初登攀者4名は、当初は2人づつの別々のパーティであり、ドイツ隊とオーストリア隊。当時(1938年7月)、ドイツがヒットラーのもとでオーストリアを同年3月に併合した直後という時代背景のようです。ですので、この初登攀成功が、ナチス・ドイツの国威発揚の宣伝に利用されたというようなことが新編の訳者あとがき(長谷見敏氏)に記載されています。ちなみに、この初登攀の時、ある写真家が飛行機で60mの距離まで北壁に近づき、4人を撮影したというのも驚きでして、その写真が「現代世界ノンフィクション全集21」には掲載されています。当時、北壁を登るパーティは世間では見物(や新聞ネタ)の対象で、麓(クライネシャイデック)から望遠鏡を覗かせてお金を取る商売が流行っていたそうです。
全体のトーンとしては、このアイガー北壁と言う特別な舞台に繰り広げられた数々の登攀劇(多くの悲劇を含む)を通して、安全な登攀を目指すパーティの素晴らしさを繰り返し繰り返し訴求していて、困難な登攀を目指す若い人たちに刺激を与えたものと思われます。新編になってからは、日本人のパーティも登場します。また、巻末には年表があり、資料としての価値も高いようです。
ところで、著者のハラー氏は、初登攀の2年前(1936年)には冬季五輪にオーストリア代表として出場し、翌年には世界学生スキー大会滑降で優勝しているそうです。また、1939年にはドイツ・ナンガパルバット遠征隊に参加、第二次世界大戦が起こってドイツと英国が交戦状態になったため、インドで英国軍に囚われ抑留所入り。しかし、何度か脱出を試みて1944年に成功し、チベットに逃れ、彼の地でダライラマの教師となり7年間ラサで暮らしたとのこと。そういうことから、一般の人にとっては、「チベットの七年間」(1997年には映画化)の著者としての方が有名なのかも知れません。
最後に、1958年版と1999年版とで和訳本の訳者が異なったことの影響について触れておきたいと思います。具体的な比較としてある段落を例示してみます:
「いよいよ自分たちが目ざした岩頭に登りつくと、確保用のハーケンを二本打ちこむことができた。何時間もかかったが、われわれはピッケルで氷をけずると、その下から座る場所を掘り出した。ビバークの準備をととのえたがまだまだ明るかった。 ・・・(中略)・・・ 天候がどうなるかわからなかったし、またどこでどれだけ、どのような状況下でビバークしなければならないかということが、まだよくわかっていなかった。ゆく手にまちかまえているこのいく晩かのために、予備の衣類は濡らさないでとっておかなければならない。それにしても、これらの衣類をルックザックから取り出し、賢明な判断にさからってこれを着たいという気持ちを押さえるには、かなりの努力を必要とした。」(横川訳)
「私たちは我らが岩頭に到着し、ここに二本の確保用ハーケンを取り付ける。その下に何時間もかかってピッケルで座れる場所をつくる。ビヴァークの用意はまだ昼間のうちにできた。 ・・・(中略)・・・ 天気がどうなるのか、あといく晩、どんな状況でビヴァークしなければならないのか私たちにはわからない。来たるべきこれらの夜々のために予備の持物は乾かしておきたい。しかし乾いた衣類をザックから引っ張り出して身に着けるかわりに、良識というやつを繰り返し身に着けようとするのは、いささかエネルギーを消耗するものだ。」(長谷見訳)
直訳が良いか意訳が良いかということになるのかも知れませんが、個人的には、横山氏の方に軍配を上げたいです。
【読了日:2014年12月9日】
のもしんさん
探検記の宝庫、「現代世界ノンフィクション全集」(筑摩書房)ですね。
横川氏の訳で20年以上前に読みましたが、もうそろそろ再読期かもしれません。いつでも読んでくれと、本棚にあります。
訳の違い、おもしろかったです。たしかにドイツ語的には、そう書いてあるのでしょうね。しゃれた言い方ですが、登攀記だから横川式でいいかな、と言う気がしますね。
yoneyamaさん、コメント、大変ありがとうございました。
先日、ご紹介頂いた下記が収録された筑摩書房の世界ノンフィクション全集3巻も宿題リストに載せているのですが、キューに溜まっているので、手に取るのはもう少し先になりそうです:
・「わがエヴェレスト」 エドモンド・ヒラリー
・「翼よ、あれがパリの灯だ」 チャールズ・A・リンドバーグ
・「フラム号漂流記」 フリッチョフ・ナンセン
「単騎遠征」 福島安正
いゃ〜、ノンフィクションは良いです。受ける刺激のレベルが違いますね。
ノモシンさん、はじめまして。
4人はアイガー北壁初登攀の栄誉を得ても、時代に翻弄されてしまいました。第二次世界大戦により、ハラーはチベットで過ごさなくてはならず(結果は良かったのかもしれませんが)、他の3人は徴兵され1人は戦死してます。自分のために行なったはずの登攀行為が、ナチスに利用されたため、終戦後もしばらくは静かにしていなければならなかったのでしょう。ヘックマイヤーの自伝"My Life"にはその辺りのエピソードも記されています。ヒットラーと面会した話なんて、時間が経ってようやく書けたのでしょう。ハラーにはヘックマイヤーらドイツ人パーティはナチス党員だったと、非難めいた発言もあったようですが、自身もナチス党員だった疑惑が出ていたようです。どちらにせよあの時代では仕方なかったと思います。
アンドレ・ヘックマイヤーの「アルプスの三つの壁」も併せて読んでみて下さい。安川茂雄氏の訳はちょっとですが、あの時代に翻訳したのですから。
ankotaさん、時代背景説明、ありがとうございました。当時は日本でも登山を富国強兵の鍛錬と位置付けていたと聞いています。戦争が、思想にまで影響を及ぼしてしまうのは、東西を問わないと思われます。
実はいま、「チベットの七年」を読みふけっているところです。
「アルプスの三つの壁」も宿題リストに加えたところです。
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