が無かったことも忘れていた。林道からロードに出ると、朝日が差し込んできた。視力はまだ回復しない。十津川に到着し、視力が回復していなければバスで帰らざるを得ない。5月らしい晴れ間が差し込み、見事な滝が流れ落ちる新緑のロードを十津川村目指して進む。途中、十津川村温泉の看板が目に入り、気持ちは温泉に傾き始めた。温かい湯に入り、手先のしびれと、冷え切った全身を温めたい。遠くには壮大な山々の景色が広がる。山に向かいたい気持ちは途切れていなかったが、十津川村に到着しても視力は回復していなかった。仕方ない、温泉だ!今すぐにでも飛び込みたい気持ちを押さえつつ、温泉の看板を見ると、臨時休業中の文字が。ショックだが、ある程度予想はしていた。近くの民宿を回り、日帰り入浴が出来ないか聞いてみたが、どこもNG。泥だらけのカラダのまま、日本一長い路線バスに飛び乗り、座席を汚さないようにエマージェンシーシート敷いて帰路へ。道中、気絶したように眠った。
■終わりに
バスが五条に着いた時には、右目は霞んでいる程度で、スマホの文字も見られるまでに視力が回復していた。手先はしびれている。温泉に入れば治るだろうと考えていたが、3日たった今も治らない。足のダメージも大きく、傷だらけに加えて、かなり浮腫んでいる。
もう一度、あの嵐を体験したいとは思わない。でも、突然の嵐に見舞われても、対応できるだけの準備をして、また挑みたい。
なぜ、山に行くのだろう。生きていることを実感したいからなのか。夜のトレイルは神秘的で、夜にしかない魅力がある。ゆっくり景色を楽しみながら登山することも楽しいと思うのだが、いくつもの山を越えて、自分で設定したチャレンジを達成した時の達成感や解放感を実感することも楽しいと思えるから、また挑みたくなる。多少の無理はしても、無茶はしない。常に自分に言い聞かせ、また挑む。今、生きていることに感謝!
だいたい同じ年齢。新城ダブル(今年はでませんした)大峯奥駈道縦走…と共通点多々で、コンメトしてしまいました。今回は5/1昼に、嵐で玉置神社〜十津川温泉下山でした。達成率80%しかし雪とは!!来年、新城ダブルはたまには、でようと思ってますので(現場にはいましたが応援でした)ヨロシクです!!今月中の奥駈道にむけて、情報収集してました。ありがとうございました!!!
38108chanさん
コメントありがとうございます!大峯奥駈道縦走は、何度もチャレンジしたくなる不思議な魅力がありますね。できれば天気の良い日に行きたいです(笑)
新城ダブルはあの急登に
いつもVONさんの多少の?無理をしたレコを楽しみに読ませていただいています。今回はまた壮絶なレコでした。無事は分かっていてもハラハラしてしまいました。羽根田治の遭難からの奇跡の生還ドキュメントかとおもいました。並外れて頑健な身体で無理も効くことでしょうが、どうかご自愛ください。今後もチャレンジングなレコを楽しみにしていますが、あまり無茶はなさいませんよう。
manapuさん
コメントありがとうございます!今回は本当に壮絶でしたが、その分得るものも多かったので次回に活かしたいと思います。山を楽しみながら、身体が動く限り頑張ります!
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