7月21日、チャレンジ開始。
ログは、前半の最後のピークである前白根山をスタート地点としたが、当然ながらまずはそこまで登らなければならない。湯元温泉街を朝4時頃発ち、荒れた急坂がめだつ湯元コースをひたすら凌いだ。
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6/12 14:47
7月21日、チャレンジ開始。
ログは、前半の最後のピークである前白根山をスタート地点としたが、当然ながらまずはそこまで登らなければならない。湯元温泉街を朝4時頃発ち、荒れた急坂がめだつ湯元コースをひたすら凌いだ。
朝7時頃、前白根山に登頂。
ウォーミングアップというにはキツ過ぎる道のりだったが、ようやくログ記録を始めることができる。天気は見ての通り。風もほぼ無し。
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7/21 6:28
朝7時頃、前白根山に登頂。
ウォーミングアップというにはキツ過ぎる道のりだったが、ようやくログ記録を始めることができる。天気は見ての通り。風もほぼ無し。
〈夏峯〉後半の最初の修行は、周回ルートでの奥白根山登頂だ。
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7/21 6:27
〈夏峯〉後半の最初の修行は、周回ルートでの奥白根山登頂だ。
この鞍部広場の先にある岩陰に、15kg超のバックパックをデポ。必要なものだけアタックザックに詰める。ここを起点にして、まずは修験道独自ルートによって、五色沼(大八葉)に下降しなければならないのだ。
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7/21 6:59
この鞍部広場の先にある岩陰に、15kg超のバックパックをデポ。必要なものだけアタックザックに詰める。ここを起点にして、まずは修験道独自ルートによって、五色沼(大八葉)に下降しなければならないのだ。
フミアトはある程度ある。錯綜したり、途切れたりはしているが。おそらく〈夏峯〉ゆかりのルート採りとは知らず、単に五色沼へのショートカットとして適当に駆け下りる人もいるのだろう。
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7/21 7:06
フミアトはある程度ある。錯綜したり、途切れたりはしているが。おそらく〈夏峯〉ゆかりのルート採りとは知らず、単に五色沼へのショートカットとして適当に駆け下りる人もいるのだろう。
トラバースもまじえつつ、徐々に五色沼の東岸へ近づいていく。
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7/21 7:06
トラバースもまじえつつ、徐々に五色沼の東岸へ近づいていく。
フミアトのような、そうでないような。私もけっこう適当。
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7/21 7:13
フミアトのような、そうでないような。私もけっこう適当。
修験道独自ルートから一般登山道に合流。豊富な水場が案内されているが、今はまだ足りているので補給は帰路に立ち寄ることにしよう。
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7/21 7:18
修験道独自ルートから一般登山道に合流。豊富な水場が案内されているが、今はまだ足りているので補給は帰路に立ち寄ることにしよう。
五色沼に着地。蓮華座の内側の世界に来た。
おそらくこの東岸のどこかで、〈夏峯〉一行が柴宿(野営)をした可能性が高いと考察されている。
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7/21 7:24
五色沼に着地。蓮華座の内側の世界に来た。
おそらくこの東岸のどこかで、〈夏峯〉一行が柴宿(野営)をした可能性が高いと考察されている。
奥白根山へは避難小屋経由で登る。南岸へ移動。
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7/21 7:24
奥白根山へは避難小屋経由で登る。南岸へ移動。
美しい湖面だ。行者たちはこれを巡り歩いて、どのような霊的想像力を働かせただろうか。そういえば行者たちはここに来る前日の白錫尾根で、補給部隊と落ち合う段取りだったという。だが道迷いのため現れず、緊急ビバーク(柴宿)したとか。彼らも同じ人間。山伏たちの少し困った顔を想像してつい笑ってしまうのは、失礼だろうか。
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7/21 7:27
美しい湖面だ。行者たちはこれを巡り歩いて、どのような霊的想像力を働かせただろうか。そういえば行者たちはここに来る前日の白錫尾根で、補給部隊と落ち合う段取りだったという。だが道迷いのため現れず、緊急ビバーク(柴宿)したとか。彼らも同じ人間。山伏たちの少し困った顔を想像してつい笑ってしまうのは、失礼だろうか。
行者たちが礼拝したのではないかと言われる巨岩(彼走石鉢)は、南岸のこの岩だと推察されている。真相はいかに。
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7/21 7:29
行者たちが礼拝したのではないかと言われる巨岩(彼走石鉢)は、南岸のこの岩だと推察されている。真相はいかに。
ひと登りして五色沼避難小屋に着いた。
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7/21 7:40
ひと登りして五色沼避難小屋に着いた。
奥白根が突き上げる。冬にここから登頂したことがあるが、12本爪アイゼンが必要な急斜面で、なかなか大変だった。
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7/21 7:44
奥白根が突き上げる。冬にここから登頂したことがあるが、12本爪アイゼンが必要な急斜面で、なかなか大変だった。
岩っぽくなってきて、ここを九十九折りで標高を稼いでいく。
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7/21 7:59
岩っぽくなってきて、ここを九十九折りで標高を稼いでいく。
いよいよ山頂へ。大回りするように近づいていく。
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7/21 8:22
いよいよ山頂へ。大回りするように近づいていく。
8時半頃、奥白根山(白根御嶽)に登頂。
〈夏峯〉における最高地点だ。
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7/21 8:32
8時半頃、奥白根山(白根御嶽)に登頂。
〈夏峯〉における最高地点だ。
ここに登頂するのは三度目となるが、展望雄大な山だ。
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7/21 8:26
ここに登頂するのは三度目となるが、展望雄大な山だ。
この先〈夏峯〉が辿っていくことになる、日光連山の高峰が並んでいた。では、先へ進む。
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7/21 8:33
この先〈夏峯〉が辿っていくことになる、日光連山の高峰が並んでいた。では、先へ進む。
〈夏峯〉はピストンで引き返すのではなく、弥陀ヶ池の方へと急下降していく。その向こうには菅沼も青く美しい。
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7/21 8:59
〈夏峯〉はピストンで引き返すのではなく、弥陀ヶ池の方へと急下降していく。その向こうには菅沼も青く美しい。
シャクナゲやコバイケイソウの咲く夏。
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7/21 9:09
シャクナゲやコバイケイソウの咲く夏。
弥陀ヶ池に着いた。誰もいない。静か。ここから東へ。
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7/21 9:22
弥陀ヶ池に着いた。誰もいない。静か。ここから東へ。
五色沼の西岸。こっちの岸のどこかに彼走ノ宿があったらしい。
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7/21 9:50
五色沼の西岸。こっちの岸のどこかに彼走ノ宿があったらしい。
東岸に戻ってきた。湯元コースで奥白根に登り、ここまでぐるっと歩けば、これは既にもう充分な手ごたえのある登山であるはずだ。けれど、まだ今日の予定行程の30%ほどに過ぎない。
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7/21 9:55
東岸に戻ってきた。湯元コースで奥白根に登り、ここまでぐるっと歩けば、これは既にもう充分な手ごたえのある登山であるはずだ。けれど、まだ今日の予定行程の30%ほどに過ぎない。
五色沼から再び修験道独自ルートへ入る。往路ではスルーした水場で補給する。真夏ゆえ、最大3ℓ背負うようにしていた。
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7/21 10:03
五色沼から再び修験道独自ルートへ入る。往路ではスルーした水場で補給する。真夏ゆえ、最大3ℓ背負うようにしていた。
フミアトを見出して辿る。
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7/21 10:11
フミアトを見出して辿る。
無事に鞍部に帰還したようだ。
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7/21 10:22
無事に鞍部に帰還したようだ。
この岩にバックパックをデポしていた。アタックザックを下ろし、この先のルート状況を予期しながら、効果的に荷物をまとめなおす。
ここより一般登山道を北上する中盤戦の始まりだ。
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7/21 10:31
この岩にバックパックをデポしていた。アタックザックを下ろし、この先のルート状況を予期しながら、効果的に荷物をまとめなおす。
ここより一般登山道を北上する中盤戦の始まりだ。
右手、東側には湯元などの高原地帯が見下ろせた。
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7/21 10:43
右手、東側には湯元などの高原地帯が見下ろせた。
五色山に登頂。行動食をどんどん食べながら北へ急ぐ。
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7/21 10:49
五色山に登頂。行動食をどんどん食べながら北へ急ぐ。
次にめざすピーク、金精山を見やる。まだ午前中だが、だいぶ雲がわいてきた。天気予報では午後に入る頃には、はやくも夕立のような雷雨が来そうなのだ。降らないうちにどこまで行けるか。
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7/21 10:50
次にめざすピーク、金精山を見やる。まだ午前中だが、だいぶ雲がわいてきた。天気予報では午後に入る頃には、はやくも夕立のような雷雨が来そうなのだ。降らないうちにどこまで行けるか。
好展望のハイキングコースに浮かれるけれど、右前方に見渡す山々のほとんどを今日中に歩く計画であることを思い出すと、愕然とする。
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7/21 10:51
好展望のハイキングコースに浮かれるけれど、右前方に見渡す山々のほとんどを今日中に歩く計画であることを思い出すと、愕然とする。
日光マーク。黄色と赤。これに導かれていると安心感がある。
今日の後半戦は酷い藪漕ぎのバリエーションルートになる見込みなので、今のうちにこの安心感を堪能しておきたい。
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7/21 10:58
日光マーク。黄色と赤。これに導かれていると安心感がある。
今日の後半戦は酷い藪漕ぎのバリエーションルートになる見込みなので、今のうちにこの安心感を堪能しておきたい。
国境平を通過。大好物のきんつばを食べながら、なおも北へ。
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7/21 11:08
国境平を通過。大好物のきんつばを食べながら、なおも北へ。
温泉ヶ岳をターゲッティング。
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7/21 11:11
温泉ヶ岳をターゲッティング。
金精山に登頂した。栃木百名山のうちの一座とのこと。
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7/21 11:27
金精山に登頂した。栃木百名山のうちの一座とのこと。
日光連山ファミリーのほうにも雲がかかってきた。
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7/21 11:27
日光連山ファミリーのほうにも雲がかかってきた。
連日のような夕立で岩は濡れている場所が多い。荷物が縦走級なので、なんでもない所での転倒にも注意していかなければならない。
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7/21 11:44
連日のような夕立で岩は濡れている場所が多い。荷物が縦走級なので、なんでもない所での転倒にも注意していかなければならない。
金精峠。ここまで何人かのハイカーさんたちにお会いしたが、おそらくこの下の金精峠登山口からの奥白根山ピストンだろう。〈夏峯〉を追う私はさらに北へ、温泉ヶ岳へ進む。
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7/21 11:59
金精峠。ここまで何人かのハイカーさんたちにお会いしたが、おそらくこの下の金精峠登山口からの奥白根山ピストンだろう。〈夏峯〉を追う私はさらに北へ、温泉ヶ岳へ進む。
ここ金精峠で正午をむかえる。まだまだ先は長い。
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7/21 12:00
ここ金精峠で正午をむかえる。まだまだ先は長い。
こんな感じの登山道。
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7/21 12:41
こんな感じの登山道。
午前中のあの一面の青空は、去って行ってしまった。
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7/21 12:46
午前中のあの一面の青空は、去って行ってしまった。
コメツガなどの針葉樹がとても密になってきた。冬季に湯元からの尾根伝いで温泉ヶ岳に登ったことがあるから知っている。この山の山頂直下は樹林帯の迷路のようだった。今はトレイルが明瞭だから何も問題ない。
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7/21 12:54
コメツガなどの針葉樹がとても密になってきた。冬季に湯元からの尾根伝いで温泉ヶ岳に登ったことがあるから知っている。この山の山頂直下は樹林帯の迷路のようだった。今はトレイルが明瞭だから何も問題ない。
山頂へ。遠くに雷鳴がなりはじめた。
温泉ヶ岳の一般登山道は、この地点から山頂をピストンするように敷かれている。
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7/21 12:55
山頂へ。遠くに雷鳴がなりはじめた。
温泉ヶ岳の一般登山道は、この地点から山頂をピストンするように敷かれている。
温泉ヶ岳2333m
ここまでは登山届のほぼタイムテーブル通りに進むことができた。とはいえ、けっこうなアップダウンを歩いた。既に疲れぎみだ。
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7/21 13:11
温泉ヶ岳2333m
ここまでは登山届のほぼタイムテーブル通りに進むことができた。とはいえ、けっこうなアップダウンを歩いた。既に疲れぎみだ。
まだ空に明るさはあるが、雨が本降りになってきた。ここで中盤戦が終わり、いよいよ藪漕ぎを免れない後半戦に入るので、レインウェアを着込んで防御力を高めておいた。
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7/21 13:11
まだ空に明るさはあるが、雨が本降りになってきた。ここで中盤戦が終わり、いよいよ藪漕ぎを免れない後半戦に入るので、レインウェアを着込んで防御力を高めておいた。
古文書の記述に従い、山頂から一般登山道には引き返さない。北東方面の藪に突っ込む。笹も低木も、もう雨に湿っている。
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7/21 13:18
古文書の記述に従い、山頂から一般登山道には引き返さない。北東方面の藪に突っ込む。笹も低木も、もう雨に湿っている。
北東に進路をとった理由はコレだ。温泉ヶ岳の旧噴気孔。すぐに見つかった。古文書にも落ちないように注意と明記されているポイントだ。〈夏峯〉一行の行者たちもここを訪れた。
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7/21 13:20
北東に進路をとった理由はコレだ。温泉ヶ岳の旧噴気孔。すぐに見つかった。古文書にも落ちないように注意と明記されているポイントだ。〈夏峯〉一行の行者たちもここを訪れた。
暗くて底がよく見えない。そこそこ深いのか。落ちたくはなかった。ここを後にして、そのまま北東進路を継続し、一般登山道に復帰する。そのつもりだった。この日、最初のトラブルはこの直後に起こる。
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7/21 13:20
暗くて底がよく見えない。そこそこ深いのか。落ちたくはなかった。ここを後にして、そのまま北東進路を継続し、一般登山道に復帰する。そのつもりだった。この日、最初のトラブルはこの直後に起こる。
写真ではよくわからないだろうが、この短くてまったくのノーマークだった区間が、かなり硬くて濃い藪の急斜面だった。絡め囚われてもがく。いつの間にか、トレッキングポールが何かの枝に盗み取られていることに気づく。この先三日間、重荷で長いバリルートを続けるのに、杖無しは辛すぎた。必死に探し続けた。
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7/21 14:00
写真ではよくわからないだろうが、この短くてまったくのノーマークだった区間が、かなり硬くて濃い藪の急斜面だった。絡め囚われてもがく。いつの間にか、トレッキングポールが何かの枝に盗み取られていることに気づく。この先三日間、重荷で長いバリルートを続けるのに、杖無しは辛すぎた。必死に探し続けた。
ポールの回収と藪脱出とで1時間近くもロスしてしまった。忠実にログを戻って探すだけの簡単な作業は、激藪の急登においては至難だった。一般登山道に復帰したが、その代償として着たばかりのレインウェアそして皮ブーツの中までもが、草露に濡れた藪が押しつけてくる水圧でぐしょぐしょになってしまった。
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7/21 14:06
ポールの回収と藪脱出とで1時間近くもロスしてしまった。忠実にログを戻って探すだけの簡単な作業は、激藪の急登においては至難だった。一般登山道に復帰したが、その代償として着たばかりのレインウェアそして皮ブーツの中までもが、草露に濡れた藪が押しつけてくる水圧でぐしょぐしょになってしまった。
時間ロスとブーツ浸水。不安がよぎる。プロテクトJ1を足に塗り、予備ソックスに替えはした。が、靴は毎日長距離で履き続ける限り乾くことはないだろう。足裏がふやけておかしくなるだろう。至近の念仏平避難小屋に泊まるか。いや、逃げの一泊に何かメリットがあるというのか。なおも後半戦へと東進すべきか?
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7/21 14:28
時間ロスとブーツ浸水。不安がよぎる。プロテクトJ1を足に塗り、予備ソックスに替えはした。が、靴は毎日長距離で履き続ける限り乾くことはないだろう。足裏がふやけておかしくなるだろう。至近の念仏平避難小屋に泊まるか。いや、逃げの一泊に何かメリットがあるというのか。なおも後半戦へと東進すべきか?
私はテントではなくダウンハンモック泊装備一式を背負っていた。樹があればほぼどこででもビバーク可能なのがハンモックの強みだ。より遠くまで攻める武器でもあり、自由度の高い防具でもある。私は進めるだけ進むことに決めた。念仏平付近から東の稜線へ、濡れた藪に入る。
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7/21 14:33
私はテントではなくダウンハンモック泊装備一式を背負っていた。樹があればほぼどこででもビバーク可能なのがハンモックの強みだ。より遠くまで攻める武器でもあり、自由度の高い防具でもある。私は進めるだけ進むことに決めた。念仏平付近から東の稜線へ、濡れた藪に入る。
(2274mピーク)
真夏とはいえ、いきなりもう藪が深い。笹原が水滴をなすりつけてくる。幸い、雷雨の方はまもなく降り切りそうだ。遠く南西の海上に台風がある恩恵で、今日の大気はいくらか安定している方だった。真夏の日光が地形的に雷の巣となる運命であることを想えば、かなりマシな予報の日だった。
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7/21 14:34
(2274mピーク)
真夏とはいえ、いきなりもう藪が深い。笹原が水滴をなすりつけてくる。幸い、雷雨の方はまもなく降り切りそうだ。遠く南西の海上に台風がある恩恵で、今日の大気はいくらか安定している方だった。真夏の日光が地形的に雷の巣となる運命であることを想えば、かなりマシな予報の日だった。
いま渡っている稜線は、私が入手した20年ほど昔の『山と高原地図』で郡市界の破線がひいてある線上だ。ここがまさに修験道〈夏峯〉のルートと一致しているっぽい。だが、ほんとうに行者たちはこんな雷雨の季節に、こんな激藪の山林を歩いたというのか。にわかには信じ難いことだった。
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7/21 14:43
いま渡っている稜線は、私が入手した20年ほど昔の『山と高原地図』で郡市界の破線がひいてある線上だ。ここがまさに修験道〈夏峯〉のルートと一致しているっぽい。だが、ほんとうに行者たちはこんな雷雨の季節に、こんな激藪の山林を歩いたというのか。にわかには信じ難いことだった。
藪、また藪。それがずっと続いた。うんざりするレベルだ。視界が悪く、地形図読みやコンパス程度では方向感覚がすぐに乱れていきそうな地形が続いた。スマホの詳細な参考ログで、位置修正していく必要がでてきた。とにかく、どんなに藪が強固でも、原則として忠実に尾根上伝いで辿るのが無難そうだった。
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7/21 14:45
藪、また藪。それがずっと続いた。うんざりするレベルだ。視界が悪く、地形図読みやコンパス程度では方向感覚がすぐに乱れていきそうな地形が続いた。スマホの詳細な参考ログで、位置修正していく必要がでてきた。とにかく、どんなに藪が強固でも、原則として忠実に尾根上伝いで辿るのが無難そうだった。
雨は止んだが、草露にやられている。同時に内陸性の蒸し暑さもある。寒いのか暑いのか判らない感じになってきた。おまけに胃痛やら内臓トラブルの兆候あり。ずっと行動食を齧り続けてきた負担か。いや、それでもカロリー不足でシャリバテっぽさがあるのだが。
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7/21 14:56
雨は止んだが、草露にやられている。同時に内陸性の蒸し暑さもある。寒いのか暑いのか判らない感じになってきた。おまけに胃痛やら内臓トラブルの兆候あり。ずっと行動食を齧り続けてきた負担か。いや、それでもカロリー不足でシャリバテっぽさがあるのだが。
修験道史跡、竜池ノ宿の比定地である広場を見つけた。こういう史跡や遥拝所の詳細なデータなども、スマホに入っている。便利なものだ。
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7/21 15:29
修験道史跡、竜池ノ宿の比定地である広場を見つけた。こういう史跡や遥拝所の詳細なデータなども、スマホに入っている。便利なものだ。
(2207mピーク)
まだ初日だというのにトラブルが重なり、進捗がよろしくない。この先も不明瞭な道が続きそうだ。スマホの充電量が寂しくなってきたので、ここらで大容量モバイルバッテリーを出そうか。この日のためにコレも、そしてスマホ本体も新購入した。充電コードは速度効率化をねらって純正品を選んできた。が、しかし・・・
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7/21 15:45
(2207mピーク)
まだ初日だというのにトラブルが重なり、進捗がよろしくない。この先も不明瞭な道が続きそうだ。スマホの充電量が寂しくなってきたので、ここらで大容量モバイルバッテリーを出そうか。この日のためにコレも、そしてスマホ本体も新購入した。充電コードは速度効率化をねらって純正品を選んできた。が、しかし・・・
できない。繋がるが充電できない。規格が違うようだった。自らの装備品ミスに青ざめる。点検不足。こんなことは初めてだった。三日間で後半部分をいっきに踏破し、まとまった形のログを入手するという今回の計画。目標。ビジョン。これらがまとめて崩壊したのを悟った瞬間だった。
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7/21 15:48
できない。繋がるが充電できない。規格が違うようだった。自らの装備品ミスに青ざめる。点検不足。こんなことは初めてだった。三日間で後半部分をいっきに踏破し、まとまった形のログを入手するという今回の計画。目標。ビジョン。これらがまとめて崩壊したのを悟った瞬間だった。
致命的トラブルにふらつきながら、考える。失敗、挫折した。敗退は決まった。が、どう敗退するかに頭を使う。本来の計画通り、於呂倶羅山まで粘ってハンモック泊か。しかしそれは三連休の有効活用には繋がらないように思う。せめて何らかの希望に繋がる敗退をしなければと考えて歩いた。
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7/21 16:19
致命的トラブルにふらつきながら、考える。失敗、挫折した。敗退は決まった。が、どう敗退するかに頭を使う。本来の計画通り、於呂倶羅山まで粘ってハンモック泊か。しかしそれは三連休の有効活用には繋がらないように思う。せめて何らかの希望に繋がる敗退をしなければと考えて歩いた。
(2193mピーク)
複雑な地形に神経を使ったが、そんな緊張感のおかげか頭は次善の策ともいえる名案に辿り着いていた。「この先の深山之宿までは粘る。そこから下見済みの西沢金山古道跡でエスケープする。今夜の内にマイカーで帰宅して、仕切り直しをする。」
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7/21 16:34
(2193mピーク)
複雑な地形に神経を使ったが、そんな緊張感のおかげか頭は次善の策ともいえる名案に辿り着いていた。「この先の深山之宿までは粘る。そこから下見済みの西沢金山古道跡でエスケープする。今夜の内にマイカーで帰宅して、仕切り直しをする。」
深山之宿が近くなってくると、この尾根で初めての目印も付きはじめた。金山古道も特に危険箇所がない、バリルートとしては入門的な地形だ。安全第一に帰還する自信が見えてきた。
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7/21 17:01
深山之宿が近くなってくると、この尾根で初めての目印も付きはじめた。金山古道も特に危険箇所がない、バリルートとしては入門的な地形だ。安全第一に帰還する自信が見えてきた。
(1971mピーク)
あれほど凶暴だった藪がおとなしくなり、ピンとはりつめていた緊張を半分ほどほどいた。もうスマホでの位置修正もいらない。
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7/21 17:29
(1971mピーク)
あれほど凶暴だった藪がおとなしくなり、ピンとはりつめていた緊張を半分ほどほどいた。もうスマホでの位置修正もいらない。
日光修験の根幹道場のひとつ、深山之宿(じんぜんのしゅく)に無事到着。今日ここまで歩けば、この後ははるか先の小真名子山まで、私は〈夏峯〉の各区間を歩き終えていた。下見と称した6〜7月の日帰り山行がいっきに繋がって、〈夏峯〉全体の90%に至る。あとは最終区間だけを残すだけになる。
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7/21 17:45
日光修験の根幹道場のひとつ、深山之宿(じんぜんのしゅく)に無事到着。今日ここまで歩けば、この後ははるか先の小真名子山まで、私は〈夏峯〉の各区間を歩き終えていた。下見と称した6〜7月の日帰り山行がいっきに繋がって、〈夏峯〉全体の90%に至る。あとは最終区間だけを残すだけになる。
私の当初の目論見は失敗だ。だけど、せめてセクションハイクを積み重ねるかたちの、定義上のスルーハイク達成はまだ可能だ。それは残り一日で踏破できるはずだ。
私は帰った。明るいうちに刈込湖に着地し、ライトで湯元温泉街のマイカーに下山。帰京。一晩ゆっくり寝て、身体チェック。7月25日にリベンジを決めた。
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7/21 17:45
私の当初の目論見は失敗だ。だけど、せめてセクションハイクを積み重ねるかたちの、定義上のスルーハイク達成はまだ可能だ。それは残り一日で踏破できるはずだ。
私は帰った。明るいうちに刈込湖に着地し、ライトで湯元温泉街のマイカーに下山。帰京。一晩ゆっくり寝て、身体チェック。7月25日にリベンジを決めた。
6月12日。ここからしばらくは過去の記録を挟む。
このレコでは順をおって、私の歩いてきた〈夏峯〉を案内していこうと思う。金剛堂(石祠)が奉納された深山之宿から、話を継続しよう。朝、西沢金山古道の笹をかきわけて、ここまで登ってきた。ここは由緒ある霊場である。
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6/12 9:00
6月12日。ここからしばらくは過去の記録を挟む。
このレコでは順をおって、私の歩いてきた〈夏峯〉を案内していこうと思う。金剛堂(石祠)が奉納された深山之宿から、話を継続しよう。朝、西沢金山古道の笹をかきわけて、ここまで登ってきた。ここは由緒ある霊場である。
ここ深山之宿は、「大先達号」の称号が授けられる儀式が行われた、まさに〈夏峯〉の主旨を象徴する場である。
この石造物がいつの時代のものかには緒論あるが、銅扉の裏側には室町時代(1518年)の年月日が刻まれていた。今は銅扉のみは外して回収され、文化財として日光市街地の興雲律院に収蔵されている。興雲律院は現在でも山岳修行復興を志す、数少ない寺院だ。
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6/12 9:01
ここ深山之宿は、「大先達号」の称号が授けられる儀式が行われた、まさに〈夏峯〉の主旨を象徴する場である。
この石造物がいつの時代のものかには緒論あるが、銅扉の裏側には室町時代(1518年)の年月日が刻まれていた。今は銅扉のみは外して回収され、文化財として日光市街地の興雲律院に収蔵されている。興雲律院は現在でも山岳修行復興を志す、数少ない寺院だ。
東へ尾根を進み、金田峠に向かうが、その前に水場での補給に下りる。このピンクとイエローの辺りから南面の斜面に入った。
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6/12 9:27
東へ尾根を進み、金田峠に向かうが、その前に水場での補給に下りる。このピンクとイエローの辺りから南面の斜面に入った。
水場を発見。でも水量が細め。もっと下降すれば豊富になっていくかもしれないが、地形が未知数で時間もとられるのでこの場で採取を試みよう。
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6/12 9:32
水場を発見。でも水量が細め。もっと下降すれば豊富になっていくかもしれないが、地形が未知数で時間もとられるのでこの場で採取を試みよう。
ちょろちょろな感じだ。アミノバイタルとかのゼリー飲料容器を半分にカットして、上部分を逆さまの向きでペットボトルに口をつなげば、もっと効率的に集められるかもしれない。
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6/12 9:37
ちょろちょろな感じだ。アミノバイタルとかのゼリー飲料容器を半分にカットして、上部分を逆さまの向きでペットボトルに口をつなげば、もっと効率的に集められるかもしれない。
尾根に復帰した。峠まではほんのひと歩きだ。
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6/12 9:18
尾根に復帰した。峠まではほんのひと歩きだ。
金田峠(かなたとうげ)を通過。
念仏平からここまで、郡市界の境界線尾根をずっと東進してきたが、深山之宿以後の細尾根では鬱蒼とした雰囲気は急速に弱まる。光と風が心地よい。
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6/12 9:20
金田峠(かなたとうげ)を通過。
念仏平からここまで、郡市界の境界線尾根をずっと東進してきたが、深山之宿以後の細尾根では鬱蒼とした雰囲気は急速に弱まる。光と風が心地よい。
ここでフミアトが二股に分かれている。於呂倶羅山には右の登り坂を使う。左は沢沿い(西沢)の、西沢金山跡に至る古道を踏襲しているのだろうか。調べて確認してみたいところだ。
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6/12 9:50
ここでフミアトが二股に分かれている。於呂倶羅山には右の登り坂を使う。左は沢沿い(西沢)の、西沢金山跡に至る古道を踏襲しているのだろうか。調べて確認してみたいところだ。
藪は浅くて草原状だが、足を踏ん張らせる登り。1949m峰をめざす。
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6/12 9:55
藪は浅くて草原状だが、足を踏ん張らせる登り。1949m峰をめざす。
1949mピーク。存外、展望が良い。周囲は、樹林帯に全面覆われたような山々が連なっている山域だ。
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6/12 10:01
1949mピーク。存外、展望が良い。周囲は、樹林帯に全面覆われたような山々が連なっている山域だ。
男体山方面が見えた。かなり遠いな。でもあの男体山ですら〈夏峯〉のゴールではない。
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6/12 10:01
男体山方面が見えた。かなり遠いな。でもあの男体山ですら〈夏峯〉のゴールではない。
いざ、於呂倶羅山へ。
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6/12 10:02
いざ、於呂倶羅山へ。
目印がとても多くなっていく。その反面、藪はちょっと背が高くなっていく。
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6/12 10:05
目印がとても多くなっていく。その反面、藪はちょっと背が高くなっていく。
きれいな空とシャクナゲだが、これは硬いシャクナゲ藪が邪魔をしてくるということでもある。完全に尾根上を進むと藪が濃すぎるので、やや北面をトラバースぎみに行く。
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6/12 10:08
きれいな空とシャクナゲだが、これは硬いシャクナゲ藪が邪魔をしてくるということでもある。完全に尾根上を進むと藪が濃すぎるので、やや北面をトラバースぎみに行く。
於呂倶羅山が近い。この山は小補多羅とも呼ばれていたようだ。補陀洛山(男体山)の北部にあるという意味合いがある。
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6/12 10:16
於呂倶羅山が近い。この山は小補多羅とも呼ばれていたようだ。補陀洛山(男体山)の北部にあるという意味合いがある。
だいぶ人の痕跡がある。
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6/12 10:19
だいぶ人の痕跡がある。
最後にザワザワと掻き分けて行くと
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6/12 10:25
最後にザワザワと掻き分けて行くと
久しぶりの於呂倶羅山、2020mに登頂した。
無雪期では初登頂。あいかわらず展望はほぼ無い藪山だが、ちょっと東に進めば太郎山や白根山を眺められるスポットもある、なかなか良い山だ。
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6/12 10:29
久しぶりの於呂倶羅山、2020mに登頂した。
無雪期では初登頂。あいかわらず展望はほぼ無い藪山だが、ちょっと東に進めば太郎山や白根山を眺められるスポットもある、なかなか良い山だ。
於呂倶羅山はその山頂東側に広い肩をもつ。穏やかな地形のほどよい樹林帯だ。
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6/12 10:54
於呂倶羅山はその山頂東側に広い肩をもつ。穏やかな地形のほどよい樹林帯だ。
(本来の私の〈夏峯〉後半登山計画では、三日間のうち初日はこの肩でハンモック泊の予定だった・・・)
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6/12 10:59
(本来の私の〈夏峯〉後半登山計画では、三日間のうち初日はこの肩でハンモック泊の予定だった・・・)
(こっちは肩をやや北へと奥まったポイント。標高2000付近の山頂エリアなので強風の日はハンモック泊もあまり穏やかではないだろうが、ここまで奥まれば夏の南風もいくらか凌げるようになるのではないだろうか。)
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6/12 11:00
(こっちは肩をやや北へと奥まったポイント。標高2000付近の山頂エリアなので強風の日はハンモック泊もあまり穏やかではないだろうが、ここまで奥まれば夏の南風もいくらか凌げるようになるのではないだろうか。)
さて、於呂倶羅山を越えて下山する。この山、特に東側ルートはかなり道順が明瞭なので、バリルート入門にも適している。急斜面も一部あるが、奥鬼怒林道の取付地点からのコースタイムも短めで良い。
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6/12 11:10
さて、於呂倶羅山を越えて下山する。この山、特に東側ルートはかなり道順が明瞭なので、バリルート入門にも適している。急斜面も一部あるが、奥鬼怒林道の取付地点からのコースタイムも短めで良い。
1789mの露岩帯に立つ。展望が良いポイントで、北は会津方面の山並みが見える。冬季はもっと澄んでいた。
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6/12 11:20
1789mの露岩帯に立つ。展望が良いポイントで、北は会津方面の山並みが見える。冬季はもっと澄んでいた。
同じく露岩帯より。次にトライする山王帽子山が眼前にある。修験の道〈夏峯〉では、一般登山道ではなく、独自ルートである北面を登る。白っぽい保護がされた植林が見えるが、あの辺りから上へ伸びるラインだ。
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6/12 11:20
同じく露岩帯より。次にトライする山王帽子山が眼前にある。修験の道〈夏峯〉では、一般登山道ではなく、独自ルートである北面を登る。白っぽい保護がされた植林が見えるが、あの辺りから上へ伸びるラインだ。
涸沼の草原が見下ろされた。刈込湖・切込湖とともに周遊すると気持ち良い場所だ。
そんなことを思い出しながら、奥鬼怒林道に下山した。
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6/12 11:21
涸沼の草原が見下ろされた。刈込湖・切込湖とともに周遊すると気持ち良い場所だ。
そんなことを思い出しながら、奥鬼怒林道に下山した。
奥鬼怒林道のガードレールを乗り越え、地図にはない沢で給水する。ここは豊富な水場だった。ペットボトルに浄水フィルターを付けて吸えば問題ない綺麗な水だろう。
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6/12 11:35
奥鬼怒林道のガードレールを乗り越え、地図にはない沢で給水する。ここは豊富な水場だった。ペットボトルに浄水フィルターを付けて吸えば問題ない綺麗な水だろう。
林業の方が作業中だったので挨拶と事情説明をする。地面に敷いてある養生シートに気を付けて、山王帽子山に登る件。
「いいよいいよ、俺たちなんか毎日踏んでるもん!」
感謝して遠慮がちに通過させてもらった。
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6/12 11:44
林業の方が作業中だったので挨拶と事情説明をする。地面に敷いてある養生シートに気を付けて、山王帽子山に登る件。
「いいよいいよ、俺たちなんか毎日踏んでるもん!」
感謝して遠慮がちに通過させてもらった。
植林帯を抜けて、ルート確認する。ある程度スムーズに歩けるようになっていればいいのだが。
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6/19 13:44
植林帯を抜けて、ルート確認する。ある程度スムーズに歩けるようになっていればいいのだが。
フミアトは、あるような? いや、疑似フミアトや獣道だけかもしれない。無いという前提でルートファインディングした方が良さそうだ。
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6/12 11:58
フミアトは、あるような? いや、疑似フミアトや獣道だけかもしれない。無いという前提でルートファインディングした方が良さそうだ。
フミアトは怪しいが、かなり昔の林業の残置なのだろうか、錆びついた金属製ワイヤーは発見した。なお、リボンやテープなどの目印は皆無。
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6/12 12:10
フミアトは怪しいが、かなり昔の林業の残置なのだろうか、錆びついた金属製ワイヤーは発見した。なお、リボンやテープなどの目印は皆無。
藪はあるが、さほど濃くはない疎林といった雰囲気で助かった。道は決まってないので適当に枝を避けるようにして、九十九折り歩きを繰り返すことで、山頂近くまで標高を稼げた。
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6/12 12:18
藪はあるが、さほど濃くはない疎林といった雰囲気で助かった。道は決まってないので適当に枝を避けるようにして、九十九折り歩きを繰り返すことで、山頂近くまで標高を稼げた。
山頂直下あたりからは針葉樹林帯が目立ってきて、狭い樹間を縫っていく。
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6/12 12:38
山頂直下あたりからは針葉樹林帯が目立ってきて、狭い樹間を縫っていく。
〈夏峯〉のバリルート区間は、全編を通して倒木のオンパレードでもある。避けるか越えるか潜るかだ。
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6/12 12:42
〈夏峯〉のバリルート区間は、全編を通して倒木のオンパレードでもある。避けるか越えるか潜るかだ。
無事に林道から1時間ほどで、山王帽子山に登頂した。
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6/12 12:51
無事に林道から1時間ほどで、山王帽子山に登頂した。
山頂より男体山を臨む。
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6/12 12:51
山頂より男体山を臨む。
南西方向には大真名子山など。〈夏峯〉はこれらの山々に向かって進路をとる。
次は太郎山をめざす。
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6/12 13:05
南西方向には大真名子山など。〈夏峯〉はこれらの山々に向かって進路をとる。
次は太郎山をめざす。
太郎山への一般登山道。標高が高くて心地よいトレイルだ。快適に歩が進む。
(以下3枚の写真は、二年前6月の太郎山日帰りハイクの際のものを引用)
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6/1 12:51
太郎山への一般登山道。標高が高くて心地よいトレイルだ。快適に歩が進む。
(以下3枚の写真は、二年前6月の太郎山日帰りハイクの際のものを引用)
小太郎山。山王帽子山とともに太郎山の前衛峰をなす。
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6/1 13:03
小太郎山。山王帽子山とともに太郎山の前衛峰をなす。
サクサクと進むと
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6/1 13:34
サクサクと進むと
太郎山2367.7mに登頂。
日光三山のうちの一座。ファミリーの長男役。展望は抜群だ。
(ここから6月5日山行の記録写真がしばらく続きます)
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6/5 7:14
太郎山2367.7mに登頂。
日光三山のうちの一座。ファミリーの長男役。展望は抜群だ。
(ここから6月5日山行の記録写真がしばらく続きます)
燧ケ岳など、尾瀬の山々。
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6/5 7:15
燧ケ岳など、尾瀬の山々。
足尾、国境稜線、白錫尾根の山々など。
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6/5 7:17
足尾、国境稜線、白錫尾根の山々など。
はるか遠く、銀嶺の飯豊連峰も視認できているかもしれない。
なお、今回は立ち寄らないが、太郎山頂直下のお花畑入口にある岩戸もおもしろい。山伏たちが浄土への入口を観想したであろう形状で、祠および碑伝(ひで)も多数奉納されている。
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6/5 7:21
はるか遠く、銀嶺の飯豊連峰も視認できているかもしれない。
なお、今回は立ち寄らないが、太郎山頂直下のお花畑入口にある岩戸もおもしろい。山伏たちが浄土への入口を観想したであろう形状で、祠および碑伝(ひで)も多数奉納されている。
そして、次なる大ピークとなる大真名子山だ。日光連山ファミリーの長男から長女まで、そのピーク間をバリルートだけで渡る難行に入る。緊張が高まる。
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6/5 7:24
そして、次なる大ピークとなる大真名子山だ。日光連山ファミリーの長男から長女まで、そのピーク間をバリルートだけで渡る難行に入る。緊張が高まる。
〈夏峯〉一行が駆け下りたと古文書に記されているのは、このロープの向こう側、東面に落ちる薙ルートだ。寒沢薙と呼ばれている。
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6/5 7:47
〈夏峯〉一行が駆け下りたと古文書に記されているのは、このロープの向こう側、東面に落ちる薙ルートだ。寒沢薙と呼ばれている。
薙が見えた。このガレ場を直接踏んでいくのは足場が落ち着かない気がするので、薙の陽光を右手に感じるようにして、左岸の樹林帯を行くのが無難だろう。付かず離れずであれば道に迷うこともあるまい。
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6/5 8:04
薙が見えた。このガレ場を直接踏んでいくのは足場が落ち着かない気がするので、薙の陽光を右手に感じるようにして、左岸の樹林帯を行くのが無難だろう。付かず離れずであれば道に迷うこともあるまい。
道であるような、そうでないような。とりあえず危険な地形はないので、だいたいの方向感覚で標高を下げていく。
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6/5 8:05
道であるような、そうでないような。とりあえず危険な地形はないので、だいたいの方向感覚で標高を下げていく。
藪はまあ、ところどころこんな感じであります。やっぱりね。
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6/5 8:19
藪はまあ、ところどころこんな感じであります。やっぱりね。
目印は皆無だが、古い金属ワイヤーは発見。山王帽子山と重なるデジャヴ。
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6/5 8:50
目印は皆無だが、古い金属ワイヤーは発見。山王帽子山と重なるデジャヴ。
坂が緩やかになる頃、周囲の空気が変化する。穏やかに導かれていくような。
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6/5 8:57
坂が緩やかになる頃、周囲の空気が変化する。穏やかに導かれていくような。
日光修験の史跡、寒沢宿。
それは突然あらわれる。雑然とした原始林の中に、人の手がはいったような整然とした空間があった。台座のような採燈護摩壇が見える。
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6/5 8:59
日光修験の史跡、寒沢宿。
それは突然あらわれる。雑然とした原始林の中に、人の手がはいったような整然とした空間があった。台座のような採燈護摩壇が見える。
石段状の上部に、不動明王立像を中心にして、二基の金剛堂が残る。
ここは、大真名子、小真名子、男体、さらには北部の集落にも連絡する古来の道の結節点だ。山伏たちが幾日も留まり、祈祷などの修行を行うことのできる重要拠点。要衝の地なる根幹道場のひとつだ。
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6/5 8:59
石段状の上部に、不動明王立像を中心にして、二基の金剛堂が残る。
ここは、大真名子、小真名子、男体、さらには北部の集落にも連絡する古来の道の結節点だ。山伏たちが幾日も留まり、祈祷などの修行を行うことのできる重要拠点。要衝の地なる根幹道場のひとつだ。
静謐な聖地だ。苔むした祠には、ごく最近の碑伝が奉納されている。宇都宮市の多気不動尊などが、令和の今でも山岳修行に来ているようだ。秋の〈五禅頂〉を引き継ぐ内容の山行だろうか。
こういった石造物はほぼ〈夏峯〉廃絶後の時代のものだろうが、それでも〈夏峯〉全盛期から重要な場であったことを記念して伝えるメルクマールだ。注目してしまう。
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6/5 8:59
静謐な聖地だ。苔むした祠には、ごく最近の碑伝が奉納されている。宇都宮市の多気不動尊などが、令和の今でも山岳修行に来ているようだ。秋の〈五禅頂〉を引き継ぐ内容の山行だろうか。
こういった石造物はほぼ〈夏峯〉廃絶後の時代のものだろうが、それでも〈夏峯〉全盛期から重要な場であったことを記念して伝えるメルクマールだ。注目してしまう。
採燈護摩壇。
天台宗や真言宗の密教では日課のような祭祀である護摩焚きだが、野外聖壇は珍しいはずだ。ここで火と煙を立ち昇らせる。旧約聖書のモーセたちもテント泊を続ける野営旅の達人だったが、家畜を焼いて煙を天に届ける礼拝をしていた。いわゆる伝統宗教においては、水とともに火も欠かせないエレメンツであろう。
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6/5 9:00
採燈護摩壇。
天台宗や真言宗の密教では日課のような祭祀である護摩焚きだが、野外聖壇は珍しいはずだ。ここで火と煙を立ち昇らせる。旧約聖書のモーセたちもテント泊を続ける野営旅の達人だったが、家畜を焼いて煙を天に届ける礼拝をしていた。いわゆる伝統宗教においては、水とともに火も欠かせないエレメンツであろう。
つい最近の礼拝であろうか、木炭があえて少しだけ残されていた。これも昔ながらの風景なのであろうと私は愚考する。
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6/5 9:00
つい最近の礼拝であろうか、木炭があえて少しだけ残されていた。これも昔ながらの風景なのであろうと私は愚考する。
さて、いよいよ寒沢宿から大真名子山に単体登拝する。
この周囲はまだ細い二次林で、単にそのために整然とした静謐さがあるだけなのかもしれない。伐採や林道開発をともなう見事な治山・治水事業が、裏男体エリアで広範囲にあった。室町期に栄えた頃の寒沢宿近くにあった水場も、水系が変化しているに違いない。せいぜい湿地状になっているだろう。
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6/5 9:06
さて、いよいよ寒沢宿から大真名子山に単体登拝する。
この周囲はまだ細い二次林で、単にそのために整然とした静謐さがあるだけなのかもしれない。伐採や林道開発をともなう見事な治山・治水事業が、裏男体エリアで広範囲にあった。室町期に栄えた頃の寒沢宿近くにあった水場も、水系が変化しているに違いない。せいぜい湿地状になっているだろう。
ここから大真名子山にアクセスするには、まず南南東に進路をとる。のっけから道は不明瞭。右往左往、ふらつきながら適当に行く。とにかく第一中継地点となる1919m峰に辿り着けばよい。
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6/5 9:08
ここから大真名子山にアクセスするには、まず南南東に進路をとる。のっけから道は不明瞭。右往左往、ふらつきながら適当に行く。とにかく第一中継地点となる1919m峰に辿り着けばよい。
打ち捨てられた一斗缶があった。古道などを辿ると、明治〜昭和のさまざまな痕跡に出会うことはしばしばあることだ。意外と近代の遺物が多いものだ。
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6/5 9:15
打ち捨てられた一斗缶があった。古道などを辿ると、明治〜昭和のさまざまな痕跡に出会うことはしばしばあることだ。意外と近代の遺物が多いものだ。
きわめて浅い涸れ沢を横断する。このエリアはこういった沢地形が多数分岐している。先ほど水系の変化について言ったが、ほぼ水は枯れているか伏流していると考えておいた方がいい。つまり水場は長く存在しない。このことが、現在における〈夏峯〉の難易度をずいぶんと高くしていると思う。
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6/5 9:18
きわめて浅い涸れ沢を横断する。このエリアはこういった沢地形が多数分岐している。先ほど水系の変化について言ったが、ほぼ水は枯れているか伏流していると考えておいた方がいい。つまり水場は長く存在しない。このことが、現在における〈夏峯〉の難易度をずいぶんと高くしていると思う。
国土地理院地形図を眺めるだけではその実態が見定められない、涸れた沢。降りて、また登る。いくら地図読みができる人であっても、こういう細部の詳細は現地入りしてみないと誰も確定的なことは言えない。
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6/5 9:34
国土地理院地形図を眺めるだけではその実態が見定められない、涸れた沢。降りて、また登る。いくら地図読みができる人であっても、こういう細部の詳細は現地入りしてみないと誰も確定的なことは言えない。
寒沢宿〜大真名子山の区間で、唯一みつけた目印。この先、1919m峰に至る。
以後は、少なくとも私の通ったところには何の目印もみつけられなかった。
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6/5 9:37
寒沢宿〜大真名子山の区間で、唯一みつけた目印。この先、1919m峰に至る。
以後は、少なくとも私の通ったところには何の目印もみつけられなかった。
鬱蒼とした台地状の1919m峰を乗り越えると、次は、突き当たった深めの沢沿いをしばらく東進する。タカノス沢の支流のひとつだ。この右岸沿いに上流へと辿り、高低差が無くなったポイントでこの涸れ沢を横断するという方策だ。
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6/5 10:06
鬱蒼とした台地状の1919m峰を乗り越えると、次は、突き当たった深めの沢沿いをしばらく東進する。タカノス沢の支流のひとつだ。この右岸沿いに上流へと辿り、高低差が無くなったポイントでこの涸れ沢を横断するという方策だ。
タカノス沢との高低差が気にならなくなったところで、適当に斜面を下りていく。こっちは下流に向いて見たところ。
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6/5 10:45
タカノス沢との高低差が気にならなくなったところで、適当に斜面を下りていく。こっちは下流に向いて見たところ。
こっちは上流方向。この後、藪の急斜面を強引に乗り上げて〈夏峯〉のルート採りである北面稜線をダイレクトに登る。藪が濃くてキツイ坂が続くところで、時間ばかりかかったわりには、写真撮影している余裕がなかった。
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6/5 10:45
こっちは上流方向。この後、藪の急斜面を強引に乗り上げて〈夏峯〉のルート採りである北面稜線をダイレクトに登る。藪が濃くてキツイ坂が続くところで、時間ばかりかかったわりには、写真撮影している余裕がなかった。
バテバテで登り続けていくと、地形図にもある岩場に突き当たった。岩場というか、泥土の付いた急傾斜ポイントといった印象だ。湿った苔は剥がれる心配がある。樹々は登る手助けになるが、間違って朽ちて埋もれただけの枯れ枝を掴んでしまうと、すっぽ抜けて危険だ。
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6/5 11:27
バテバテで登り続けていくと、地形図にもある岩場に突き当たった。岩場というか、泥土の付いた急傾斜ポイントといった印象だ。湿った苔は剥がれる心配がある。樹々は登る手助けになるが、間違って朽ちて埋もれただけの枯れ枝を掴んでしまうと、すっぽ抜けて危険だ。
右手(西側)に巻けないかと、試しに偵察に行ってみる。しかしながら、厭らしいトラバースがこの先に待つことを予感して、引き返してしまった。左手も甘い期待はできない気がする。岩場の直登を決心した。
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6/5 11:29
右手(西側)に巻けないかと、試しに偵察に行ってみる。しかしながら、厭らしいトラバースがこの先に待つことを予感して、引き返してしまった。左手も甘い期待はできない気がする。岩場の直登を決心した。
なるべくクライミング状態にならないように、泥土と落葉が堆積した箇所を踏みしめることをメインに登り上げる。無事にクリアしたが、人によっては〈夏峯〉屈指の難所になるのかもしれない。私のように、クライミングや沢登りの手前の範疇でのみバリルートを愉しむ者にとっては。
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6/5 11:33
なるべくクライミング状態にならないように、泥土と落葉が堆積した箇所を踏みしめることをメインに登り上げる。無事にクリアしたが、人によっては〈夏峯〉屈指の難所になるのかもしれない。私のように、クライミングや沢登りの手前の範疇でのみバリルートを愉しむ者にとっては。
せっかく岩場を凌いだというのに、こんどは藪がガンガン濃くなって堅牢になる。避ける隙間が見出せない時は、低木を押し開いていくしかない。
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6/5 11:42
せっかく岩場を凌いだというのに、こんどは藪がガンガン濃くなって堅牢になる。避ける隙間が見出せない時は、低木を押し開いていくしかない。
いやいや、進まない進まない。酷い登山になってきた。大真名子山、おそるべし。
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6/5 11:47
いやいや、進まない進まない。酷い登山になってきた。大真名子山、おそるべし。
ラストスパートに見えるけれど、藪もエスカレート。やだもう。
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6/5 12:20
ラストスパートに見えるけれど、藪もエスカレート。やだもう。
藪による天井だ。枝を両手で掴み取り、腕の懸垂運動の勢いで頭から突破する。急いで足を藪の根もとに置く。この反復運動。たまに押し戻される。
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6/5 12:27
藪による天井だ。枝を両手で掴み取り、腕の懸垂運動の勢いで頭から突破する。急いで足を藪の根もとに置く。この反復運動。たまに押し戻される。
とりあえず抜けた。
西側に少し掻き分けてみると、展望スポットになっていた。
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6/5 12:29
とりあえず抜けた。
西側に少し掻き分けてみると、展望スポットになっていた。
三角点はすぐ近くにあった。が、山頂はこの南東にもうひと歩きだ。なんだか、まだ藪っぽいが。
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6/5 12:33
三角点はすぐ近くにあった。が、山頂はこの南東にもうひと歩きだ。なんだか、まだ藪っぽいが。
藪でした。
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6/5 12:35
藪でした。
一般登山道に合流!!!
ではなかった、大真名子山に登頂!
近世以後の勧請ムーブメントで奉納されたっぽい、本来の日光修験には関係の薄そうな権現像がある。いかにも外来種らしさがあり、良い悪いは別にして気の張っていた私を脱力させてくれた。
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6/5 12:47
一般登山道に合流!!!
ではなかった、大真名子山に登頂!
近世以後の勧請ムーブメントで奉納されたっぽい、本来の日光修験には関係の薄そうな権現像がある。いかにも外来種らしさがあり、良い悪いは別にして気の張っていた私を脱力させてくれた。
山頂の祠。秋の山岳修行〈五禅頂〉において、大真名子、小真名子、太郎、女峰、男体の五峰は登拝されてきた。その伝統の具現化した史跡ということになるのだろう。
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6/5 12:51
山頂の祠。秋の山岳修行〈五禅頂〉において、大真名子、小真名子、太郎、女峰、男体の五峰は登拝されてきた。その伝統の具現化した史跡ということになるのだろう。
一般登山道にて志津乗越に下山する。山頂直下には「日光三険」のひとつとなる岩場である「千鳥返し」(千鳥ナヒキ)がある。〈夏峯〉の時代には鎖は無かった。ここを下る前に山伏たちは、難所ノ文を読み上げ、孔雀明王印明を結んでから動いたという。
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6/5 12:58
一般登山道にて志津乗越に下山する。山頂直下には「日光三険」のひとつとなる岩場である「千鳥返し」(千鳥ナヒキ)がある。〈夏峯〉の時代には鎖は無かった。ここを下る前に山伏たちは、難所ノ文を読み上げ、孔雀明王印明を結んでから動いたという。
黄色と赤の日光マークに導かれる安心感よ。
志津までマイペースで下山していった。
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6/5 13:10
黄色と赤の日光マークに導かれる安心感よ。
志津までマイペースで下山していった。
下山。立派な八海山神像がある。
幕末〜明治期に流行った、有名霊山の勧請による地名や史跡が根付いているエリアだ。目に見える物事については、「中世以前の日光修験/近世以後の日光修験/他の信仰」、の3つの区別をまずは知ったうえで、差別なく各々に愉しく出会っていくのが、〈夏峯〉をやるにあたってお勧めのアティチュードな気がする。
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6/5 13:42
下山。立派な八海山神像がある。
幕末〜明治期に流行った、有名霊山の勧請による地名や史跡が根付いているエリアだ。目に見える物事については、「中世以前の日光修験/近世以後の日光修験/他の信仰」、の3つの区別をまずは知ったうえで、差別なく各々に愉しく出会っていくのが、〈夏峯〉をやるにあたってお勧めのアティチュードな気がする。
志津避難小屋に立ち寄る。
(本来の計画では、三日間のうち二日目はここに泊まるはずだった。)
布団があり、二階スペースもある。また、日光修験ゆかりの仏棚も設置してある。現代の山伏たちも利用する小屋のようだ。
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6/5 13:55
志津避難小屋に立ち寄る。
(本来の計画では、三日間のうち二日目はここに泊まるはずだった。)
布団があり、二階スペースもある。また、日光修験ゆかりの仏棚も設置してある。現代の山伏たちも利用する小屋のようだ。
避難小屋裏の水場。出ていないこともあるとか、あまり澄んでいないとか言われているが、〈夏峯〉を実現するにあたっては贅沢は言っていられない。出ていることを祈らずにいられない重要水場。今日現在は出ていた。
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6/5 13:57
避難小屋裏の水場。出ていないこともあるとか、あまり澄んでいないとか言われているが、〈夏峯〉を実現するにあたっては贅沢は言っていられない。出ていることを祈らずにいられない重要水場。今日現在は出ていた。
裏男体林道をすこし歩く。適当なところで笹原に踏み入る。古文書の記述に従って、大真名子山下山の後に霊場を訪ねるのだ。
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6/5 14:13
裏男体林道をすこし歩く。適当なところで笹原に踏み入る。古文書の記述に従って、大真名子山下山の後に霊場を訪ねるのだ。
歩くこと二百メートルほど。日光修験の根幹道場のひとつである大多和宿を発見した。
採燈護摩壇がまずは目をひく広場だ。林業の手もはいっているが、観光ガイドの類には決して紹介されることのない秘密めいた静けさが残されていた。
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6/5 14:20
歩くこと二百メートルほど。日光修験の根幹道場のひとつである大多和宿を発見した。
採燈護摩壇がまずは目をひく広場だ。林業の手もはいっているが、観光ガイドの類には決して紹介されることのない秘密めいた静けさが残されていた。
四基の石造物。詫び寂びをたたえながらも、壮観との印象を受けた。
ここ大多和宿は、山伏たちが留まり修行し、また男体山などに登拝するための拠点道場となった。深山之宿、寒沢宿、男嶽之宿などと並んで、日光修験史上における重要な霊場だ。
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6/5 14:21
四基の石造物。詫び寂びをたたえながらも、壮観との印象を受けた。
ここ大多和宿は、山伏たちが留まり修行し、また男体山などに登拝するための拠点道場となった。深山之宿、寒沢宿、男嶽之宿などと並んで、日光修験史上における重要な霊場だ。
〈夏峯〉が封印されてからずっと後の時代の石仏であろうが、それでも年季が入っている。普通のハイキングでは出会えないで終わる、この山域の裏番長といった存在感や威厳をはなっていた。
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6/5 14:23
〈夏峯〉が封印されてからずっと後の時代の石仏であろうが、それでも年季が入っている。普通のハイキングでは出会えないで終わる、この山域の裏番長といった存在感や威厳をはなっていた。
(ここからは7月3日の記録写真がしばらく続く)
ついに、ついに日光山の中心的存在である男体山に挑める。日光修験に関係が深く、古来の道である志津乗越からの志津コースによって登頂をめざす。中禅寺湖側の二荒山神社中宮祠コースよりも、もっと古い日光修験の伝統を感じさせる登山口だ。
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7/3 11:56
(ここからは7月3日の記録写真がしばらく続く)
ついに、ついに日光山の中心的存在である男体山に挑める。日光修験に関係が深く、古来の道である志津乗越からの志津コースによって登頂をめざす。中禅寺湖側の二荒山神社中宮祠コースよりも、もっと古い日光修験の伝統を感じさせる登山口だ。
無理のないペースで、誰もいない静かな登山道を歩む。三合目。あんな円錐状の山容をした男体山だ、普通に登るだけでも体力キラーな山だ。
志津避難小屋を使うのならば、防犯したうえでデポし、軽くするかアタックザックのみで男体山を往復するとよいだろう。
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7/3 12:14
無理のないペースで、誰もいない静かな登山道を歩む。三合目。あんな円錐状の山容をした男体山だ、普通に登るだけでも体力キラーな山だ。
志津避難小屋を使うのならば、防犯したうえでデポし、軽くするかアタックザックのみで男体山を往復するとよいだろう。
四合目。志津コースはややマイナールート化が進んでいる印象。印があるので迷うことはまず無いだろうが、倒木が何本かそのままだったり、雨水で浸食されてトレイルがえぐれまくっている。整備するにも限界があるのだろう。
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7/3 12:22
四合目。志津コースはややマイナールート化が進んでいる印象。印があるので迷うことはまず無いだろうが、倒木が何本かそのままだったり、雨水で浸食されてトレイルがえぐれまくっている。整備するにも限界があるのだろう。
こんな感じに。倒木を潜るのは難しいので、左側土手に乗り上げるしかない。
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7/3 12:29
こんな感じに。倒木を潜るのは難しいので、左側土手に乗り上げるしかない。
七合目の辺りからは薙を経由する場面が出てくる。地面の色が変わってくる。志津コースで男体山を登るのは初めてだが、楽しい。
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7/3 12:51
七合目の辺りからは薙を経由する場面が出てくる。地面の色が変わってくる。志津コースで男体山を登るのは初めてだが、楽しい。
八合目に到着。溶岩の山であることを男体山が強調してくる。
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7/3 13:06
八合目に到着。溶岩の山であることを男体山が強調してくる。
赤い世界になった。〈夏峯〉全般を見渡してみても、ここまで赤色の大地は他にはない。男体山が、山伏たちにとって、いやそうでなくても、特別な山であることを改めて心に留めた。
浄土を想起させる、異界的フィールドに入る。
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7/3 13:15
赤い世界になった。〈夏峯〉全般を見渡してみても、ここまで赤色の大地は他にはない。男体山が、山伏たちにとって、いやそうでなくても、特別な山であることを改めて心に留めた。
浄土を想起させる、異界的フィールドに入る。
山頂が見えてきた。日光開山の祖、勝道上人が十六年の修行を経た782年、三度目の挑戦でついに登頂した頂へ。
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7/3 13:31
山頂が見えてきた。日光開山の祖、勝道上人が十六年の修行を経た782年、三度目の挑戦でついに登頂した頂へ。
男体山に登頂。
ここはハイキングにおける山頂であり、同時に考古学的には「男体山頂遺跡」でもある。各時代各種の多数の遺物が発掘された。修験道ゆかりの宝具や器が多い。一般登山道から離れた斜面や、その露岩の隙間穴などにも奉納されていたという。山と人との関係は、想像以上に深い。山には無数の襞が畳み込まれている。
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7/3 13:40
男体山に登頂。
ここはハイキングにおける山頂であり、同時に考古学的には「男体山頂遺跡」でもある。各時代各種の多数の遺物が発掘された。修験道ゆかりの宝具や器が多い。一般登山道から離れた斜面や、その露岩の隙間穴などにも奉納されていたという。山と人との関係は、想像以上に深い。山には無数の襞が畳み込まれている。
古風にモノクロで撮ってみた。登頂やったぜ☆
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7/3 13:57
古風にモノクロで撮ってみた。登頂やったぜ☆
さて、ここからが現代ハイカー視点から見たら不条理な行程となる。山頂から、いちど中禅寺湖側を八合目まで下りなければならないのが〈夏峯〉なのだ。その後、再び引き返して二度目の男体山登頂。それからようやく、往路であった志津側をつかって下山が許される。
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7/3 14:04
さて、ここからが現代ハイカー視点から見たら不条理な行程となる。山頂から、いちど中禅寺湖側を八合目まで下りなければならないのが〈夏峯〉なのだ。その後、再び引き返して二度目の男体山登頂。それからようやく、往路であった志津側をつかって下山が許される。
中禅寺コースのほうの八合目まで来た。普通に険しい下山路だった。ここからまた登頂すると考えると、精神的に参りそうだ。八合目には瀧尾神社が祀られている。ここはかつて岩しか無くて、弁ノ石と名付けられた礼拝所だった。〈夏峯〉一行の目的はここにある。
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7/3 14:22
中禅寺コースのほうの八合目まで来た。普通に険しい下山路だった。ここからまた登頂すると考えると、精神的に参りそうだ。八合目には瀧尾神社が祀られている。ここはかつて岩しか無くて、弁ノ石と名付けられた礼拝所だった。〈夏峯〉一行の目的はここにある。
弁ノ石に守られた、後年に建立の瀧尾神社。鎖があるが、現在の整備されたルートではこれを使う必要がないように巻き道がある。古いルートは鎖がある方だろう。
さてさて、ようやく山頂経由で志津登山口に下山ができる。
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7/3 14:21
弁ノ石に守られた、後年に建立の瀧尾神社。鎖があるが、現在の整備されたルートではこれを使う必要がないように巻き道がある。古いルートは鎖がある方だろう。
さてさて、ようやく山頂経由で志津登山口に下山ができる。
志津避難小屋に到着。綺麗で堅牢そうだし、スペース多数で広く、布団もあるしで、〈夏峯〉を実践するには有用な山小屋となるだろう。
(本来の計画通りであれば、是非泊まってみたかったです)
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6/5 13:54
志津避難小屋に到着。綺麗で堅牢そうだし、スペース多数で広く、布団もあるしで、〈夏峯〉を実践するには有用な山小屋となるだろう。
(本来の計画通りであれば、是非泊まってみたかったです)
次は、志津林道をひたすら歩くばかりのターンだ。
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7/3 11:44
次は、志津林道をひたすら歩くばかりのターンだ。
志津避難小屋の近くにある大多和宿を発った〈夏峯〉一行は、長い寄り道をしている。御沢金剛峡という渓谷美を見聞に、わざわざ向かうのだ。先を急ぎたい私のような現代ハイカーにとっては、大きなタイムロスと体力消費となる距離だが、黙々と古文書に従うこともまた私の流儀だ。はるばると裏男体林道の坂道を歩み、現在の梵字飯場跡駐車スペース辺りまで出向いた。
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7/3 9:51
志津避難小屋の近くにある大多和宿を発った〈夏峯〉一行は、長い寄り道をしている。御沢金剛峡という渓谷美を見聞に、わざわざ向かうのだ。先を急ぎたい私のような現代ハイカーにとっては、大きなタイムロスと体力消費となる距離だが、黙々と古文書に従うこともまた私の流儀だ。はるばると裏男体林道の坂道を歩み、現在の梵字飯場跡駐車スペース辺りまで出向いた。
林道分岐点から奥へ進み、南舟沢という名のマイナーな沢に取り付く。おおむね、この沢を渡渉しつつ沿うようにして、御沢に入渓する。梵字滝という滝を直接下降するが、過去の文献からは信じられないぐらい高低差のない小規模の滝になっている。
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7/3 9:59
林道分岐点から奥へ進み、南舟沢という名のマイナーな沢に取り付く。おおむね、この沢を渡渉しつつ沿うようにして、御沢に入渓する。梵字滝という滝を直接下降するが、過去の文献からは信じられないぐらい高低差のない小規模の滝になっている。
御沢金剛峡の下流方向を見る。治山・治水事業によって水系が変化したのだろうか、現在ではほぼ渓流的な水流は失われている。
蛇足だが、この沢沿いを歩いて上流に向かうのが、かつての太郎山登山口へのアクセス方法だった。昭和18年、山と渓谷社発行『奥日光』には、その進んだ先に太郎山登山口の指導票があることがガイドされているそうだ。
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7/3 10:07
御沢金剛峡の下流方向を見る。治山・治水事業によって水系が変化したのだろうか、現在ではほぼ渓流的な水流は失われている。
蛇足だが、この沢沿いを歩いて上流に向かうのが、かつての太郎山登山口へのアクセス方法だった。昭和18年、山と渓谷社発行『奥日光』には、その進んだ先に太郎山登山口の指導票があることがガイドされているそうだ。
上流方向。おそらく〈夏峯〉一行は、裏男体林道が当然存在しない時代、この沢沿いを辿ることによって、道迷いや飲料水切れになることなく次なる目的地の入口まで至っている。
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7/3 10:08
上流方向。おそらく〈夏峯〉一行は、裏男体林道が当然存在しない時代、この沢沿いを辿ることによって、道迷いや飲料水切れになることなく次なる目的地の入口まで至っている。
現在では御沢の渓相は、涸れ沢であることをメインに、たまに伏流から出た水が現れる程度になっている。ここより上流はコンクリート堰堤が連続し、見事に砂防として機能しているという。ならば当然の水系変化か。
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7/3 10:09
現在では御沢の渓相は、涸れ沢であることをメインに、たまに伏流から出た水が現れる程度になっている。ここより上流はコンクリート堰堤が連続し、見事に砂防として機能しているという。ならば当然の水系変化か。
いずれにしても御沢金剛峡を見聞できて本望だ。
なお、このあたり一帯は宇都宮大学演習林という私有地だ。樹木に触らない、またごく僅かではあるが人工物に触れないということを原則にして、意義をもって探訪させていただいた。
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7/3 10:17
いずれにしても御沢金剛峡を見聞できて本望だ。
なお、このあたり一帯は宇都宮大学演習林という私有地だ。樹木に触らない、またごく僅かではあるが人工物に触れないということを原則にして、意義をもって探訪させていただいた。
御沢金剛峡へのアクセスは、素直に裏男体林道を往復することを選んだ。山伏たちが沢をへつって往復したとは、とても思えないし、堰堤をヒヤヒヤしながら登下降巻きを繰り返す、奇妙なアクティビティをする必要もないだろう。
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7/3 11:06
御沢金剛峡へのアクセスは、素直に裏男体林道を往復することを選んだ。山伏たちが沢をへつって往復したとは、とても思えないし、堰堤をヒヤヒヤしながら登下降巻きを繰り返す、奇妙なアクティビティをする必要もないだろう。
(ここからは7月10日の記録写真がしばらく続きます)
林道の志津と太郎山との分岐点から、太郎山側に進む。途中で軽石沢という沢名の刻まれた堰堤を見たら、この辺りが次なる登山道への入口だ。小真名子山をめざす。
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7/10 7:17
(ここからは7月10日の記録写真がしばらく続きます)
林道の志津と太郎山との分岐点から、太郎山側に進む。途中で軽石沢という沢名の刻まれた堰堤を見たら、この辺りが次なる登山道への入口だ。小真名子山をめざす。
この人工物を横目に、笹薮に踏み入っていった。まずは、小真名子山をめざす前に、中継拠点である寒沢宿に帰らなければならない。
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7/10 7:19
この人工物を横目に、笹薮に踏み入っていった。まずは、小真名子山をめざす前に、中継拠点である寒沢宿に帰らなければならない。
このあたりはフミアトが見出せず、多少の藪をこなしながら右往左往して奥まってゆく。
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7/10 7:33
このあたりはフミアトが見出せず、多少の藪をこなしながら右往左往して奥まってゆく。
雨後で湿った土に、最近のものだろうか、確かなフミアトがあるのに合流した。
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7/10 7:37
雨後で湿った土に、最近のものだろうか、確かなフミアトがあるのに合流した。
空を見上げられる、平坦な広場に出た。飯場の跡ではないかとも言われているポイントだ。ここから本格的に古道を辿って寒沢宿に接近することになる。
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7/10 7:45
空を見上げられる、平坦な広場に出た。飯場の跡ではないかとも言われているポイントだ。ここから本格的に古道を辿って寒沢宿に接近することになる。
フミアトはある。野門古道跡だ。野門(のかど)は、現在の日光市北部にある旧栗山村の集落の一つだ。
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7/10 7:47
フミアトはある。野門古道跡だ。野門(のかど)は、現在の日光市北部にある旧栗山村の集落の一つだ。
野門集落の村民信者たちは、野門古道を辿って、富士見峠経由で日光の社寺へと往来したり、あるいは男体山への登拝に向かったと思われる。今、私が歩いているのは男体山禅頂のための古道の一部ということになるのだろうか。
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7/10 7:53
野門集落の村民信者たちは、野門古道を辿って、富士見峠経由で日光の社寺へと往来したり、あるいは男体山への登拝に向かったと思われる。今、私が歩いているのは男体山禅頂のための古道の一部ということになるのだろうか。
山好きな人たちが歩くこともあるのだろうか、ピンクテープなどの目印もある程度ある。風化、劣化して取れ落ちそうなものも多いが。
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7/10 8:00
山好きな人たちが歩くこともあるのだろうか、ピンクテープなどの目印もある程度ある。風化、劣化して取れ落ちそうなものも多いが。
古道は、地味な涸れ沢地形がおりなす凹凸を横断することも多く、フミアトの向かう先に不安になることがあるが、目印があるおかげで時間を喰われることもなくガンガン進めたというのが、率直な感想だ。
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7/10 8:09
古道は、地味な涸れ沢地形がおりなす凹凸を横断することも多く、フミアトの向かう先に不安になることがあるが、目印があるおかげで時間を喰われることもなくガンガン進めたというのが、率直な感想だ。
うんうん、ここは登り上げて、そしてまた下るんだな。
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7/10 8:21
うんうん、ここは登り上げて、そしてまた下るんだな。
沢の近くをぐるっとトラバースぎみになぞる古道跡トレイル。
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7/10 8:22
沢の近くをぐるっとトラバースぎみになぞる古道跡トレイル。
古道もだいぶ北部まで到達すると、もう沢なんだかそうでないんだか判別できない曖昧地形になり、同時にフミアトも薄れてくる。フミアトを外れたり、また合流したりを繰り返しつつ、それでも寒沢宿には着実に近づいていた。
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7/10 8:42
古道もだいぶ北部まで到達すると、もう沢なんだかそうでないんだか判別できない曖昧地形になり、同時にフミアトも薄れてくる。フミアトを外れたり、また合流したりを繰り返しつつ、それでも寒沢宿には着実に近づいていた。
寒沢宿に帰還した。
あいかわらず静謐な広場で、平安なアジールを想わせる。今日は前回以上に好天で、木漏れ日がユートピア感を助長させていた。
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7/10 8:52
寒沢宿に帰還した。
あいかわらず静謐な広場で、平安なアジールを想わせる。今日は前回以上に好天で、木漏れ日がユートピア感を助長させていた。
石造物も健在。けれど薄くてフラジャイルな造りの不動明王立像は、またいつ倒れるか心もとない。
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7/10 8:53
石造物も健在。けれど薄くてフラジャイルな造りの不動明王立像は、またいつ倒れるか心もとない。
令和元年の碑伝。
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7/10 8:54
令和元年の碑伝。
ここ寒沢宿は、もし何か進捗の悪くなる事態になったらハンモック泊ビバークの可能性もあったポイントだ。これらの史跡から相当の距離をとること等を配慮すれば、良いモックポイントにはなりえただろう。
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7/10 8:55
ここ寒沢宿は、もし何か進捗の悪くなる事態になったらハンモック泊ビバークの可能性もあったポイントだ。これらの史跡から相当の距離をとること等を配慮すれば、良いモックポイントにはなりえただろう。
さあ、小真名子山への単体登拝に向かおう。
大真名子山の時と似ていて、のっけからフミアトや目印の気配無し。
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7/10 9:04
さあ、小真名子山への単体登拝に向かおう。
大真名子山の時と似ていて、のっけからフミアトや目印の気配無し。
北面稜線からの修験道独自ルートを採るという点でも、大真名子と小真名子は似通っている。
尾根筋?を進むべきか、涸れ沢?を進むべきか。なんだかぐちゃぐちゃな地形の斜面だ。どちらにも行ったり来たりして、適当に標高を稼いでいる。
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7/10 9:04
北面稜線からの修験道独自ルートを採るという点でも、大真名子と小真名子は似通っている。
尾根筋?を進むべきか、涸れ沢?を進むべきか。なんだかぐちゃぐちゃな地形の斜面だ。どちらにも行ったり来たりして、適当に標高を稼いでいる。
路面状況。といっても雑然としているだけで、なんの有用情報も読み取れない。こんなのが続く。
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7/10 9:13
路面状況。といっても雑然としているだけで、なんの有用情報も読み取れない。こんなのが続く。
大真名子山と同じようなペースで、藪の濃度がせまってきていて、行き先が思いやられている。
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7/10 9:18
大真名子山と同じようなペースで、藪の濃度がせまってきていて、行き先が思いやられている。
一斗缶、かな。こんなやつ大真名子山の方でも同じように見た気がする。既視感。
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7/10 9:21
一斗缶、かな。こんなやつ大真名子山の方でも同じように見た気がする。既視感。
いや、こんな丸っこいオイル缶のほうは初出か。
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7/10 9:22
いや、こんな丸っこいオイル缶のほうは初出か。
おいおい、こんな進路で本当にあっているのか。(マジで確証が感じられない)
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7/10 9:39
おいおい、こんな進路で本当にあっているのか。(マジで確証が感じられない)
プチ展望スポット。シャクナゲは藪としては最悪部類の一種だが、その花は好きだ。
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7/10 9:49
プチ展望スポット。シャクナゲは藪としては最悪部類の一種だが、その花は好きだ。
コメント不能。写真そのままな感じ。
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7/10 10:24
コメント不能。写真そのままな感じ。
コメント不能。特に言えることがない。確実にツライ行程であることだけは確か。
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7/10 10:26
コメント不能。特に言えることがない。確実にツライ行程であることだけは確か。
過去のヤマレコ記録を参考にすると、途中から沢筋ルートを選ぶ人と、その右岸あたりの小尾根ルートを選ぶ人に分かれるようだ。私は小尾根を行く。寒沢宿〜小真名子山の区間で唯一の赤いテープ印がこちらにはあった。
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7/10 10:28
過去のヤマレコ記録を参考にすると、途中から沢筋ルートを選ぶ人と、その右岸あたりの小尾根ルートを選ぶ人に分かれるようだ。私は小尾根を行く。寒沢宿〜小真名子山の区間で唯一の赤いテープ印がこちらにはあった。
まず、人が入ることは皆無であろうこの斜面には、ギンリョウソウが繁茂していた。ムーミンのニョロニョロみたいな数だ。
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7/10 10:31
まず、人が入ることは皆無であろうこの斜面には、ギンリョウソウが繁茂していた。ムーミンのニョロニョロみたいな数だ。
藪はまあ、躱せる程度になってきた気がするが、今度は急斜面だ。九十九折りで心拍数上昇と疲労をなんとか抑える。上を見て、正しい方角をざっくりターゲッティングしたら、あとは下を向いて目的の焦点まで黙々と歩く。この繰り返し。
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7/10 10:35
藪はまあ、躱せる程度になってきた気がするが、今度は急斜面だ。九十九折りで心拍数上昇と疲労をなんとか抑える。上を見て、正しい方角をざっくりターゲッティングしたら、あとは下を向いて目的の焦点まで黙々と歩く。この繰り返し。
そしてついに、急斜面+激藪に。
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7/10 10:38
そしてついに、急斜面+激藪に。
さらにお次は、大真名子山と酷似したフワフワ系岩場が、ここ小真名子山にも立ちはだかった。大真名子さんと小真名子さん。日光連山ファミリーの姉妹。なにもかもが似すぎていた。
(岩場クリア方法は、大真名子山を参照)
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7/10 10:55
さらにお次は、大真名子山と酷似したフワフワ系岩場が、ここ小真名子山にも立ちはだかった。大真名子さんと小真名子さん。日光連山ファミリーの姉妹。なにもかもが似すぎていた。
(岩場クリア方法は、大真名子山を参照)
二つの山で異なるのは、小真名子山の方には金剛堂(石祠)が秘められていることだ。急峻な岩屋に隠されるように、謎の史跡は実在している。時代不明。詳細不明。
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7/10 11:07
二つの山で異なるのは、小真名子山の方には金剛堂(石祠)が秘められていることだ。急峻な岩屋に隠されるように、謎の史跡は実在している。時代不明。詳細不明。
謎ではあるが、こんな辺鄙なポイントにあるという事実が、それが日光修験に関係のある史跡であることを力強く伝えていた。
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7/10 11:07
謎ではあるが、こんな辺鄙なポイントにあるという事実が、それが日光修験に関係のある史跡であることを力強く伝えていた。
岩場クリア後、再び藪に苦しむのも大真名子と同じだ。地味な展望スポットがあることも、また同じ。
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7/10 11:16
岩場クリア後、再び藪に苦しむのも大真名子と同じだ。地味な展望スポットがあることも、また同じ。
ここまでしんどい行程だった・・・
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7/10 11:17
ここまでしんどい行程だった・・・
シャクナゲめ。(綺麗ではある)
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7/10 11:18
シャクナゲめ。(綺麗ではある)
この後、登山歴における過去最悪の藪にもがく。
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7/10 11:32
この後、登山歴における過去最悪の藪にもがく。
なにもコメント文、書きたくない。この風景から何を言えるというのか。溜息をつき、襟元やザックの隙間に溜まった細かい落葉を払い出して気を取り直し、どうにかお相撲を続けた。
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7/10 11:37
なにもコメント文、書きたくない。この風景から何を言えるというのか。溜息をつき、襟元やザックの隙間に溜まった細かい落葉を払い出して気を取り直し、どうにかお相撲を続けた。
ちょっと薙っぽい、樹木の薄いところに合流した。もしかしたらこの薙コースみたいな上手いルート採りもあったのかもしれない。後の祭りで、確かめようもないけれど。
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7/10 11:46
ちょっと薙っぽい、樹木の薄いところに合流した。もしかしたらこの薙コースみたいな上手いルート採りもあったのかもしれない。後の祭りで、確かめようもないけれど。
電波反射板の建つ小真名子山に、力任せに突き抜け登った。
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7/10 11:46
電波反射板の建つ小真名子山に、力任せに突き抜け登った。
女峰山方面に雲がかかりつつある。
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7/10 11:49
女峰山方面に雲がかかりつつある。
小真名子山に登頂。
今回北面稜線から登ってみて、なんだよその正体はほぼ藪山じゃないかと分ったけれど、標高の方はしっかり2300以上もあるのだった。
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7/10 12:02
小真名子山に登頂。
今回北面稜線から登ってみて、なんだよその正体はほぼ藪山じゃないかと分ったけれど、標高の方はしっかり2300以上もあるのだった。
この山頂石祠には立派に銅扉が付いていた。
(さて、ここまでが6〜7月の日帰り登山の集積であるルート案内だ。これで前白根山〜小真名子山までの〈夏峯〉が繋がった。)
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7/10 12:02
この山頂石祠には立派に銅扉が付いていた。
(さて、ここまでが6〜7月の日帰り登山の集積であるルート案内だ。これで前白根山〜小真名子山までの〈夏峯〉が繋がった。)
7月23日、午前3時。
おとといの致命的敗退の翌々日。起死回生のリベンジのために戦場ヶ原・三本松から入山する。〈夏峯〉の残りの未踏10%をこの一日で歩ききる。
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7/23 3:04
7月23日、午前3時。
おとといの致命的敗退の翌々日。起死回生のリベンジのために戦場ヶ原・三本松から入山する。〈夏峯〉の残りの未踏10%をこの一日で歩ききる。
長い長い林道歩き。巨大ナメクジを照らしたりしつつ、黙々と先へ行く。内心では残り行程を全て歩ききるための、時間配分と体力配分、そして終バスの時間とのサジ加減を常に計算している。
おとといエスケープも含めて16時間行動を足に強いたばかりだから、そりゃあ「慎重に急ぐ」。
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7/23 3:52
長い長い林道歩き。巨大ナメクジを照らしたりしつつ、黙々と先へ行く。内心では残り行程を全て歩ききるための、時間配分と体力配分、そして終バスの時間とのサジ加減を常に計算している。
おとといエスケープも含めて16時間行動を足に強いたばかりだから、そりゃあ「慎重に急ぐ」。
朝7時頃、まずは大真名子山に登頂。まだまだ先へ。
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7/23 7:01
朝7時頃、まずは大真名子山に登頂。まだまだ先へ。
8時20分、ようやくスタート地点である小真名子山に立った。
ここから夢の続きは始まる。スルーハイクの定義は、コース距離などによって揺らぎはあるのだろうが、多くの場合は季節内でセクションハイクを重ねてゴールすることを指す。私もそれを完遂しようとしている。
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7/23 8:21
8時20分、ようやくスタート地点である小真名子山に立った。
ここから夢の続きは始まる。スルーハイクの定義は、コース距離などによって揺らぎはあるのだろうが、多くの場合は季節内でセクションハイクを重ねてゴールすることを指す。私もそれを完遂しようとしている。
天気は現状、悪くはない。富士見峠へ向かう。この区間を歩くのは、実は初めてだ。
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7/23 8:21
天気は現状、悪くはない。富士見峠へ向かう。この区間を歩くのは、実は初めてだ。
落石を起こしそうなガレ場なので、慎重に下りる。峠まではけっこうな急下降だ。この登山道を使う人数は、いろいろな要素からして少なめだろう。
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7/23 8:44
落石を起こしそうなガレ場なので、慎重に下りる。峠まではけっこうな急下降だ。この登山道を使う人数は、いろいろな要素からして少なめだろう。
女峰山へ向かうが、雲に隠れていてその前衛峰である帝釈山しか今は見えない。午後には降雨する予報だが、女峰山はガスガスになるのだろうか。
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7/23 8:55
女峰山へ向かうが、雲に隠れていてその前衛峰である帝釈山しか今は見えない。午後には降雨する予報だが、女峰山はガスガスになるのだろうか。
ガレ場を下り切った。歩いてきた斜面を振り返ると、こんな感じ。
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7/23 9:03
ガレ場を下り切った。歩いてきた斜面を振り返ると、こんな感じ。
しばし樹林帯を歩むと、平坦なムードを感じ取った。
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7/23 9:08
しばし樹林帯を歩むと、平坦なムードを感じ取った。
富士見峠に下り立った。
ここは修験道における専女ノ宿であると比定される。また、交通の要衝である見事な十字路だ。
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7/23 9:09
富士見峠に下り立った。
ここは修験道における専女ノ宿であると比定される。また、交通の要衝である見事な十字路だ。
この地点はもはや林道とは思えないが、いちおう林道の終点であると表示されていた。南方向への道は日光市街地に抜ける林道に確かに繋がっている。
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7/23 9:09
この地点はもはや林道とは思えないが、いちおう林道の終点であると表示されていた。南方向への道は日光市街地に抜ける林道に確かに繋がっている。
でこぼこ。
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7/23 9:09
でこぼこ。
北は旧栗山村の野門集落への往還古道だ。いつか歩いてみたいルートである。
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7/23 9:10
北は旧栗山村の野門集落への往還古道だ。いつか歩いてみたいルートである。
日光修験の碑伝がここにも奉じられていた。
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7/23 9:10
日光修験の碑伝がここにも奉じられていた。
「惣禅頂」とは、秋の山岳修行「五禅頂」が近世以後にやや簡略化・短縮されたバージョンを名指す。それでも十分に厳格な修練であると思う。
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7/23 9:11
「惣禅頂」とは、秋の山岳修行「五禅頂」が近世以後にやや簡略化・短縮されたバージョンを名指す。それでも十分に厳格な修練であると思う。
ここから東へ、帝釈山までの登りは手ごわい。距離が長く、地図には等高線がびっしりだ。
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7/23 9:31
ここから東へ、帝釈山までの登りは手ごわい。距離が長く、地図には等高線がびっしりだ。
無心になって歩きたいが、大きな何かの羽虫がエンドレスで追いかけてきてツライ。天気は保つだろうかと心配になるが、無駄に急ぐことはできない。足のほうを保たせつつ、しかし時間内にはゴールする精度で歩くのだ。
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7/23 9:40
無心になって歩きたいが、大きな何かの羽虫がエンドレスで追いかけてきてツライ。天気は保つだろうかと心配になるが、無駄に急ぐことはできない。足のほうを保たせつつ、しかし時間内にはゴールする精度で歩くのだ。
日光の亜高山帯らしい赤みが出てきた。黙々と登る。
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7/23 10:10
日光の亜高山帯らしい赤みが出てきた。黙々と登る。
好展望の帝釈山に着いた。持続するガチな登りはここまでだ。
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7/23 10:16
好展望の帝釈山に着いた。持続するガチな登りはここまでだ。
稜線を進む。女峰山のトップはかろうじて見える。
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7/23 10:29
稜線を進む。女峰山のトップはかろうじて見える。
専女山。前述の専女ノ宿とも関連がありそうな山名だ。
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7/23 10:33
専女山。前述の専女ノ宿とも関連がありそうな山名だ。
ここまで至ると、〈夏峯〉120kmの山路もいよいよ終盤戦に入ろうとしているのだな、という感慨がある。
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7/23 10:39
ここまで至ると、〈夏峯〉120kmの山路もいよいよ終盤戦に入ろうとしているのだな、という感慨がある。
女峰山の西面だ。
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7/23 10:50
女峰山の西面だ。
ラストスパートの岩場。まだ僅かだけれど、青空は残っている。
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7/23 10:52
ラストスパートの岩場。まだ僅かだけれど、青空は残っている。
女峰山2483m
室町時代最難関の道〈夏峯〉における、最後の大ピークに登頂した。
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7/23 11:05
女峰山2483m
室町時代最難関の道〈夏峯〉における、最後の大ピークに登頂した。
山頂看板を抱擁する。
挫折もあったけれど、希望は繋がった。トンボたちが舞い踊る山頂だった。
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7/23 11:06
山頂看板を抱擁する。
挫折もあったけれど、希望は繋がった。トンボたちが舞い踊る山頂だった。
唐沢避難小屋、修験道ゆかりの旧・唐沢宿に下りた。
ここから長い黒岩尾根で日光市街地に下山するのだが、実は〈夏峯〉ならではの仕事がまだいくつかある。古文書の巡礼ポイントを時間が許すかぎり訪れながら下山してみよう。
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7/23 11:39
唐沢避難小屋、修験道ゆかりの旧・唐沢宿に下りた。
ここから長い黒岩尾根で日光市街地に下山するのだが、実は〈夏峯〉ならではの仕事がまだいくつかある。古文書の巡礼ポイントを時間が許すかぎり訪れながら下山してみよう。
竜巻山の手前あたりから、登山道左手の斜面に乗るようにUターンしていく。バリルートによる山頂、前女峰に最後の最後のピークハントに向かうのだ。
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7/23 11:57
竜巻山の手前あたりから、登山道左手の斜面に乗るようにUターンしていく。バリルートによる山頂、前女峰に最後の最後のピークハントに向かうのだ。
前女峰に至る細尾根に乗った。ガスっぽいからよくわからないが、右手には脆い岩場が切れ落ちていて、深い渓谷を見下ろす場所のはずだ。
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7/23 11:58
前女峰に至る細尾根に乗った。ガスっぽいからよくわからないが、右手には脆い岩場が切れ落ちていて、深い渓谷を見下ろす場所のはずだ。
フミアトは途切れ途切れにある。物好きな人が歩くことがあるのだろう。
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7/23 12:02
フミアトは途切れ途切れにある。物好きな人が歩くことがあるのだろう。
崩落跡だろう。今日はどうせ景色も無いし、あまり右手(東面)の斜面には近づかないよう、距離をとったルート採りをして登ろう。
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7/23 12:09
崩落跡だろう。今日はどうせ景色も無いし、あまり右手(東面)の斜面には近づかないよう、距離をとったルート採りをして登ろう。
藪はところどころある。〈夏峯〉は最後まで藪と共にある。
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7/23 12:15
藪はところどころある。〈夏峯〉は最後まで藪と共にある。
雨はまだ降らないで、天気はもっている。それだけでもよかった。
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7/23 12:21
雨はまだ降らないで、天気はもっている。それだけでもよかった。
うーん、藪突破は免れない。
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7/23 12:25
うーん、藪突破は免れない。
ゴールが近いと感じる。女峰山が見える。
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7/23 12:26
ゴールが近いと感じる。女峰山が見える。
前女峰(錫杖嶽)、登頂。
山伏たちが女峰山と対峙して、祈祷をささげた礼拝所だ。ケルンが積んであるだけだが、山容は捉えられた。時間と体力を割いて来た甲斐があった。
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7/23 12:26
前女峰(錫杖嶽)、登頂。
山伏たちが女峰山と対峙して、祈祷をささげた礼拝所だ。ケルンが積んであるだけだが、山容は捉えられた。時間と体力を割いて来た甲斐があった。
山伏たちは往路の細尾根をピストンしたかもしれないが、私は安全第一で西斜面を辿る。フミアトはあるが、やや錯綜していてミスリードもある感じ。
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7/23 12:35
山伏たちは往路の細尾根をピストンしたかもしれないが、私は安全第一で西斜面を辿る。フミアトはあるが、やや錯綜していてミスリードもある感じ。
緩やかな斜度で、特に危険は感じない。歩いていれば、いつか一般登山道のどこかに合流するだろう。
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7/23 12:42
緩やかな斜度で、特に危険は感じない。歩いていれば、いつか一般登山道のどこかに合流するだろう。
涸れ沢を横断する一般登山道に復帰した。もうピークハントは完全に終わった。残りは下山と史跡探索だけに集中できる。
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7/23 12:49
涸れ沢を横断する一般登山道に復帰した。もうピークハントは完全に終わった。残りは下山と史跡探索だけに集中できる。
黒岩尾根の箱石金剛という地点。
ここで雨が降ってきた。笹薮漕ぎする場面もあるはずなので、上下レインウェアを一応着ておく。
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7/23 13:08
黒岩尾根の箱石金剛という地点。
ここで雨が降ってきた。笹薮漕ぎする場面もあるはずなので、上下レインウェアを一応着ておく。
黒岩尾根は女峰山登山におけるマイナー系ルートの一つ。また修験道ゆかりのクラシックルートである。この日は軽装のスカイランナーやトレランスタイルの登山者がほとんどを占めていた。ちょうどよく鍛えられるルートなのだろう。
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7/23 13:09
黒岩尾根は女峰山登山におけるマイナー系ルートの一つ。また修験道ゆかりのクラシックルートである。この日は軽装のスカイランナーやトレランスタイルの登山者がほとんどを占めていた。ちょうどよく鍛えられるルートなのだろう。
奥日光らしい笹原が広がりはじめた。
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7/23 13:21
奥日光らしい笹原が広がりはじめた。
遥拝石。
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7/23 13:45
遥拝石。
ひと登りすると黒岩だ。
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7/23 13:48
ひと登りすると黒岩だ。
雨は降ったり止んだりだ。麓のほうは天気が安定していそうだ。
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7/23 13:55
雨は降ったり止んだりだ。麓のほうは天気が安定していそうだ。
八風。雨が止み、標高が下がるとともに蒸し暑くなってきたが、この後の探索のために不用意にレインウェアは片付けられない。
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7/23 14:04
八風。雨が止み、標高が下がるとともに蒸し暑くなってきたが、この後の探索のために不用意にレインウェアは片付けられない。
徐々に笹が生長していく。黒岩尾根は基本的にこの植生だ。
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7/23 14:11
徐々に笹が生長していく。黒岩尾根は基本的にこの植生だ。
草露に濡れた高い笹薮。びしょびしょに。
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7/23 14:30
草露に濡れた高い笹薮。びしょびしょに。
登山道を外れて、笹薮を平泳ぎする。進んだ先には狙った通り、史跡が隠されていた。石祠だ。
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7/23 14:38
登山道を外れて、笹薮を平泳ぎする。進んだ先には狙った通り、史跡が隠されていた。石祠だ。
石段の上、宇賀神の祠か。中世以後の現世利益・民間信仰の切実さが具現化したものだろうか。
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7/23 14:39
石段の上、宇賀神の祠か。中世以後の現世利益・民間信仰の切実さが具現化したものだろうか。
碑伝の木札らしきものが垣間見えた。
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7/23 14:39
碑伝の木札らしきものが垣間見えた。
水呑。ここも〈夏峯〉当時から法施を行うポイントとして、修行の場だったようだ。石柱は江戸期の奉納であると考えられている。
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7/23 14:41
水呑。ここも〈夏峯〉当時から法施を行うポイントとして、修行の場だったようだ。石柱は江戸期の奉納であると考えられている。
日光市内が俯瞰できる。だがそこに至るまでには遥かに笹の草原帯が伸びる。
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7/23 14:51
日光市内が俯瞰できる。だがそこに至るまでには遥かに笹の草原帯が伸びる。
ここで再び登山道を外れて、しばらくの平泳ぎ。彷徨うように掻き分けていく。
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7/23 14:58
ここで再び登山道を外れて、しばらくの平泳ぎ。彷徨うように掻き分けていく。
巨岩が突然あらわれた。礼拝所のひとつ寂光石ではないかと推定されるものだ。自然崇拝的な修験道では、こういった自然石の石鉢を信仰の対象とする習慣がある。古い登山道はここを通過するように踏まれていたのかもしれない。現代ハイカーの視点だけでは見落としてしまうポイントだろう。
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7/23 15:00
巨岩が突然あらわれた。礼拝所のひとつ寂光石ではないかと推定されるものだ。自然崇拝的な修験道では、こういった自然石の石鉢を信仰の対象とする習慣がある。古い登山道はここを通過するように踏まれていたのかもしれない。現代ハイカーの視点だけでは見落としてしまうポイントだろう。
長い黒岩尾根だが、だいぶ下ってきたようだ。稚児ヶ墓に着いた。石仏などが備えられてある。
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7/23 15:18
長い黒岩尾根だが、だいぶ下ってきたようだ。稚児ヶ墓に着いた。石仏などが備えられてある。
次は道なりに下山すると殺生禁断境石なのだが、ここでまた登山道を外れた寄り道探索をする。実は“もうひとつの”殺生禁断境石がこの尾根には秘められているという。
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7/23 15:38
次は道なりに下山すると殺生禁断境石なのだが、ここでまた登山道を外れた寄り道探索をする。実は“もうひとつの”殺生禁断境石がこの尾根には秘められているという。
枝を潜り抜けるようにして東へ侵攻する。
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7/23 15:40
枝を潜り抜けるようにして東へ侵攻する。
笹薮をキョロキョロ見渡す。この近くのどこかにあるはずだ。
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7/23 15:44
笹薮をキョロキョロ見渡す。この近くのどこかにあるはずだ。
あった。もうひとつの殺生禁断境石の碑だ。なぜここにあるのか、その意図は知らない。が、かなり大きな石柱だ。人知れず建っていた。引き返そう。
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7/23 15:47
あった。もうひとつの殺生禁断境石の碑だ。なぜここにあるのか、その意図は知らない。が、かなり大きな石柱だ。人知れず建っていた。引き返そう。
こちらは登山道にある第一の殺生禁断境石。黒岩尾根は以前にも日帰りピストンしたことはあるので、久しぶりだなと思う。けれど当時とは私のこういうものを見る目も、少しは変容したような気がする。
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7/23 15:55
こちらは登山道にある第一の殺生禁断境石。黒岩尾根は以前にも日帰りピストンしたことはあるので、久しぶりだなと思う。けれど当時とは私のこういうものを見る目も、少しは変容したような気がする。
登山道を外れるのも、これがラストだ。〈夏峯〉最後の宿場跡である一之宿の残像を追いに行く。
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7/23 16:06
登山道を外れるのも、これがラストだ。〈夏峯〉最後の宿場跡である一之宿の残像を追いに行く。
植生はすっかり植林帯に変わった。林業関係の方々のものだろうか、薄っすらとフミアトがある。
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7/23 16:10
植生はすっかり植林帯に変わった。林業関係の方々のものだろうか、薄っすらとフミアトがある。
広い尾根を見渡しながら、北の方へ。
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7/23 16:10
広い尾根を見渡しながら、北の方へ。
平坦な場所だ。確定的なことは言えないがこの辺りなのだろうか。
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7/23 16:16
平坦な場所だ。確定的なことは言えないがこの辺りなのだろうか。
こんな場所だ。
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7/23 16:17
こんな場所だ。
すぐ手前に川が流れている場所で、対岸には滝尾神社の建物が見えるという立地だ。
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7/23 16:17
すぐ手前に川が流れている場所で、対岸には滝尾神社の建物が見えるという立地だ。
一之宿の比定地。山伏たちはここに九日間滞在して、行者堂に毎日往復しては祈祷をしたらしい。聖から俗に帰る格式高い儀式だ。その通過儀礼を終えて、ようやく〈夏峯〉のフィナーレを迎えられる。
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7/23 16:19
一之宿の比定地。山伏たちはここに九日間滞在して、行者堂に毎日往復しては祈祷をしたらしい。聖から俗に帰る格式高い儀式だ。その通過儀礼を終えて、ようやく〈夏峯〉のフィナーレを迎えられる。
数えきれないほど繰り返してきたバリルートもこれで最終回をおえた。そしてまた、一般登山道もまもなく最後になる。
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7/23 16:26
数えきれないほど繰り返してきたバリルートもこれで最終回をおえた。そしてまた、一般登山道もまもなく最後になる。
登山道、終了。
日光山社寺エリアの最奥に位置する、行者堂だ。
行者とは山伏のこと。まさに街と山地との境界に、この寺は建っている。
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7/23 16:33
登山道、終了。
日光山社寺エリアの最奥に位置する、行者堂だ。
行者とは山伏のこと。まさに街と山地との境界に、この寺は建っている。
行者堂の中を見ると、修験道のオリジネーターと言われる役小角(役行者)の像が。異形の聖人のようでもあり、怪しい呪術師のようでもある。
日本の山を嗜む者としては、それと切っても切れない縁のある修験道に、いちどは自分なりにガチで向かい合ってみたかった。私が〈夏峯〉を辿った動機には、それも一つにあった。
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7/23 16:32
行者堂の中を見ると、修験道のオリジネーターと言われる役小角(役行者)の像が。異形の聖人のようでもあり、怪しい呪術師のようでもある。
日本の山を嗜む者としては、それと切っても切れない縁のある修験道に、いちどは自分なりにガチで向かい合ってみたかった。私が〈夏峯〉を辿った動機には、それも一つにあった。
行者堂から滝尾神社に移動する。
〈夏峯〉一行は勝利の凱旋をするかのように、各寺社に参ったらしい。私もそれを真似て、いくつかを巡ってからゴールする。
疲れた脚に石畳や石段は響く。
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7/23 16:35
行者堂から滝尾神社に移動する。
〈夏峯〉一行は勝利の凱旋をするかのように、各寺社に参ったらしい。私もそれを真似て、いくつかを巡ってからゴールする。
疲れた脚に石畳や石段は響く。
滝尾神社の鳥居。観光客がいる。汗だくの私はチラチラ見られるが、なぜだろう、今日だけは私こそが日光をいちばん知る者であるかのような自負がどこかにあった。
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7/23 16:40
滝尾神社の鳥居。観光客がいる。汗だくの私はチラチラ見られるが、なぜだろう、今日だけは私こそが日光をいちばん知る者であるかのような自負がどこかにあった。
滝尾神社本殿。
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7/23 16:46
滝尾神社本殿。
つづいて新宮のある現・二荒山神社。
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7/23 17:17
つづいて新宮のある現・二荒山神社。
二社一寺のなかでもいちばん修験道の影響を濃く受け継ぐ、輪王寺を通過して。
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7/23 17:25
二社一寺のなかでもいちばん修験道の影響を濃く受け継ぐ、輪王寺を通過して。
日光開山の祖、勝道上人像の前で編笠を脱いだ。彼の背後にある夏空を見上げる。
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7/23 17:31
日光開山の祖、勝道上人像の前で編笠を脱いだ。彼の背後にある夏空を見上げる。
ほんとうにラストスパートに入る。四本龍寺へ。日光でいちばん最初に建立された、草庵道場をルーツとする寺だ。
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7/23 17:38
ほんとうにラストスパートに入る。四本龍寺へ。日光でいちばん最初に建立された、草庵道場をルーツとする寺だ。
四本龍寺。勝道上人が建てた最初の寺。誰も参拝者はいないが、〈夏峯〉を終えたばかりの者としては、立ち寄らないわけにはいかない場所だろう。東照宮よりもこちらの方が好きかな。
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7/23 17:39
四本龍寺。勝道上人が建てた最初の寺。誰も参拝者はいないが、〈夏峯〉を終えたばかりの者としては、立ち寄らないわけにはいかない場所だろう。東照宮よりもこちらの方が好きかな。
本宮神社本殿。
これで寺社巡り完了。
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7/17 9:05
本宮神社本殿。
これで寺社巡り完了。
世界文化遺産、そして国立公園である日光。それもいいけれど、例えそんなこと関係なくとも、日光の大自然はワンダーランドだった。
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7/23 17:41
世界文化遺産、そして国立公園である日光。それもいいけれど、例えそんなこと関係なくとも、日光の大自然はワンダーランドだった。
神橋。
スタート地点にしてゴール地点。
ここから120km以上の長大な時計回りをして、無事帰還した。〈夏峯〉のスルーハイクは達成された。山伏が駆け巡った山河を、体験的に知る者のひとりになった。やれるだけのことをやりきった。
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7/23 17:44
神橋。
スタート地点にしてゴール地点。
ここから120km以上の長大な時計回りをして、無事帰還した。〈夏峯〉のスルーハイクは達成された。山伏が駆け巡った山河を、体験的に知る者のひとりになった。やれるだけのことをやりきった。
メイン特集「室町時代のロングトレイルを歩く 〜日光修験道〈夏峯〉の世界〜」
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メイン特集「室町時代のロングトレイルを歩く 〜日光修験道〈夏峯〉の世界〜」
今回、やれるだけのことはやりました。栃木百名山の一座である錫ヶ岳に登頂できたことも収穫でした。
夏峯お疲れ様でしたm(_ _)m
記録ハラハラドキドキしながら、読ませて頂きました。
友人thoughtmay氏が歩いていた時の事を思い出しておりました。
今後大好きな日光を歩く上で、参考にさせていただきます。
また、今年秋に発売される紀行文楽しみにしておりますm(_ _)m
コメントをくださいまして大変光栄です。
taka様による残雪期の御沢遡行および寒沢宿から小真名子山へのレコは、私が御沢をどうするべきか等を具体的に検討する際に、とても参考にさせていただきました。
また、前半レコでも言及しました通り、thoughtmay様の時間をかけた入念な踏査の数々に、今回の私の計画は多くを拠っています。
そのような活気のある頃から3年強が経った今、遅ればせながら私なりのスポットライトの当て方で〈夏峯〉を歩き、そして拙いながらも文章化してみました。
私は皆様にとうてい及ぶ者ではありませんが、僅かばかりでも日光の山々の魅力紹介をお手伝いできればと、僭越ながら願っております。
ほんとうに感謝しております。
ありがとうございました。
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