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著者は1943年7月3日生まれ。1985年8月15日に家族5人で最初の富士登山。2回目は1987年、3回目は1990年7月7日でこの年に5回、1991年5回、1992年22回。2005年に定年を迎え、回数が一気に増え、2007年に350回、田子の浦からスタートする修験道の村山古道で(20)10年10月10日に(10x10x10=)1000回達成。1993年9月四登山道連続一筆書きや、1995年8月日本海親不知から3000m峰をつなぐ日本横断(3000m峰29座29日間)、日本橋から富士山まで、2011年6月天保山(大阪、海抜4.6m)から富士山まで、などなど趣向を凝らしたものもある。七大陸最高峰も出版時点で、残りはエベレストのみで、それもネパール側から登ってチベット側にいったん下り、そこから登り返して戻ってこようとしているとのこと。(ちなみに、梶房吉さんという富士山測候所の強力だった人は、50年間で1672回の登頂が最高記録だったが、實川さんは2014年7月16日に1673回(これも村山古道)となってこれを抜いた。)
【2016年1月11日】
實川さんの経歴を拝見していて、1990年ころというのはいろいろなことの変わり目だったなあと思いました。80年代までの登山者は若者か、若い頃からずっと続けている人がほとんどでした。90年ころからは、年を取ってから山登りをする人が増えました。他のスポーツをやっていた人も多く、体力があり、記録や回数に拘る人もこのころからだったと思います。
山がいろんな人に開かれたともいえ、人口が増え、いろいろ整備も進みました。
ちょうど昭和が終わり、冷戦が終わり、コンピュータ、ポケットベルが仕事で必須になり始め、多くの物事の変わり目でした。もうかれこれ30年ですね。
yoneyamaさん、コメントありがとうございました。
なるほど、そういう見方もできるのですね。
日本では、1990年くらいから週休二日制が普及し出しましたね。
(銀行は1989年2月から、公務員は1992年から完全週休2日制が実施されたようです。)
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