キレット越えならず!! 東ギボシ山頂直下の雪付きに撃沈😨
- GPS
- 13:35
- 距離
- 15.7km
- 登り
- 1,780m
- 下り
- 1,749m
コースタイム
- 山行
- 7:21
- 休憩
- 1:32
- 合計
- 8:53
天候 | 雲が目まぐるしく流れたが、まあ晴れ。しかし、強風極寒 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
富士見高原から編笠山、青年小屋までは特に問題なし。編笠山への登りの岩岩帯は、体を持っていかれる強風だったが、そこにかなり経験の低いツアー客にがいてかなり待たされる。青年小屋からのろし場まではノートレースの鬼ラッセル、僕のスノーシューが活きた。西ギボシはそれなりだったが、東ギボシ山頂へ向けて夏道トラバースと道を分け、ワイヤーがかかった部分を直登する辺りから、ザレザレ斜面でかなり危険に。もう少し雪がつけば不安定な岩が落ち着くのだが、今回は悪コンディションになった。冬ルートがしっかり頭に入っているにもかかわらず、東ギボシの山頂へ最後まで直登するのを躊躇し、山頂よりかなり下でトラバースしてしまったため、絶対の安心感がえられず撤退。背中に哀愁を漂わせながら青年小屋に戻った。青年小屋では避難小屋が使えたので、テントは張らず3人で雑魚寝。小屋には他に4人のパーティーがESPACEのデカイテントを張っていた。翌朝は、モルゲンを狙い編笠山に再び登頂、その後西岳のを経由して富士見高原に戻った。しかし、ここから最大のピンチに直面する... |
その他周辺情報 | 道の駅小淵沢の延命の湯、その後同じ建物の5階の中華レストランで夕食 |
写真
感想
1.思い入れのあるコース
今月の28、29の土日が仕事休みになったので良かったら山行行きませんか?
今年に入ってすぐ、オホーツクが生んだピュアボーイ、なおにゃんから誘いが入った。去年の9月に北鎌尾根で槍ヶ岳に一緒に行ってからもう4ヶ月になる。涸沢岳西尾根、白峰三山、笠ヶ岳など色々五月雨的に提案しながらも、かなり先なので天気を見ながら1週間前に山域を決めましょうということになった。そして、山行まで1週間となった頃、「10年に一度の大寒波」がニュースの見出しに踊り始めた。「これはアカンやつやな...」。やはり、山行日程を前もって決めると、どうしてもこういうリスクが付きまとう。僕は基本、土日はいつでも山行に行く体勢に入っているので、金曜日夜に急転直下で山行に入るパターンも可能だ。しかし、パーティー山行だとそうはいかない。あるいはソロであったとしても、2泊以上になればやはり前もって予定を立てざるを得ない。この不都合さが山行への情熱を持続させているという説もあるが、何とかもっと自由な労働の形態を模索したいとも思ってしまう。
結局ラッセル覚悟とは言うものの、山域的に、奥秩父、南アルプス、八ヶ岳の辺りはそこそこの天気にまで予報が回復してきた。ここで、なおにゃんがラッセルを突破するために、「しょーゆ」君を助っ人として動員してくれ、初めて3人山行をやることになった。しょーゆ君のYAMAPのプロフィールを見ると1995年生まれとある。「俺と21歳も違うやないか!長男と6歳差か...」と自分がおっさんなことを再認識する。「まあ、馬車馬のように働いてくれるだろう😃」。3人の意見を集約させるのに時間がかかったが、山行ルートは富士見高原から編笠山、権現岳、キレット小屋泊、赤岳、天狗岳、唐沢鉱泉という、今から考えれば絶対1泊では無理なコースに決まった。
僕はこのコースにはかなり思い入れがあった。最初のチャレンジは去年の4月、同じくキレット越えを「日帰り」で目指した。しかし、舟山十字路の先の広河原から西岳まで全鬼ラッセル、ヘロヘロになりながら意地で青年小屋までたどり着くも、そこで見上げた編笠山があまりにも遠く感じ、心が折れて撤退。しかも途中でデポしたワカンを見失った。さらに、翌週に今度は富士見高原から編笠山経由で、青年小屋に幕営。初日にワカンを探す為に源治新道を2往復するも、見つけられず。翌朝、西ギボシ、東ギボシに痺れながらも、権現岳に登頂、源治梯子を下りて、梯子の下からの恐怖トラバースをこなし、旭岳に登頂した。そして、雪が融けきった8月、最初に目指した舟山十字路からの周回を問題なくやり切った。あれからコンスタントに山行を続け、厳冬期のこのコースにもある程度自信を持って臨んだが、自分の実力・経験不足を思い知った山行になってしまった。また、「下山後」に直面したピンチを克服し、今までで下山後に一番吠えることになる。
2.東ギボシ手強し、経験不足の恐怖
富士見高原に6時過ぎに到着した。中央道は小淵沢から冬用タイヤ規制だったが、その小淵沢で高速を下りたので影響はなかった。しかし、富士見高原までの道は積雪しており、少し緊張する。なおにゃんとしょーゆ君は車を唐沢鉱泉にデポしてからこちらに向かう予定だった。しかし、しょーゆ君の車はスタッドレスを履いてはいたが、2WDだったため、唐沢鉱泉近くの道路が蛇行するところでスタックした。チェーンを巻いたが切り抜けられず、なおにゃんの車だけで唐沢鉱泉に行き、なおにゃんは唐沢鉱泉駐車場からしょーゆ君の車まで歩いたらしい。それもあって、山行開始は7時20分頃になってしまった。
編笠山まではお気楽ハイクだが、冬期テント泊装備が肩にずしりとくる。3人ともソロメインなので、オーバーラップした装備を担ぎ、まさに訓練だった。共同装備を分担すれば、もっと楽に冬期山行ができるのだろうが、SNS時代の山行とはこういうものなのか。盃流しを少し行ったところで、右手の涸沢におりて、左岸に移動する。今回は雪のトレースがあり間違えようがないが、雪がないと間違えてそのまま右岸を行ってしまいやすい。ここからは、適宜ピンクテープ、道標があり道迷いの心配はない。左手にかなり立派な岩屋がある辺りで、小休止をしつつアイゼンを装着した。
3人で歩くとどうしてもペースが合わないので、先頭をローテーションして歩いた。スタートから岩屋までは、なおにゃんが先頭だったので、ここから僕が先頭になる。樹林帯を歩いて行くと、「特定母樹」の標識が大きな樹木につけられていた。「母樹」ってなんや?未だに樹林帯を歩いていても、それが何の樹木か分からない。白樺なのかダケカンバなのか?はたまたシラビソ?その点、しょーゆ君は詳しそうだった。「あれは何かな?」とやたらと立派な巨木を指差すと、「からまつ」ですね😃としょーゆ君が答える。「あ、確かに松の葉っぱの形してるな」。確かにこの樹林帯は色んな種類の樹木があった気がした。それをもってして「母樹」の説明になっているのかは謎だったが。
2100m近辺の開けたスペースで2回目の小休止をとる。日が当たり暖かい気がしたが、風の通り道だったのか、かなり寒かった。やはり、八ヶ岳は北アルプスよりも寒いのだろうか?テルモスのお湯を飲み体を暖めた。なおにゃんはテルモスにミルクティーを作っていて、今山行中に何度となく飲ませてもらった。お湯を使えないデメリットはあるが、やはり味気ないお湯より山行中はうんと嬉しくなる。K2復活のソロでも蜂蜜入りのあまーいレモンティを奈良原和志が休憩の度に飲んでいたな、と思い出す。
ここからはしょーゆ君を先頭に歩く。山頂下の岩岩の手前から結構な急登になる。それをこなし、森林限界を越えた辺りで視界が開けた。後ろを振り返ると南アルプスがドーンと眼前に見える。この角度で見ると北岳と甲斐駒ヶ岳はまるで兄弟のようにそっくりだった。さらに岩岩帯に突入すると完全に視界が開け、左手にいつ見ても他を寄せ付けない存在感の富士山、正面には南アルプスが安定の美しさを見せる。しかし、予報通りだが遮るものがなくなると、風がかなり強く冷たい。さらにここで、予想外の拷問を受ける。団体ツアー客だ。総勢15から20人はいただろうか、とにかく前に進んでくれない。確かに体が持っていかれそうな強風だったとはいえ、後ろで待たされるのはかなり厳しかった。僕はこのルートをハッキリ覚えていたので、この先山頂まで意外にあるのを知っていた。先を行く2人はそれを分かっていないので、優しく「ゆっくりでいいですよ!!」と仏のような声を掛けている。「こりゃアカン...」。しかし、2人も意外に先が長いのを認識し始め、寒さでかなり苦しそうになってきた。先頭のしょーゆ君に声を掛けた。「このすぐ先、少し平らになってかわせるから、そこで先行かせてもらおう。こっちがやられてまう」。このツアーはガイドが2人付いている感じだったが、ちょっとマナー違反だった。
何とか停滞組をかわし、ペースを上げることができた。少し体が暖まってくる。そのまま山頂まで一気に駆け上がった。山頂はそのツアーの速いグループなのか、かなりの賑わいを見せ、彼らは山頂標識を取り囲んでいた。また待っていると日が暮れそうなので、さっと写真だけ撮らせてもらう。ついでになおにゃんとしょーゆ君を呼び寄せ2人と山頂標識を入れて写真を撮った。あまりに風が強く、雲が上がって眺望もなくなっていたので、「もう、下(青年小屋)に下ります?」としょーゆ君が言うので、「そやな、もう下りちゃおう」
山頂から青年小屋方面にかけての「のっけ」はいつも道が適当だ。この時は何故か全くトレースがなかったので、短い距離だが猛烈に踏み抜きながら進む。一瞬ワカンが要りそうな錯覚に陥るが、この後は雪があまり付いていない道になると知っていたので、しばらくこのまま進むことに決めた。すると案の定、かっちり足がホールドされる道になった。ここからは、夏は大岩の歩きにくい道を下りていく。雪がある今の季節の方が歩きやすいが、まだ積雪量が十分ではなく、岩と岩の間を踏み抜かないように注意して歩いて行った。
青年小屋に着いた頃には11時半になっていた。富士見高原をスタートしてから4時間も経っていた。後から気付いたが、なおにゃんの作成した登山計画はペースが0.9になっていて、この時期のテン泊装備の僕らにはアグレッシブ過ぎた。今日は珍しくなおにゃんにあまり元気がなく、キレット小屋は無理な雰囲気が漂ってきていた。僕はギボシの厳しさを知っていたが、4月の頃の雪質なら余裕のある痺れになると思っていた。「もうここで、テント張ってゆっくりする?」と言いながら、「でも、それじゃあ緩すぎるし、かといってキレット小屋まで行くのはキツ過ぎる」という中で、しばし悩む。しかし、あまりここで停滞し過ぎるとますます時間がなくなるので、覚悟を決めた。取り敢えずテントを担いで権現岳に向かおう。最悪、権現小屋にテントを張ることも視野に入れよう。
ここからはトレースないだろうから、僕はスノーシュー、2人はワカンを装着した。そして、本当に全くトレースがなく、かなりのラッセルが続いた。スノーシューを履いている僕が一番浮力があるので先頭、パワーがまだまだ残っているしょーゆ君を2番目にして進んだ。途中でスノーシューだとどうにも滑って苦労したところで、しょーゆ君に先頭を代わってもらった。すると、しばらく行ったところで、「あ!雪崩れた」としょーゆ君が叫んだ。「大丈夫か??」と上を向いて叫ぶと、「大丈夫です。ちょこっと雪崩れてきただけです😓」。
何とかその滑りまくる斜面をスノーシューで登り切ると、やっと少し稜線のようになり、すぐに「のろし場」というピークになる。ここで昔はのろしを上げていたのだろうか?この南八ヶ岳南部はギボシだのツルネなど面白い名前が多い。そして、すぐに猛烈な雪庇が発達した稜線になった。風が強かったが、その雪庇が風避けになってその場所は快適だった。しょーゆ君が「ここ風避けられるから、ここでもうアイゼンにしちゃいます?」と言い、「せやな」と応じる。そこは風は避けられるが、トラバースのようになっていて、ふかふか雪で足場は安定していない。なので、斜面を崩し平らにして足場を整えた。すると、後ろからソロの女性がワカンを履いてやってきた。「ちょっと僕らはここでアイゼン履くので、後ろを通っちゃってください」と、左の雪壁に体を寄せ、右を少し開ける。彼女はゴリ山女のようで、サーッと僕らの脇を通り、稜線に上がっていった。「強いな...」
アイゼンを付け終わり、僕としてはルール通りのローテーションでなおにゃんを先頭にした。しかし、彼は今日はいつものパワーがあまりなく、この短いラッセルにかなり苦戦した。僕としょーゆ君は後ろから付いて行っただけなので楽だったが、なおにゃんは多分ここでかなり消耗してしまったかもしれない。ここは僕の判断ミスだった。やはり、20代のしょーゆ君をフル活用すべきだった。
雪庇の横を抜け、稜線に出た。風避けが無くなり、強風にさらされながら歩く。最初は殆んど雪の付いていない岩場を歩き、中央が雪、左右が岩場になっている登りを西ギボシ山頂に向けて歩く。ここはそれほど難しくなく、3人ともコンフォタブルに歩いていく。この西ギボシを越えると一気に難しくなる。僕は4月に来ていたのでルートはしっかり頭に入っていた。しばらくトラバースすると、夏道と道を分け、ルンゼを直登する登りになる。そこにはワイヤーが付いていて、それを手がかりに登ってもいいし、その右手は少し草付きのようになっているので、そこを登ってもいい。ただし、夏道通りのトラバースだけはダメだ。すると、そこに僕らがやってきた時、さっきのプロっぽい女性が夏道通りのトラバースを行き、行けなくて撤退して戻ってきた。「そこはトラバースは無理ですよ、このワイヤーのところを東ギボシ山頂まで直登です」と教えてあげた。しかし、彼女は心が折れてしまっていたようで、「お気を付けて」と言い残し、そのまま撤退して行った。ここは初めて来るルートだったらしく、プロっぽく見えたのは僕の勘違いだった。
僕はワイヤーの右手の岩場を直登した。かなりザレザレの岩場だが、何とか登れる。しょーゆ君は「ちょっと重なると危ないので、僕はこのワイヤー登ります」と僕の左手から登って行く。しかし、なおにゃんは夏道のトラバース行ってしまう。やはり、行き詰まったようで、途中から僕らのいる稜線に上がって来た。僕が4月に行った時はもっと雪が斜面にたっぷり付いていて、少しの痺れで東ギボシ山頂まで登れたが、今日は雪が少ない。東ギボシの斜面はかなり岩が不安定で、アイゼンもピッケルも安心できるレベルではかからなかった。しかし、僕は東ギボシ山頂をギリギリかすめとるようにトラバースして、権現岳への稜線に乗れることを知っていたので、不安定な斜面をどんどん山頂に向けて登って行った。しかし、山頂までもう少しという所になって、「ちょっとこの斜面危なすぎるな...」と不安になってしまう。この辺りで絶対的な経験不足が影響する。下にいるしょーゆ君も同じような気持ちだったようだ。「ちょっとこれ、下りれなくなるな...」と、彼に言うと「そうですね、もう少し下からトラバースかもですね...」と誰も確たる自信がない。少なくとも少し下がった所には雪がたっぷりで、そこをトラバースする方が安全に見えた。
(勿論、こんな環境でもちゃんとこの斜面を制覇し、権現岳に登頂した人はいた。その人の軌跡を見ると、やはり僕の思った通りのルートで、山頂をかすめ取っていた。最後の最後で不安になった自分の未熟さを悔やんだ)
僕は慎重にしょーゆ君のいる所までバックステップで下がった。やはりアイゼンはかかりにくいので胆を冷やす。なおにゃんは夏道トラバースにこだわっていたが、それが駄目なのは確かだったので、僕ら2人の所まで上がってもらう。なおにゃんはトラバースが得意なので、ここからなおにゃんを先頭、次にしょーゆ君、最後に僕の順番でトラバースして行く。しかし、このラインはやはり山頂から遠すぎ、どちらかというと夏道トラバースと同じような危険さがあった。先頭のなおにゃんが雪がかなり少なく岩肌が見えた部分に差し掛かった時、「この先は怖いです!」と警告を発した。「無理かその先??」と僕は大声で確認する。どうしても諦めたくなかったからだ。なおにゃんが続ける。「もう2時半です。権現小屋にテント張れなかったら、青年小屋に戻らないといけないです。そうなったら日没も危ないです!」。確かにな...。さらにそこからテント設営となると中々の苦行やな。僕はどうしても先に行きたかったが、ここまでのようだった。「分かった😣。撤退や!」。撤退を決断した瞬間だった。
ここからも重荷を背負い、緊張の糸を緩められない状態で撤退していく。まずは東ギボシを、なおにゃんが夏道トラバースから稜線に上がって付けたトレースを使い、慎重に下りた。鎖があるが全く安心できない下りだった。そこから、トラバースで西ギボシへの下り口に戻る。そこからの斜面はそれなりに雪が付いていたので、バックステップで安全に下りることができた。先頭を行くなおにゃんが、西ギボシ山頂に立ち僕らを見守る。「風強いです!」と絶叫しているようにも聞こえたが、暴風に彼の声は書き消された。
何とか安全地帯まで下り、その後はついさっき自分達が付けたトレースさえ完全に消え失せている雪面に驚きながらも、無事に青年小屋まで戻って来た。時刻は午後4時を回っていて、僕の疲労はかなりピークに近かった。「ここからテント設営きついな...」と、ふと小屋の横を見ると、避難小屋のようなものが視界に入った。入り口にはストックが2セット雪面に突き刺してあった。「あれ、避難小屋ちゃうか?」。なおにゃんが下って、入り口を覗き行く。「3人いけますか?」と中で話しているのが聞こえる。「いけまーす!」となおにゃんから声がかかった。半分嬉しく、半分テント泊ができない残念な複雑な気持ちで避難小屋に向かう。アイゼンを外して、重い避難小屋の扉を開けると、嬉しいことに床は畳だった。中にESPACEのデカいテントが張られていて、入り口側に3人が雑魚寝できるスペースが空いていた。しょーゆ君が喜びを顕にする。彼はツェルト泊で、厳冬期でも結露を嫌って壁は止めないらしい。それから比べると、確かにこの避難小屋は天国だろう。僕はそのぎりぎりのスペースをみて、まだ複雑な気持ちのままだった。一瞬一人でテントを張ろうかなとも思った。しかし、ここで雑魚寝すれば3人で今日の恐怖を笑いながら話すことができる。その気持ちがテントを張りたい気持ちを上回った。
なんとかザックを壁際に寄せ、マットを縦3列に敷き寝床を確保した。それぞれ思い思いに夕食を作り、少しお互いにシェアしながら空腹を満たした。僕はやっぱりフライパンでウィンナーを炒め、ビールを堪能する。山行話や山ギア話を楽しみながら、無事に怪我なく下りてこられたことに感謝した。「明日は朝イチ編笠山に登ってモルゲンを楽しもう!」と言いながら、8時頃にはシュラフに潜り込んだ。
3.編笠山モルゲンと西岳
翌朝、みんなで決めた通り午前5時に起きた。ESPACEの4人パーティーは朝一権現岳にアタックする予定で、同じような時間帯に起きだしていた。たまたま一斉にみんなが同じ時間に行動を開始して、避難小屋最大のデメリットを今回は経験しなくて済んだ。昨日の夜、なおにゃんにもらった貴重な水を沸かし、テルモスの山専用ボトルをいっぱいにしていた。それを使って、カップヌードルを作る。寒い朝は暖かくて汁気のあるものに限る。小屋の中は冷え込みがかなり厳しかったので、シュラフに入りながら朝食を済ませる。モルゲンも迫ってくるので、泣く泣くシュラフから這い出て、スタッフバックに入れていく。編笠山へはほぼ手ぶらで行くのだが、出発前にほぼ9割がた荷物をパッキングしてしまった。
6時半頃、編笠山へ向けて活動を開始した。小屋横の雪の小トップで左を見ると、朝焼けに背後を染められた富士山がキレイに見えた。「おー!これ写真撮らな…」。2人が先に行く中、1人でそこに立ち止まり富士山を見つめた。眼前にそびえる編笠山がでかい。2人は大分先に行ってしまった。「行くかな…」と後を追いかける。最近、その日の山行を初めてすぐは、手の指先が痛くなってしまう。どんどん指先の感覚がなくなり、不安になる。この状態がどれだけ長い間続くと凍傷になるのだろう?またオーバーグローブから指を外し、グローブの中で手を握り締める。両手をパンパンと叩いたり、腕をぐるぐる回したりするも、あまり効果はなかった。結局山行開始後30分ほどで、指先の感覚が戻り痛みも消えた。
風は相変わらず強かったが、岩々帯を越え樹林帯に入ると、風は樹林に遮られて消えた。さすがにこの時間は僕ら以外には誰もいない。山頂まで黙々と歩き山頂に到達した時、正に太陽が地平線の雲の上から出始めた所だった。「間に合いましたね」としょーゆ君が声を掛けてくれる。当然山頂はかなりの強風で長居はできない。しかも南アルプス側は霧のような雲が発生して眺望はゼロだった。ギボシ側は特に雲が分厚く、日の出を見られたこと以外は残念な山頂だった。「行きますか」とあまりの寒さに3人で樹林に逃げ込む。すると後ろを振り返ったしょーゆ君が、「あ!中央アルプス!!」と叫んだ。僕も振り返ると、さっきまでかかっていた霧のような雲が一瞬で消え失せ、南アルプスと中央アルプスの姿が顕になっている。「おー!」。そしてカメラを取り出し写真を撮ろうとすると、またあっという間に霧雲が山々をかき消してしまった。「なんちゅう目まぐるしさや…」
7時20分頃、青年小屋に戻ってきた。お世話になった避難小屋を写真に収める。いったん避難小屋に入って最後の片付けをし、8時前に西岳に向けて源治新道を歩き始めた。この源治新道も昨日はラッセルだったようだが、今日はトレースがばっちりだった。乙女の水の先のトラバースが少し危ないくらいで、他はいたって平和な雪山トレッキングだ。ちょうど西岳への中間くらいのところに展望ポイントがあり、そこからは南アルプスの眺望がすばらしい。西岳の少し手前からのちょっとした登りをこなし、午前9時ごろ西岳にやって来た。なんの因果か西岳には今回で5度目の登頂だ。八ヶ岳の中では北横岳の次によく登った山になっている。少し意外だが、八ヶ岳の八つに西岳が入っていると聞いたことがある。西岳山頂では嬉しいことにほぼ無風だった。天気も文句のつけようのない快晴になり、太陽のぬくもりを感じることができた。眺望も素晴らしく、南アルプスは遮るものもなく完璧に見え、中央アルプスは山頂標識の辺りある岩の上に登るとすっきり見える。左手には編笠山の右手に富士山、今日は駄目だったが編笠山の左にはギボシがしっかり見える。かなり長い間山頂を楽しんだ。
4.まさかの下山後のクライマックス
ここから富士見高原までは3人でペースを上げる。テン泊装備なのに200%くらいのスピードを出し、約90分ほどで駐車場まで戻って来た。時刻はまだ午前11時ごろで、3人で樅の湯に行って、飯を食って帰ろうということになった。しかし、まずはその前に唐沢鉱泉に止めているなおにゃんの車を回収しに行かないといけない。しょーゆ君の車はどうせあの雪道は登れないので、樅の湯で待機してもらうことにした。そして、僕のジムニーになおにゃんを乗せ、唐沢鉱泉に向かった。唐沢鉱泉に至る道は、ジムニーにとってはなんてことない雪道だとは思うのの、自分の運転技術に自信がないので不安だった。路面の雪の量は途中まではそれなりで道幅も広いかったが、途中から雪量が増え、かつすれ違い困難になる。しかし、さすがはジムニーだけあって、4Hのモード(通常四駆モード)で簡単に登ることができた。ギアも2速に落とすだけで十分だった。それでも帰りの下りに少し不安を感じてはいたが…。30分ほどで無事に唐沢鉱泉駐車場に到着した。なおにゃんは自分のザックをジムニーから下ろし、靴を履き替えたり帰り支度をしていた。僕はもう少し上まで行き、空きスペースで方向転換し、なおにゃんの車の近くに付けて彼の準備を待っていた。しかし、彼は中々スタートしようとしない。「えらい、準備に時間かかってるな…」と思っていたら、彼は車から出て来た。「マサさん、エンジンかからないです😥」「え!?」「多分寒さでバッテリーやられたんだと思います」「なぬ??あ!ケーブル持ってないの?あの、助けてもらえるやつ(ブースターケーブルという名前が出てこない)」「持ってないです…」「参ったな」。とそこへ一人登山者が下山してきた。その人に駆け寄り、ケーブルを持っていないか聞いたが、彼も持っていなかった。それから何人か下りてきたが、持っている人は誰一人いなかった。やはりバッテリーが上がるようなこと自体が少なくなっているのだろうか。今回の件で雪山をやるにはブースターケーブルは必須アイテムだということをはっきりと認識した。「マサさん、すみませんがガソリンスタンドに行ってケーブル借りてきてもらえませんか?」と言われ、「そうやな。2人で行こうか、念のため」「そうですね」
とりあえず麓に向かって、来た道を引き返した。やはり下りはスピードが出て危ないので、ギアを時折1速まで落として運転した。回転数が上がりすぎてうるさかったが、ずっと2速では行くのは少し不安だった。電波がしっかり入るところまで下りてきたので、「前もってガススタに電話しとこうか。貸してくれなかったら時間の無駄になるから」となおにゃんに言い、彼は諏訪インター近くのGSに何件か電話したが、どこのGSの対応も同じで、「そいうことはやってません」「ケーブルを置いていません」など、助けてくれる所はなかった。そんな気はしていたので、「やっぱりか…」と呟く。「なおにゃん、これJAF呼ぶしかないな。JAF入ってる?」「入ってないです」「まあ、高くはつくけど、会員でなくても来てくれるから、電話するしかないわ。多分最低2万はとられると思うけど、オレ半分出すから」「いや、そんなのいいです!」「いや、これ別になおにゃんだけの責任ちゃうから。みんなで計画したことやから、当たり前のことだよ」
いったん車を路肩に止め、なおにゃんはスマホで検索し電話をかけ始めた。彼が電話したのはJAFではなく、検索のトップに出て来たスポンサー企業だったようだ。状況を説明すると、行けるかどうかも含めて、15分後に折り返すという。車内で折り返しの電話を待っていると、比較的すぐに電話がかかって来た。なおにゃんが神妙な口調で「はい、ええ」と言いながら説明を聞いている。そして、相手に「ちょっと待ってください」と言う風に行って、通話口を押さえ僕にこう言った。「来るのに今から90分もかかって、かつ3万3千円って言ってます」「う〜ん」。時間も値段も想像より悪かった。もし、10分で来てくれるならまだ3万3千円払ってもよかったが、90分は待てない。2人で相談し、「90分あったら、ケーブル買いに行けるんちゃう?断ろう」と言うことに決め、電話口になおにゃんが言った。「90分も待てないんで、結構です。キャンセルします」。「よし、じゃあ、ケーブル買いに行くか!おもろいやん!?経験値上がるよ」。なおにゃんがグーグルで検索し、イエローハット諏訪インター店があるのを発見した。「よし、そこ行こう!」
イエローハットに無事に到着した。ジムニーまで事故ってしまうと面倒なので、慎重に運転していた。店員に事情を説明し、どのケーブルがいいかを探してもらう。問題は、僕のジムニーが非力すぎるのに対して、なおにゃんのCX5はかなり大きめのバッテリーを積んでいることだった。お店にはそういう仕様(軽自動車から大型車へのジャンピングスタート)のケーブルも置いてあったが、ケーブルの値段が5,000円と割高だ。しかも、やはり必ずしもジャンピングスタートに成功するわけでもないという。「とりあえずこれ買ってチャレンジして、ダメだったらJAF呼ぼう」ということに決め、その5000円のケーブルをなおにゃんは購入した。
また同じ道を唐沢鉱泉まで戻る。さすがに2回目ともなると、さっきよりは多少スピードも出せるようなり、あっという間に唐沢鉱泉に到着した。唐沢鉱泉駐車場が厳冬期に自信を持って使えると思えたことは、今回のピンチからの思わぬ収穫となった。店員に説明された手順をケーブルのパッケージにある説明書と照らし合わせて確認する。まずはプラスのクリップを故障車につなぎ、反対側のプラスを救援車につなぐ。マイナスのケーブルはまず救援車につなぎ、反対のマイナスを故障車の金属部分(端子ではなく、ボティアースにする)につなぐ(この最後の故障車のマイナス側のつなぎ方は間違えて、端子に直接つないでしまった…)。赤のプラスのケーブルと、黒のマイナスのケーブルは接触するとショートしてしまうので注意するように言われていたので、ケーブルどうしが触れないように細心の注意を払った。準備が整いジムニーにエンジンをかけた。少しふかしぎみにする。そして、なおにゃんが自分の車にエンジンを掛けようとした。「ブルンブルンブルンブ...プシュン」。「…」。なおにゃんの車のエンジンは掛からなかった。説明書には10回はトライするように書かれていて、一回トライしたら7秒は間隔をあけるという。7秒経ってまた試した。「ブルンブルンブルン...プシュン」「…」。やはり、かからない。まるでバックトゥーザフューチャーのデロリアンみたいやな...。なおにゃんが車から出て来た。「駄目っすね〜…」。JAFのリスクがちらちらし始めた。何度も試すが駄目だった。「マジか…」。そして更にチャレンジしていると、心なしかエンジンがかかろうともがいている音の継続時間が長くなっているように感じ始めた。なおにゃんも車から出てきて、「かかりそうになってます!。最初はエンジンが1000回転までしか行かなかったのに、今は2000まで上がりました!」。そして10回のチャレンジに近づいた時、「ブルンブルンブルンブルン…ブルン??」。エンジンがかかった!なおにゃんが車から笑顔で出て来た。「かかりました!」。ジムニーのハンドルを握りながら吠えた。「よっしゃー??」。下山後にここまで吠えたのは今回が初めてだった。車から降り、2人で喜びを爆発させる。なおにゃんの体を「バシッ」と叩き、喜びを注入した。
やっと温泉に入れると、松本在住のしょーゆ君はもう帰ったので、2人の帰り道の、道の駅小淵沢の「延命の湯」に行くことになった。唐沢鉱泉からの下りも少し往生した。まだ雪がたっぷりで、ちょうど道が蛇行する手前で、不意になおにゃんが少し左に車を寄せながら停車した。実は彼はこの辺りで行きに手袋を落としていて、てっきりそれを探したいんだなと思った。すると彼は車から出てきて、「またエンジン止まりました😨」「マジ??」。運悪く後ろから車が来てしまう。「ちょっと今すぐにケーブル繋いでエンジン掛けるんで、待ってください!」となおにゃんが後続車に声をかける。なおにゃんが車を止めた場所の左の狭いスペースにジムニーの頭を突っ込む。路肩で雪がたっぷりだったので、満を持してジムニーを4L(強力四駆モード)に入れた。ケーブルを繋ぎ、エンジンをかけると今度は一回でなおにゃんの車にエンジンがかかった。しかし、ケーブルを外すとすぐにまたエンジンが止まってしまった...。また、ケーブルを付けようとするなおにゃんを制止し、「一回、普通にエンジン掛けてみよう」と指示した。すると案の定、エンジンがかかった!なおにゃんは少し車を前に出し、後続車を先に行かせる。その後続車はその先のカーブでスピンしたらしい。もし、なおにゃんのエンジンが止まった場所が悪かったら、大事故になり得る危険な雪道だった。
今回の山行は自分の未熟さに向き合わないといけない辛いものになった。しかし、一方でとても運がよかったともいえる。もし、あの時僕がギボシを突破して権現小屋でテン泊していたとしても、その後の行程がかなりタイトで、唐沢鉱泉にゴールするのはかなり遅い時間になったはずだ。そして、やれやれと3人でなおにゃんの車に到着しても、エンジンはかからず、3人で途方に暮れたことになる。唐沢鉱泉辺りは電波が不安定なのも追い討ちを掛けたことだろう。やはり「雪山なめたらアカン」に尽きる。「俺も帰ったらすぐブースターケーブル買お!」
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