日本百名山の短歌48 剱岳��
2020年05月15日 11:09全体に公開
「北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剣岳であろう」と、深田久弥は『百名山』の剣岳の出だしに書いているが、誰しもが北陸道を走るときに、剣岳の際立った姿を目にすれば、この表現が確かであると思うであろう。
山を知る者にとって憧れの山であることに間違いはない。白馬岳の頂や、烏帽子岳の稜線から見る姿は、万人を魅了してやまないものである。多くの歌人が百名山の峰々を短歌形式で、山を描写している歌、主に山名が詠い込まれている短歌を取り上げ、『百名山の短歌』をまとめてみたい。短歌に歌われた山として剣岳をとりあげる。深田久弥『百名山』「剣岳」の章で、万葉集の大伴家持の歌を冒頭に触れている。まずはその歌を見てみよう。万葉集の歌
立山（たちやま）の賦併せて短歌 大伴家持
天離（あまさか）る 鄙（ひな）に名懸（か）かす 越の中 国内（くぬち）
ことごと 山はしも 繁（しじ）にあれども 川はしも 多に
行けども 皇神（すめかみ）の 領（うしは）きいます 新川の
その立山に 常夏に 雪降りしきて 帯ばせる 片貝川の
清き瀬に 朝夕ごとに 立つ霧の 思い過ぎめや
あり通ひいや年のはに 外のみも 振り放（さ）け 見つつ
万代の 語らひ草と いまだ見ぬ 人にも告げむ 音のみも 名の
みも 聞きて 羨（とも）しぶるがね
短歌
立山（たちやま）に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならし
片貝の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通ひ見む
万葉集登弟十七【立山の賦】首併せて短歌 この立山（たちやま）は新川郡にあり」にはじまる大伴家持の長歌と短歌の「立山」を、深田久弥は『剱嶽』であると言う。大伴家持が天平二年大納言になり、越中赴任の際に詠まれた歌という。いまの富山平野片貝川の辺りより眺めて詠める歌である。内容は「越の国には、山や川は多いけれど、皇神が支配する新川の立山は夏も雪が絶えず降り、片貝川の清い瀬には朝も夕も霧が立つ。その霧のようにどうしてわすれることがあろう。毎年、外から遠く仰ぎ、。後々の話の種として、まだ見たことのない人に語りつごう。名を聞くだけで羨ましく思うことだろう」というもので、越の国の際立つ特異な山であることを強調している。家持の歌に和した大伴池主の歌を見てみよう。
立山（たちやま）の賦に敬みて和へたる一首併せて二絶
朝日さし背向（そがひ）にあに見ゆる神ながら 御名に帯ばせる
白雲の 千重（ちへ）を押し別け 天そそり 高き立山（たちやま）
冬夏と分くこともなく白袴（しろたへ）に雪は降り置きて 古ゆ
あり来にければ こごしかも 巌（いわお）の神さびたまきはる
幾代経にけむ 立ちて居て見れどもあやし峰高み 谷を
深みと 落ち激つ清き河内（かふち）に朝去らず霧立ち渡り
夕されば 雲居たなびき雲居（くもい）なす 心もしのに 立つ霧の
思い過さず 行く水の音も清けく 万代に 言い継ぎ行かむ 川し
絶えずは
短歌
立山（たちやま）に降り置ける雪の常夏に消すてわたるは神ながらとそ 大伴池主
落ち檄つ片貝川の絶えぬ如今見る人も止まず通わむ
万葉集巻十七大伴家持の「立山の賦」（歌番号合呂）の長歌と短歌に和した大伴池主の『立山の賦に敬みて和へたる歌』（歌番＠４００３）を並べてみると、この「たちやま」がいづれの山を指すのかがわかる。大伴池主の長歌のいくつかの形容表現、「千重を押し別け天そそり」、「巌しかも岩の神さび」、「峰高み谷を深みと落ち激つ」などは、所謂雄山を盟主とする「立山」のものではなく、岩の鎧を纏い天にはだかるように立つ『剣岳』に許されるものであろう。古代より越の国を代表する山として、剣岳が「立山」と称されても不思議ではない。大伴家持と池主の「たちやま」は『剣嶽』であろう。
深田久弥は言う、「家持が詠んだ『たちやま』は、今の立山であろうか。おそらくそれは今の剣岳であったろうと憶測する。片貝川や早月川のほとりから眺めて、まず我々の眼を牽くのは断然剣岳であって、立山は後ろに逡か遠くなってしまう。山の姿が太刀を立てつらねたようなさまに見えるから『たちやま』と名付けられた、という説を仮に信ずれば、いにしえの立山は今の剣岳を指したものであろう。剣峰如立という形容は今の立山主峰には添わない。」と（『をちこちの山』「立山」）。万葉集には二千メートル以上の山は、富士山とこの『立山』しか出てこない。それほどに目立つこの立山は、迷うことなくこの剣岳であると、私も深田説を取りたい。 私は一九九〇年の夏、朝明けの空に聳える剣岳の姿を見て、剣岳こそ越の国を代表する山であると思った。
歌人来島靖生著『歌人の山』の「立山」の解釈は、万葉集の「立山」を今の立山と解しているように思える。ただ深田久弥の剣岳説にも触れて、剣岳を詠った三人の歌を紹介している。剣岳は、万葉集に「立山」（たちやま）と詠まれながら、千年を経て富山平野から望んで、雄山、大汝、富士ノ折立の一連の連なりの「たてやま」に、その呼称を譲り、歌の世界でも不運な扱を受けているかのように思える。
（昭和初期の剣岳登山）
剣岳の近代に入っての初登頂の物語は新田次郎の『剣岳・点の記』に詳しいが。一九〇七年（明治四十年）七月十二日、陸地測量官柴崎芳太郎が指揮する測量隊の測夫生田信と案内人宇治長治郎・金作・鶴次郎の四人が山頂に立った。初登頂と思われた山頂には小さな祠の跡があり、錫杖と槍の穂が残置されていた。後に 奈良時代のものと判明し、すでにその頃に登頂されていたことがわかったのは有名な話である。
剣岳が誰も登っていない山にされたことの経緯に関心がむく。初登頂の日を深田久弥は七月十三日と書いているが、新田次郎は十二日日説をとる。多分新田の方が正しいのではないかと思うが、それは小説『剣岳・点の記』を是非読んでみてほしい。よく書けている。
剣岳が、山岳信仰の対象から外されて登ってはならない山とされていく経緯は、剣岳信仰と立山信仰の担い手である登山案内人を支配する村々の利害闘争が藩政治と結びつき、立山信仰が勝利し、剣岳を「地獄の針の山」として封印してしまった。この経過を経済史との関係で分析したらかなり面白い。
短歌の世界でも立山にみな目が向いて、剣岳を賛歌した歌は少ない。立山登山の折りに剣岳を詠いあげていても、登山した歌人は少ない。来嶋が紹介した歌人は、昭和七年に立山に登った植松壽樹、歌集『枯山水』に歌がある。いま一人は、六十七才になって剣岳に登り、歌集『雲の座』にその時の歌を残した松村英一。そして最後に富山の歌人でこよなく山を愛して歌集『立山』を出版した柳瀬留治である。
私はこの他に、新短歌の歌人逗子八郎を挙げなければならないだろう。
まづ第一に挙げる歌人は川田順である。川田順は、昭和十年夏に立山登山を行なって、歌集『鷲』冒頭の「立山行」五十四首を詠んだ。そのなかの剣岳の歌が印象的なのだ。戦前の昭和初期の時代、今のような登山ブームがあったようだ。その当時の登山は、躍動的な時代であったと思う。それでも案内人なしでは登れないように思うが、かなりのブームであったように思える。その証拠に、神田の古本屋で大正時代に書かれた登山案内書を見つけた。極めて概略的な記述ではあったが主要な山には触れている。昭和九年発行の案内書はすで現在の登山案内書の原形をなしていて、改定を重ね、昭和十六年には北と南、中央のアルプスを「読者の要望により」編集したという『日本アルプスの旅』（朋文社）が出版され、今の登山ガイドブックの体裁で、北アルプスの山のほとんどの旅程や登山時間を記載している。わけても、その山小屋案内を見ると、現在の山小屋のほとんどがその時代には開設されているの。剣岳周辺の小屋も例外ではない。仙人池ヒュッテがないくらいのことで、池の平小屋はあり、七月と八月は番人が入っている。記事によれば、当時は長治郎の雪渓を下山路に選ぶのが一般的で、案内人なしでは厳しかったようである。その本の巻末には、「日本アルプス案内人組合一覧表」が整理されており、越中側では三組合あった。
黒部登山案内者組合一 富山県下新川郡下立村役場 十二人 黒部川入、白馬・後立山
剣登山案内組合 富山県中新川郡白萩村役場 一八人 剣・立山
立山案内組合 富山県中新川郡立山村芦崎寺 七六人 立山・剣、薬師、黒部五郎
それぞれ日当は「三圓位」とある。金の値段が定かでないが、この本が一圓六十銭の定価とある時代である。高くはないかもしれない。立山案内組合の日当のきまりが面白い。「三圓、天幕自炊、尾根縦走三圓二十銭。岩登り三圓五十銭、冬三圓五十銭、冬天幕一割五分増」とある。案内人を雇って山に行くのであるから、少なくとも今のような登山とは異なっていたであろう。登山の歴史から見ても昭和の初期、戦争の始まる前までの時代は昭和モダンと言われ、スポーツとしての登山も盛んになってきた時期でもあろう。当時の人からすれば、現代の我々が一昔を回顧するのと同じように、大きな変化を実感していた時代であっただろう。軍部独走がその後の日本の方向を大きく誤らせた不運な時代の到来となった。現代史としての昭和初期はもっと研究されなければならないのではないだろうか。
川田 順
文学的にも革新に満ちて 私が川田順をなぜ第一に挙げるかというと、「立山行」での剣岳の歌はi一首しもないが、その歌がもっとも優れた歌に思えるからである。川田順は弥陀高原を登ってきて、室堂で剣岳か眺望して詠んだ。巻頭「七月下旬、弥陀高原」五首のなかの最後の一首。
剣岳深碧空に衝き峙ちてあな荒々し岩に痩せたり
この川田順の剣岳詠は、名歌だと思う。まさに「深碧空に衝き峙」つており、その威厳のある姿、そして「岩に痩せたり」という表現。「剱嶽」を活写していると同時に、相対した時の感動そのものを伝えて余すものがない。近づきがたい荒々しさに思わず居住まいを正す。間近に見ればその思いはなお強まるでふろう。いみじくも「衝き峙ちて」と川田は形容したが、冒頭に触れた「たちやま」とは、まさにこの表現に合い通づるものがあろう。この山にはこの歌が一番相応しいと思う。「立山行一」の歌。剣岳の歌が際立つていると思う。
「七月下旬‘弥陀高原」
朝間にて郭公鳥の声多したかやまはらの栂の木群に
高野原の郭公鳥はをちこちに声多くして幽かなるかな
薬師岳は朝陽のさせる山腹に雪の斑点め大きく粗き
追分の小屋のまわりに生ひひろごる山笹叢に朝日が強し
剣岳深碧空に衝き峙ちてあな荒々し岩に痩せたり
植松壽樹
つぎに植松壽樹の歌。この歌人も松村英一らと同時代の人で、山岳短歌を詠んで。いる。歌集『枯山水』
に「剣岳を登る」と題して七首、「剣沢の雪渓」四首がある。
「剣岳を登る」七首
深谷へ落ちて死にける人のあとを二日へだてて我は攀ぢゆく
小さなる木の片立てり二日前人おちいりし跡のしるしに
痩尾根は岩峡けやすしと戒めて黒百合の花いくつか踏みぬ
足の下に千尺の谷はありと思へ縋る（すがる）巌へ眼はひたむけて
打ちてある細きピトンに手をかけて身は支へたり岩の中処に
壁立てる岩の中処に息づきてうち仰ぐ空の碧さに怯えき
のぼり果てし狭き頂の岩の上なにかむなしき思に立てり
剣沢の雪渓
別山と剣の岳と聳えあひ迫れる空のまぶしくも深き
檄つおと底にこもりて雪渓の裂けし口より水けむり立つ
雪渓は行き奎きなくに山方の草原の上を暫くは踏む
深峪を久しく来たる一ところ山をはずれし細き日のさす
剣岳に登る緊張感が伝わってくる歌である。別山尾根から剣岳山頂をめざすコースをとったのであろう。剣岳を直接詠った歌として一首。
大峡を隔てて対ふ剱嶽の深き襞々あやしく暗し
柳瀬留治
後立山を縦走したおりの剣岳であろうか。黒部渓谷を隔ててと見る方がスケールの大きな歌になる。植松の歌も「あやしく暗し」と詠んで、剣岳のその岩峰の厳しさを表現している。
柳瀬留治は富山の人でこよなく立山を愛し、第二歌集『立山』はその賛歌である。
剱嶽あわれ数千年の氷雪に前剣と裂けハツ峰を削ぐ
黒部谷深く削れば剣嶽の峰はかしこし天のまほらに
鹿島槍の嶺に立てばまなかいの天さえぎれり剣嶽の秀は
昭和十年に「平ノ小屋にて一夜長次郎と語る」と題して
山のぬし宇治長次郎膝つき出し語りつづくる剣處女行
誇りなくゑみさへ浮かべぽつりぽつり迫らず語る宇治長次郎
の二首がある。近代登山で初めて剣岳に登山した案内人である。その活躍は、新田次郎の小説『剣岳・点の記』に詳しい。伝説的な人物である。その長次郎と出会っているだけでも浪漫である。その処女登山が 「誇る」べきものであるのかがわかる。柳瀬留治は歌集『立山』の巻末記に、「本集を遥か北天に聳ゆる立山の頂なる雄山の御神に捧ぐ。願わくば皇軍将士をして立山剣嶽のたけく勇ましく美しくあらしめ、夷秋英米を速かにことむけ和はし給はむことを。昭和十八年五月」と書いた。まさに時代である。歌集の巻末記にこのようなことを書くことがない時代が続くことを願う。
松村英一
戦前の歌人は実によく登山をしているし、山を詠っている。私も真似事はするが、自然を前にして「ことば」の無力さを痛感することが多い。表現力の無さそのものなのだが。柳瀬は北アルプスを立山から白馬まで連続した縦走はしていないが、ことごとくを歩いている。半世紀くらいでは山は変わらないのかもしれない。剣岳の山頂に至るには、カー’のタテバエとヨコバエとを往復しなければならない。岩場の緊張する箇所である。そこを単じて、頂に立つときの嬉しさは、登った人でなければ理解できないに違いない。松村英一も素直にその喜びを表わしている。『剣岳』美しい響きをもって、私を魅了してやまない山である。「池の平」と「みづからの」の歌は山頂からの眺めを詠んだ歌である。まさにその雄大な光景は、神様がいることを確信させる荘厳さがあり。その前で凡人は言葉を失い、詩人は詩を生み出すのだ。
六十七歳の老のよろこびを誰に告げむ剣岳の上にけふ岩を踏む
剣岳この岩の上にわれ立てり清きかなうれしきかな渡る天つ目
池の平山には霧のまつはりて日のあたるとき巌のかがやく
みづからの言葉絶えたり日の照らふ高山のうえの大きな天地
逗子八郎
昭和十一年、新短歌の歌人逗子八郎は旬秋長治郎雪渓から剣岳山頂に登り、翌日前剣に登っている。歌集『炳雲』の「剣岳」に一〇一首の歌を詠んでいる。ここに全部を紹介することはないが、当時の登山の状況がよくわかる。剣岳に登る以前、白馬岳から黒部渓谷に下りおりるときに詠まれた歌がある。この歌は逗子八郎が初めて剣岳や立山を間近にしての気分が現れている。
霧はれて剣岳立山紫にわだかまるこの透明な空気の層を翼無くして下ろう
「剣岳」の章の冒頭に「朝に千垣を発し称名滝、地獄谷を経て雷鳥沢を登り別山乗越より剣沢に下る。
昭和十一年初秋」とある。そしてはじめの一首、
登りつめた別山乗越の尾根にひとり驚く 憧れの山は凄味もつ岩壁のつらなり
別山から眺めた剣岳の眺望を素直に表現している。私も初めて剣岳を間近にみたときはこのような驚きであった゜。その夜は剣沢小屋に泊り、源治郎と遅くまで炉端で語り合っている。
尊く老いて冴える白髪 この翁の背筋からは絶壁が霧落ちてゐた
三日月の光照りかえす岩壁冴えて 剣岳の聾のきこえてくる夜半
（翌朝、逗子は剣沢雪渓を下り、長治郎の谷にむかう。）
絶壁に朝霧纏う剣岳の秀 ひそかなる憂ひたのしく氷河の面を滑降する
（そして長治郎の雪渓を登る。）
三本爪のアイゼンに懸る一つの命 トラバース’を強いる氷河は鏡のやうに傾いてゐた
「アイゼンは名のみ、三本爪のカンヂキなり」と逗子も書いている。装備も貧弱で近代登山とは言いがたいほどであるから、いま考えると恐ろしいほどの冒険行であったと言える。それでも雪渓を登り、稜線に至るのである。次の歌の下旬、これは登りきった安堵感の表れである。あの稜線に辿りついたとき、大声をたてるでもなく、心鎮めて興奮を押さえる。
雪渓つきた崩崖に確かに坐ってゐた 何故か寂かに私は笑ってゐた
（そして「剣岳頂上」「三〇〇三米の頂綾にいつきまつれるは大山主命なり」として）
頂の岩秀に架か方尺の祠。大山主命のまへに心すなほに額づく
霧のなかの薄日に照らされた頂の岩群 濡れたケルンの陰に珈琲を沸かす
（かくして、無事剣岳を制し、翌日早月源流の立山谷を下り馬場島へ帰る。）
当時の剣岳は三〇〇〇米の山であって、昔、私が初め七剣岳に登る二、三年前に今の高度に訂正され、三千メートルの山が一つ減ってしまったのだ。私が憧れた剣岳は三千メートルの高峰であった。（別の機会にこの逗子八郎の山と短歌について考察してみたい。）
佐藤佐太郎
佐藤佐太郎（明治四十二年〜）もまた歌集『地表』に立山を登山し、剣沢を下ったときの歌を発表している。この歌人もかなりの山に登っている。歌集『歩道』の印象からすれば都会派歌人のように思えるが、やはり昔の大は屈強である。この歌もいいと思う。
さかさまに剣嶽よりくだる霧この雪渓を低く過ぎつつ 佐藤佐太郎
雪渓の上にそそりて鉄いろをしたる蜘嶽岩のきびしさ
この歌は戦後の昭和二十六年の歌である。一首目の歌は剣嶽の凄味を、二首目は雪渓より見上げた剣嶽の厳つい様を表している。ともにいい歌だ。
概略以上のように、数少ない歌人達ではあるが、剣岳に寄せたよい歌を残してくれている。まだ多くの歌があるかも知れないが、ここに取り上げた歌以外にも探さなければならないだろう。北アルプスの山を詠う短歌では柳瀬留治と逗子八郎の二人は欠かせぬ歌人である。
昭和十年編纂の『日本山岳短歌集』には、この剣岳は不遇の扱いで、先にあげた植松寿樹の歌と、藻谷六郎の剣岳での遭難を詠んだ歌二首しか採られていない。大変に残念だが、藻谷の歌は山の厳しい一面を表しているし、これも剣ならではの歌かもしれない。
藻谷六郎
鳥の声もとだえし雪山に幾日さがすや友のむくろを
小屋ぐるみ夜半のなだれに潰れける六人いたまし剣沢小屋
＊逗子八郎が長次郎谷の雪渓コースを三本詰めのかんじきで登ったのか、と思うと凄い。挑んでみたかったコースだ。雪渓を途中まで登り、八ツ峰の五六のコルから、先輩の雨宮さんのリードで、岩稜を山頂まで詰めた記憶がある。天気が良い時で楽しかったのを覚えている。
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